説明

特別保存刀剣 『備前家守(長船家守)』 刀剣種別 『刀』 Katana 無銘 『備前家守(長船家守)』 bizen osafune IEMORI 日本刀 鑑定書『日本美術刀剣保存協会 特別保存 刀剣』 NBTHK 『Tokubetsu Hozon Paper』 時代『南北朝中期 文和頃』 Production age 『AD1352』 備前家守・長船家守は、同名数代おり、名鑑によれば初代を鎌倉末期の畠田派としている。同名を継承しているが、南北朝初期(元徳)からのものを初代、南北朝中期(延文〜永和)のものを二代、南北朝末期(康暦)から室町期(応永末年)のものを三代とされている。初代は畠田派とされ、福岡一文字系と伝う。二代以降は小反り派に分類される。一般的に家守といえば室町期の三代小反りのものが多く、小反り備前派中もっとも名高く大業物にランクされるが、初代・二代の作は比較的稀である。小反りとは、南北朝後期から室町初期において、兼光・元重・長義・大宮などの一派に属さない刀工を一握りにした呼称であり、総体に小模様であることが多い。 この刀は備前家守(長船家守)の無銘作である。本間順治博士により時代は南北朝中期の(文和)とされており、二代を(延文)からとするのであれば、初代家守であり、畠田派という事になる。鍛えは板目によく詰んで肌潤い、地沸が微塵によくつき、地斑を交え地景がよく入り、乱れ映りが鮮明に立ち、刃文は焼高く大互の目に腰開きの互の目丁字・飛び焼き等が交じり、足・葉入り、金筋・砂流し頻りにかかり、小沸がよくつくなどの出来口を示している。大模様で華やかに乱れ乱れ映りがたつ様は、一見福岡一文字を彷彿とさせ、初代とした本間順治博士の極めは首肯される。同工極めの中でも焼に高低がが目立ち覇気がある。出来が優れており、白眉の一振りである。 『形状』鎬造、庵棟、身幅広く・重ね反り共に尋常、中鋒。 『鍛』板目総じてよく詰み、地沸つき、地景入り、乱れ映り鮮明に立つ。 『刃文』焼高く大互の目に腰開きの互の目丁字・飛び焼き等が交じり、大模様に華やかに乱れ、足・葉繁く入り、金筋・砂流し頻りにかかり、匂口明るい。 『帽子』焼き高く乱れ込み、先小丸に浅く返る。 『茎』大磨上、先浅い栗尻、鑢目切り、目釘孔三。 『彫』表裏に棒樋掻き流す。 『附』白鞘 『寸法(Size)』 長さ(Blade length)69.2cm、反り(Sori)1.6cm、 元幅(Width of moto)3cm、先幅(Width of saki)2.2cm、 元重(Thickness of moto)0.7cm 先重(Thickness of saki)0.5cm

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仕様

長さ

69.2 cm

反り

1.6 cm

元幅

3 cm

先幅

2.2 cm

流派について

Hatakeda School畠田派

1 重要刀剣

畠田派は鎌倉時代中期の備前国に興った一門で、長船村に直に隣接する畠田の地に住したことから、その祖を畠田守家と呼ぶ。守家および一門の真守らに「畠田住」と銘したものは未見で、いずれも「備前国長船住守家造」などと長船住に切ることから、畠田はおそらく長船村のなかの小字であったと推察されている。守家には文永九年(一二七二)紀の太刀を最古として在銘作があり、長船光忠・長光と同時代に鍛えた工としてその名を立てる。銘鑑はその系を福岡一文字の守恒系に置くが、守家の作はすでに福岡一文字の古調を離れ、長船一派が古典の姿を結ぶその近き圏内に位置する。守家の代別はなお定まらず、通説は初代を光忠、二代を長光と同年代の刀工とする二代説を伝えるが、初二代を銘字のみで明確に分けることは難しく、一人説を唱える向きもあって、今後の研究課題とされている。 一門の作風は同時代の長船刀工に近似するが、地鉄が肌立ち、焼刃に蛙子丁子が目立つところに共通の特色がある。鍛えは板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、その上に乱れ映りが鮮やかに立つ。この肌立つ備前地に立つ冴えた映りは、ほぼ全作に挙げられる確かな見どころである。刃文は華やかな丁子乱れを主とし、腰のくびれた頭の丸い蛙子丁子を交え、袋丁子・重花丁子・互の目・尖りごころの刃を加え、足・葉さかんに入り、小沸つき、処々飛焼・湯走りを見せ、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るい。帽子は乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに掃きかける。蛙子丁子こそ最大の鑑識点で、光忠も交えるが、これほど中心に据えた同時代工はなく、長光には稀である。祖守家はこの華やかさをもっとも強く示し、地の肌立ちと刃沸の強さにおいて隣人の長船物を凌ぐ。子と伝える真守はその見どころをよく受け継ぐが、乱れがやや小模様となる傾向があり、銘も太字の華やかな作と、長光・景光に近い小振りの作とに分かれる。光守もまた焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼いて守家系に近く、いずれも蛙子丁子と鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれる。 鑑定の勘所は、この一門を福岡一文字や長船嫡流から分かつ点にある。長船の名手の丁子が丸く豊かに張るところを、畠田のそれは腰でくびれ、そのくびれこそ畠田の刀の運ぶ最も確かな一事である。地もまた、光忠のつむ地に対して守家の地は肌立ち、刃沸はより強く集まる。それゆえ上作が長船に紛れるとき、極めの拠るのはまさにこの肌立つ鍛えと蛙子丁子であり、無銘作では蛙子が大房に乱れるところに極めどころがあるとされる。華やかな丁子乱れの傍らに、一門は穏やかな作域も持つ。守家後期の一群は片落ち互の目・角互の目を主調とし、鎌倉後期の長船正系に通い、子守重に至っては直刃調に互の目を交える手と、景光・元重を思わせる片落ち互の目とがあって、畠田派よりむしろ長船色が濃い。守重の子と伝える守長は南北朝の代に下り、沸の盛んな相伝備前風の乱れに転じて、もはや備前の脈は丁子の交じりとして残るのみとなる。かくして一派は次第に長船派へ溶け込んでいく。守家は藤代の極めで最上作とされ、その作は重要文化財・重要美術品に及び、徳川家・細川家・上杉家・三井家・奥平家、さらに皇室の手を経て、京都国立博物館・徳川美術館・静嘉堂文庫・永青文庫などに蔵される。真守・光守の作にも紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家・堀田家・秋元家などの伝来が録され、名家の歴史を負って今日に伝わっている。

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