説明

商品番号 UJWA262 – カタログ第45号 – 売約済 真守 脇指 (畠田真守) 畠田真守は、鎌倉時代中期(文永頃・1275年頃)に全盛期を迎えた畠田派において、祖・守家に次ぐ双璧をなす上々作の銘工です。一派の名称は備前国長船の東に位置する畠田村に由来し、この地が育んだ良質な玉鋼と水は、備前伝の歴史を決定づける名刀を数多く生み出しました。真守は守家の子、あるいは門人と伝えられ、華麗な一文字派の流れを汲む守家の作風を色濃く継承しています。その作域は、一文字譲りの豪壮な丁子乱れを基調としながらも、どこか抑制の効いた気品を湛え、動と静の絶妙な調和を見せています。また、真守は「左馬允」という受領名を冠して銘を切ることが多く、これは当時の刀工としての高い地位を裏付けるものです。その技量は、特別重要刀剣5点を筆頭に、重要美術品、重要文化財にも指定されるなど、刀剣史上における確固たる地位を築いています。 本作は大磨上げの脇指ながら、真守の真髄が遺憾なく発揮された白眉の一振りです。地肌は板目に木目交じり、地沸厚くつき、地景が細かく頻りに現れるなど、極めて精緻かつ力強い鍛えを見せています。刃文は互の目に丁子を交えた乱れ刃で、畠田派の代名詞とも言える「蛙子丁子」が鮮やかに焼かれています。足の長い丁子の頭が丸く膨らむその独特の形状は、備前伝の中でも畠田派を象徴する意匠です。刃中には金筋が激しく働き、葉や砂流しが彩りを添え、地には見事な乱れ映りが立ち現れます。切先は木目肌が鮮明に現れ、金筋が幾重にも走るなど、古刀の風格を隅々まで宿しています。茎は保存状態が良く、落ち着いた錆色を呈し、形は栗尻、切り鑢が整然と施されています。四つの目釘孔は、本作が経てきた悠久の歴史を物語っています。

A SANEMORI WAKIZASHI (畠田真守)
Tokuho

A SANEMORI WAKIZASHI (畠田真守)

脇差

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流派

Hatakeda

時代

Kotô – middle Kamakura Period (bun’ei era: 1264–1275)

仕様

長さ

51.9 cm

反り

1.2 cm

元幅

2.67 cm

先幅

1.83 cm

流派について

Hatakeda School畠田派

1 重要刀剣

畠田派は鎌倉時代中期の備前国に興った一門で、長船村に直に隣接する畠田の地に住したことから、その祖を畠田守家と呼ぶ。守家および一門の真守らに「畠田住」と銘したものは未見で、いずれも「備前国長船住守家造」などと長船住に切ることから、畠田はおそらく長船村のなかの小字であったと推察されている。守家には文永九年(一二七二)紀の太刀を最古として在銘作があり、長船光忠・長光と同時代に鍛えた工としてその名を立てる。銘鑑はその系を福岡一文字の守恒系に置くが、守家の作はすでに福岡一文字の古調を離れ、長船一派が古典の姿を結ぶその近き圏内に位置する。守家の代別はなお定まらず、通説は初代を光忠、二代を長光と同年代の刀工とする二代説を伝えるが、初二代を銘字のみで明確に分けることは難しく、一人説を唱える向きもあって、今後の研究課題とされている。 一門の作風は同時代の長船刀工に近似するが、地鉄が肌立ち、焼刃に蛙子丁子が目立つところに共通の特色がある。鍛えは板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、その上に乱れ映りが鮮やかに立つ。この肌立つ備前地に立つ冴えた映りは、ほぼ全作に挙げられる確かな見どころである。刃文は華やかな丁子乱れを主とし、腰のくびれた頭の丸い蛙子丁子を交え、袋丁子・重花丁子・互の目・尖りごころの刃を加え、足・葉さかんに入り、小沸つき、処々飛焼・湯走りを見せ、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るい。帽子は乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに掃きかける。蛙子丁子こそ最大の鑑識点で、光忠も交えるが、これほど中心に据えた同時代工はなく、長光には稀である。祖守家はこの華やかさをもっとも強く示し、地の肌立ちと刃沸の強さにおいて隣人の長船物を凌ぐ。子と伝える真守はその見どころをよく受け継ぐが、乱れがやや小模様となる傾向があり、銘も太字の華やかな作と、長光・景光に近い小振りの作とに分かれる。光守もまた焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼いて守家系に近く、いずれも蛙子丁子と鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれる。 鑑定の勘所は、この一門を福岡一文字や長船嫡流から分かつ点にある。長船の名手の丁子が丸く豊かに張るところを、畠田のそれは腰でくびれ、そのくびれこそ畠田の刀の運ぶ最も確かな一事である。地もまた、光忠のつむ地に対して守家の地は肌立ち、刃沸はより強く集まる。それゆえ上作が長船に紛れるとき、極めの拠るのはまさにこの肌立つ鍛えと蛙子丁子であり、無銘作では蛙子が大房に乱れるところに極めどころがあるとされる。華やかな丁子乱れの傍らに、一門は穏やかな作域も持つ。守家後期の一群は片落ち互の目・角互の目を主調とし、鎌倉後期の長船正系に通い、子守重に至っては直刃調に互の目を交える手と、景光・元重を思わせる片落ち互の目とがあって、畠田派よりむしろ長船色が濃い。守重の子と伝える守長は南北朝の代に下り、沸の盛んな相伝備前風の乱れに転じて、もはや備前の脈は丁子の交じりとして残るのみとなる。かくして一派は次第に長船派へ溶け込んでいく。守家は藤代の極めで最上作とされ、その作は重要文化財・重要美術品に及び、徳川家・細川家・上杉家・三井家・奥平家、さらに皇室の手を経て、京都国立博物館・徳川美術館・静嘉堂文庫・永青文庫などに蔵される。真守・光守の作にも紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家・堀田家・秋元家などの伝来が録され、名家の歴史を負って今日に伝わっている。

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