鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
日本刀 刀 伝 畠田真守 日本美術刀剣保存協会(日美刀保) 重要刀剣指定品 【解説】 本作は、鎌倉時代後期(13世紀後半)に隆盛を極めた畠田派を代表する名工、畠田真守(はたけだ さねもり)の伝承を持つ一振りです。 真守は通称を弥次郎と称し、畠田派の祖である守家の子と伝えられています。日本刀製作の最大の拠点であった備前国(現在の岡山県)にて活躍しました。 畠田派は鎌倉中期から室町初期(13世紀半ば〜15世紀初頭)にかけて活動した一派です。その名は備前国の畠田という地名に由来しますが、現存する銘振りの多くは「長船住」と切られており、長船派と極めて密接な関係にあったことが伺えます。 真守は、長船派屈指の名工である長光よりも僅かに年長、あるいは同時代の工であったと考えられています。 本作の作域は、守家以来の畠田派の特色を顕著に示しています。刃文は丁子に互の目が交じり、極めて華やかです。特に「蛙子丁子(かわずこちょうじ)」と呼ばれる、袋丁子の頭が丸く大きく、足元が鋭く括れた独特の形状が随所に見られます。その形状が「おたまじゃくし(蛙の子)」に似ていることから、この名で呼ばれています。 【備前長船派の歴史】 長船派は、鎌倉時代中期の光忠によって興されたと伝えられています。備前国における諸流派の中でも最大の勢力を誇り、時の有力大名や高名な武士から数多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士たちに深く愛されました。 同派の中でも長光、真長、景光の三名は「長船三作」として特に名高く、また長光、兼光、長義、元重の四名は「長船四天王」と称される名工として知られています。 備前国は中国山地に近く、刀剣製作に不可欠な原料である砂鉄が豊富に産出されました。さらに吉井川の流域に位置していたことから、水や炭の確保にも事欠かず、この地質的・地理的優位性が高品質な刀剣の量産を可能にしました。備前では古くから作刀が盛んで、平安時代後期(12世紀後半)には「古備前」と呼ばれる工たちが備前伝の基礎を築きました。長船派は、この古備前の伝統と技術を継承し、鎌倉中期以降に大いなる繁栄を遂げたのです。 【彫物】 本作には、当時の卓越した技術を示す見事な彫物が施されています。表裏に棒樋(ぼうひ)が掻き通され、刀身の美観を高めるとともに、軽量化による操作性の向上(バランスの調整)が図られています。樋先は「掻流し(かきながし)」となっており、滑らかに消え入るような優美な仕上がりは、作者の技量の高さを物語っています。こうした細部の意匠により、本作は武器としての機能美を超え、洗練された美術工芸品としての極致を見せています。 【鑑定】 本刀は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「重要刀剣」に指定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良好であり、かつ芸術的価値が特に高いと認められた真銘の日本刀にのみ与えられるものです。「重要刀剣」は「特別保存刀剣」の上位ランクに位置し、指定にあたっては厳格な審査を通過する必要があります。
畠田真守は守家の子と伝え、年紀作は建治・弘安・正応のものがあり、作風は守家同様に丁子に互の目が交じり、乱 れの中に蛙子丁子を見せて特色を示している。 この刀は身幅が広く、中鋒が延びるという体配で、大磨上の前の姿はさぞ豪壮であったろうと想像がつく。鋒が延びて いる点は、長船光忠等に比して畠田派の一つの見どころにされており、加えて、 丁子に互の目交じりの刃文の中に蛙子丁 子があり、鍛えが少し肌立っているなどから畠田真守と鑑せられるものである。
無銘 · Hatakeda · 鎌倉 · 長さ 70.4cm · 反り 1.4cm






























畠田真守は守家の子と伝え、年紀作は建治・弘安・正応のものがあり、作風は守家同様に丁子に互の目が交じり、乱 れの中に蛙子丁子を見せて特色を示している。 この刀は身幅が広く、中鋒が延びるという体配で、大磨上の前の姿はさぞ豪壮であったろうと想像がつく。鋒が延びて いる点は、長船光忠等に比して畠田派の一つの見どころにされており、加えて、 丁子に互の目交じりの刃文の中に蛙子丁 子があり、鍛えが少し肌立っているなどから畠田真守と鑑せられるものである。
Hatakeda (Bizen) · 備前 · 1277-1293頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位8%
現在4点販売中
正応二年(一二八九)八月、畠田真守は太刀に「備前国長船住人左馬允真守造」[[c:9]]と長銘を切り、四ツ目菱紋とこの工には珍しい制作年紀を添えた。建治・弘安・正応(一二七五~九三)の年紀作が現存し、説明書は「その活躍期は明白である」[[c:10]]と記す。真守は畠田守家の子と伝え、弟子あるいは孫とする説、一説に初代家助の子とする伝もあり、師守家の代作者の一人であったために自身の在銘作が少ないとも説かれる。一門は長船に隣接する畠田に住したが、「畠田住と銘したものは皆無」[[c:11]]で、銘はみな長船住と切ることから、畠田は長船村内の小字と考えられている。年紀作はちょうど長船長光の活躍年代に重なり、父守家の華やかさと長船本流の穏やかさとの間に立つこの位置こそ、同工をめぐる記述の軸となっている。
作風の典型は、腰のくびれた蛙子丁子を交えた丁子乱れである。畠田派はこの「蛙子丁子を得意として上手」[[c:1]]と評され、真守もその見どころをよく受け継ぐが、父と分かつのは乱れの規模である。指定書に繰り返し現れる定型の評は「守家に比して、一般に乱れがやや小模様となる傾向がある」[[c:12]]というもので、乱れの房が一段小さく、焼の高低も目立たない。蛙子丁子は指裏に殊に顕著となる例が多い。丁子には互の目・尖り刃が交じり、足・葉がさかんに入り、匂勝ちに小沸がつき、匂口は明るいと繰り返し記される。金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交え、帽子は乱れ込みまたは直ぐに小丸となり、先が尖りごころに掃きかけるものが多い。
地鉄に畠田の見どころがある。板目に杢を交えて肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、乱れ映りが鮮やかに立つ。正応年紀の太刀では、その映りが地斑映り状を呈する。肌立ちは守家ほど強くなく、しかし長船物よりは強い。上作が長船に紛れるとき、説明書が指摘するのはまさにこの点である。肌立つ鍛えの一方、小板目のよくつんだ精緻な肌合の一類もあり、伊予西条松平家伝来の一口は「同工極めの白眉」と評される。姿の上でも、長船の光忠等に比して鋒が延びる点が同派の見どころとされ、太刀は腰反り高く踏張りのある体配を保つ。
説明書は作域を、華やかな丁子乱れ、互の目に丁子の交じるもの、直刃調のものの三様に挙げ、総じて父守家より穏やかな出来が多いとする。銘もこの分かれに沿う。多くは二字銘で、「銘に太字のものと小振りのものとの二様があり」[[c:13]]、太字は守家に似た華やかな作に、小振りは「概して長光、景光に近い」[[c:4]]作に結び付く。本間順治は経眼中最も大銘で乱れも最も華やかな太刀を「初代作に相違ない」[[c:5]]と断じた。官職を冠した長銘は稀で、左馬允と右馬允の両様があり、右馬允銘の太刀は中直刃が浅くのたれ、現存稀な在銘の剣は小沸出来の細直刃に焼詰め帽子となる。銘の二様の背後には「同銘は二代あったと考えられるが、銘字による代別は目下のところ困難である」[[c:14]]という問題が横たわる。同名の刀工は平安時代の伯耆大原、鎌倉時代の備中青江派にも存するが、「銘振り、作風にそれぞれ相違のあることは勿論である」[[c:15]]と注記される。
上作において問われるのは、もはや父ではなく長船そのものである。正応二年紀の太刀は「一見長光の上作を思わせる」[[c:6]]とされ、肌立ち気味の地鉄にのみ畠田系らしさが窺われる。格付けについて説明書は率直で、「総体に守家に及ばず、特に帽子がそうである」[[c:16]]と記す。しかしこの率直さは裏から読めば、父に及ばぬとされる小模様で穏やかな乱れこそ、静かな作を長船の上手に近づける当のものである。無銘極めは同工自身の組合せ、すなわち蛙子丁子を交えた丁子乱れ、肌立ちごころの板目、鮮やかな乱れ映り、守家より一段小さい乱れに拠っており、特別重要の一口では茎の形状が「現存する真守の有銘作に酷似している」[[c:17]]ことが極めの決め手となった。在銘の太刀は比較的少なく、「短刀は未見」とされる。
藤代の格付けは上々作。指定を受けた作は五七口を数える。国宝はないが、重要文化財が六口あって安芸浅野家伝来の作を含み、戦前の重要美術品が五口、黒田長礼・黒川福三郎ら蒐集家の手を経た。特別重要刀剣五口・重要刀剣四一口、両指定で四六口に上る。伝来も顕著で、紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家のほか、毛利家・黒田家・前田家に伝わった。所在の知られるものは九州国立博物館・林原美術館・黒川古文化研究所などに収まる。蒐集家にとっては、長船の大名跡ほど遠い存在ではないが、なお忍耐を要する刀工である。市中に現れるものの多くは大磨上無銘の極め物で、その極めは小模様の蛙子丁子に拠っており、時折市場に姿を見せる。在銘はまた別である。二字銘の太刀は少なく、長銘・年紀の作はさらに稀で、ひとたび出れば、居住地と官職と年紀を作者自身の手に伝える資料として出色の出来事となる。
眞守の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在7点販売中
畠田派は鎌倉時代中期の備前国に興った一門で、長船村に直に隣接する畠田の地に住したことから、その祖を畠田守家と呼ぶ。守家および一門の真守らに「畠田住」と銘したものは未見で、いずれも「備前国長船住守家造」[[c:1]]などと長船住に切ることから、畠田はおそらく長船村のなかの小字であったと推察されている。守家には文永九年(一二七二)紀の太刀を最古として在銘作があり、長船光忠・長光と同時代に鍛えた工としてその名を立てる。銘鑑はその系を福岡一文字の守恒系に置くが、守家の作はすでに福岡一文字の古調を離れ、長船一派が古典の姿を結ぶその近き圏内に位置する。守家の代別はなお定まらず、通説は初代を光忠、二代を長光と同年代の刀工とする二代説を伝えるが、初二代を銘字のみで明確に分けることは難しく、一人説を唱える向きもあって、今後の研究課題とされている。 一門の作風は同時代の長船刀工に近似するが、地鉄が肌立ち、焼刃に蛙子丁子が目立つところに共通の特色がある。鍛えは板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、その上に乱れ映りが鮮やかに立つ。この肌立つ備前地に立つ冴えた映りは、ほぼ全作に挙げられる確かな見どころである。刃文は華やかな丁子乱れを主とし、腰のくびれた頭の丸い蛙子丁子を交え、袋丁子・重花丁子・互の目・尖りごころの刃を加え、足・葉さかんに入り、小沸つき、処々飛焼・湯走りを見せ、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るい。帽子は乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに掃きかける。蛙子丁子こそ最大の鑑識点で、光忠も交えるが、これほど中心に据えた同時代工はなく、長光には稀である。祖守家はこの華やかさをもっとも強く示し、地の肌立ちと刃沸の強さにおいて隣人の長船物を凌ぐ。子と伝える真守はその見どころをよく受け継ぐが、乱れがやや小模様となる傾向があり、銘も太字の華やかな作と、長光・景光に近い小振りの作とに分かれる。光守もまた焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼いて守家系に近く、いずれも蛙子丁子と鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれる。 鑑定の勘所は、この一門を福岡一文字や長船嫡流から分かつ点にある。長船の名手の丁子が丸く豊かに張るところを、畠田のそれは腰でくびれ、そのくびれこそ畠田の刀の運ぶ最も確かな一事である。地もまた、光忠のつむ地に対して守家の地は肌立ち、刃沸はより強く集まる。それゆえ上作が長船に紛れるとき、極めの拠るのはまさにこの肌立つ鍛えと蛙子丁子であり、無銘作では蛙子が大房に乱れるところに極めどころがあるとされる。華やかな丁子乱れの傍らに、一門は穏やかな作域も持つ。守家後期の一群は片落ち互の目・角互の目を主調とし、鎌倉後期の長船正系に通い、子守重に至っては直刃調に互の目を交える手と、景光・元重を思わせる片落ち互の目とがあって、畠田派よりむしろ長船色が濃い。守重の子と伝える守長は南北朝の代に下り、沸の盛んな相伝備前風の乱れに転じて、もはや備前の脈は丁子の交じりとして残るのみとなる。かくして一派は次第に長船派へ溶け込んでいく。守家は藤代の極めで最上作とされ、その作は重要文化財・重要美術品に及び、徳川家・細川家・上杉家・三井家・奥平家、さらに皇室の手を経て、京都国立博物館・徳川美術館・静嘉堂文庫・永青文庫などに蔵される。真守・光守の作にも紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家・堀田家・秋元家などの伝来が録され、名家の歴史を負って今日に伝わっている。 詳しく見る →
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 刀 伝 畠田真守 日本美術刀剣保存協会(日美刀保) 重要刀剣指定品 【解説】 本作は、鎌倉時代後期(13世紀後半)に隆盛を極めた畠田派を代表する名工、畠田真守(はたけだ さねもり)の伝承を持つ一振りです。 真守は通称を弥次郎と称し、畠田派の祖である守家の子と伝えられています。日本刀製作の最大の拠点であった備前国(現在の岡山県)にて活躍しました。 畠田派は鎌倉中期から室町初期(13世紀半ば〜15世紀初頭)にかけて活動した一派です。その名は備前国の畠田という地名に由来しますが、現存する銘振りの多くは「長船住」と切られており、長船派と極めて密接な関係にあったことが伺えます。 真守は、長船派屈指の名工である長光よりも僅かに年長、あるいは同時代の工であったと考えられています。 本作の作域は、守家以来の畠田派の特色を顕著に示しています。刃文は丁子に互の目が交じり、極めて華やかです。特に「蛙子丁子(かわずこちょうじ)」と呼ばれる、袋丁子の頭が丸く大きく、足元が鋭く括れた独特の形状が随所に見られます。その形状が「おたまじゃくし(蛙の子)」に似ていることから、この名で呼ばれています。 【備前長船派の歴史】 長船派は、鎌倉時代中期の光忠によって興されたと伝えられています。備前国における諸流派の中でも最大の勢力を誇り、時の有力大名や高名な武士から数多くの注文を受けました。その作品は「長船物」として武士たちに深く愛されました。 同派の中でも長光、真長、景光の三名は「長船三作」として特に名高く、また長光、兼光、長義、元重の四名は「長船四天王」と称される名工として知られています。 備前国は中国山地に近く、刀剣製作に不可欠な原料である砂鉄が豊富に産出されました。さらに吉井川の流域に位置していたことから、水や炭の確保にも事欠かず、この地質的・地理的優位性が高品質な刀剣の量産を可能にしました。備前では古くから作刀が盛んで、平安時代後期(12世紀後半)には「古備前」と呼ばれる工たちが備前伝の基礎を築きました。長船派は、この古備前の伝統と技術を継承し、鎌倉中期以降に大いなる繁栄を遂げたのです。 【彫物】 本作には、当時の卓越した技術を示す見事な彫物が施されています。表裏に棒樋(ぼうひ)が掻き通され、刀身の美観を高めるとともに、軽量化による操作性の向上(バランスの調整)が図られています。樋先は「掻流し(かきながし)」となっており、滑らかに消え入るような優美な仕上がりは、作者の技量の高さを物語っています。こうした細部の意匠により、本作は武器としての機能美を超え、洗練された美術工芸品としての極致を見せています。 【鑑定】 本刀は、公益財団法人 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「重要刀剣」に指定されています。この鑑定書は、保存状態が極めて良好であり、かつ芸術的価値が特に高いと認められた真銘の日本刀にのみ与えられるものです。「重要刀剣」は「特別保存刀剣」の上位ランクに位置し、指定にあたっては厳格な審査を通過する必要があります。
畠田真守は守家の子と伝え、年紀作は建治・弘安・正応のものがあり、作風は守家同様に丁子に互の目が交じり、乱 れの中に蛙子丁子を見せて特色を示している。 この刀は身幅が広く、中鋒が延びるという体配で、大磨上の前の姿はさぞ豪壮であったろうと想像がつく。鋒が延びて いる点は、長船光忠等に比して畠田派の一つの見どころにされており、加えて、 丁子に互の目交じりの刃文の中に蛙子丁 子があり、鍛えが少し肌立っているなどから畠田真守と鑑せられるものである。
無銘 · Hatakeda · 鎌倉 · 長さ 70.4cm · 反り 1.4cm






























畠田真守は守家の子と伝え、年紀作は建治・弘安・正応のものがあり、作風は守家同様に丁子に互の目が交じり、乱 れの中に蛙子丁子を見せて特色を示している。 この刀は身幅が広く、中鋒が延びるという体配で、大磨上の前の姿はさぞ豪壮であったろうと想像がつく。鋒が延びて いる点は、長船光忠等に比して畠田派の一つの見どころにされており、加えて、 丁子に互の目交じりの刃文の中に蛙子丁 子があり、鍛えが少し肌立っているなどから畠田真守と鑑せられるものである。
Hatakeda (Bizen) · 備前 · 1277-1293頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位8%
現在4点販売中
正応二年(一二八九)八月、畠田真守は太刀に「備前国長船住人左馬允真守造」[[c:9]]と長銘を切り、四ツ目菱紋とこの工には珍しい制作年紀を添えた。建治・弘安・正応(一二七五~九三)の年紀作が現存し、説明書は「その活躍期は明白である」[[c:10]]と記す。真守は畠田守家の子と伝え、弟子あるいは孫とする説、一説に初代家助の子とする伝もあり、師守家の代作者の一人であったために自身の在銘作が少ないとも説かれる。一門は長船に隣接する畠田に住したが、「畠田住と銘したものは皆無」[[c:11]]で、銘はみな長船住と切ることから、畠田は長船村内の小字と考えられている。年紀作はちょうど長船長光の活躍年代に重なり、父守家の華やかさと長船本流の穏やかさとの間に立つこの位置こそ、同工をめぐる記述の軸となっている。
作風の典型は、腰のくびれた蛙子丁子を交えた丁子乱れである。畠田派はこの「蛙子丁子を得意として上手」[[c:1]]と評され、真守もその見どころをよく受け継ぐが、父と分かつのは乱れの規模である。指定書に繰り返し現れる定型の評は「守家に比して、一般に乱れがやや小模様となる傾向がある」[[c:12]]というもので、乱れの房が一段小さく、焼の高低も目立たない。蛙子丁子は指裏に殊に顕著となる例が多い。丁子には互の目・尖り刃が交じり、足・葉がさかんに入り、匂勝ちに小沸がつき、匂口は明るいと繰り返し記される。金筋・砂流しがかかり、処々に小さな飛焼を交え、帽子は乱れ込みまたは直ぐに小丸となり、先が尖りごころに掃きかけるものが多い。
地鉄に畠田の見どころがある。板目に杢を交えて肌立ちごころとなる鍛えに、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、乱れ映りが鮮やかに立つ。正応年紀の太刀では、その映りが地斑映り状を呈する。肌立ちは守家ほど強くなく、しかし長船物よりは強い。上作が長船に紛れるとき、説明書が指摘するのはまさにこの点である。肌立つ鍛えの一方、小板目のよくつんだ精緻な肌合の一類もあり、伊予西条松平家伝来の一口は「同工極めの白眉」と評される。姿の上でも、長船の光忠等に比して鋒が延びる点が同派の見どころとされ、太刀は腰反り高く踏張りのある体配を保つ。
説明書は作域を、華やかな丁子乱れ、互の目に丁子の交じるもの、直刃調のものの三様に挙げ、総じて父守家より穏やかな出来が多いとする。銘もこの分かれに沿う。多くは二字銘で、「銘に太字のものと小振りのものとの二様があり」[[c:13]]、太字は守家に似た華やかな作に、小振りは「概して長光、景光に近い」[[c:4]]作に結び付く。本間順治は経眼中最も大銘で乱れも最も華やかな太刀を「初代作に相違ない」[[c:5]]と断じた。官職を冠した長銘は稀で、左馬允と右馬允の両様があり、右馬允銘の太刀は中直刃が浅くのたれ、現存稀な在銘の剣は小沸出来の細直刃に焼詰め帽子となる。銘の二様の背後には「同銘は二代あったと考えられるが、銘字による代別は目下のところ困難である」[[c:14]]という問題が横たわる。同名の刀工は平安時代の伯耆大原、鎌倉時代の備中青江派にも存するが、「銘振り、作風にそれぞれ相違のあることは勿論である」[[c:15]]と注記される。
上作において問われるのは、もはや父ではなく長船そのものである。正応二年紀の太刀は「一見長光の上作を思わせる」[[c:6]]とされ、肌立ち気味の地鉄にのみ畠田系らしさが窺われる。格付けについて説明書は率直で、「総体に守家に及ばず、特に帽子がそうである」[[c:16]]と記す。しかしこの率直さは裏から読めば、父に及ばぬとされる小模様で穏やかな乱れこそ、静かな作を長船の上手に近づける当のものである。無銘極めは同工自身の組合せ、すなわち蛙子丁子を交えた丁子乱れ、肌立ちごころの板目、鮮やかな乱れ映り、守家より一段小さい乱れに拠っており、特別重要の一口では茎の形状が「現存する真守の有銘作に酷似している」[[c:17]]ことが極めの決め手となった。在銘の太刀は比較的少なく、「短刀は未見」とされる。
藤代の格付けは上々作。指定を受けた作は五七口を数える。国宝はないが、重要文化財が六口あって安芸浅野家伝来の作を含み、戦前の重要美術品が五口、黒田長礼・黒川福三郎ら蒐集家の手を経た。特別重要刀剣五口・重要刀剣四一口、両指定で四六口に上る。伝来も顕著で、紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家のほか、毛利家・黒田家・前田家に伝わった。所在の知られるものは九州国立博物館・林原美術館・黒川古文化研究所などに収まる。蒐集家にとっては、長船の大名跡ほど遠い存在ではないが、なお忍耐を要する刀工である。市中に現れるものの多くは大磨上無銘の極め物で、その極めは小模様の蛙子丁子に拠っており、時折市場に姿を見せる。在銘はまた別である。二字銘の太刀は少なく、長銘・年紀の作はさらに稀で、ひとたび出れば、居住地と官職と年紀を作者自身の手に伝える資料として出色の出来事となる。
眞守の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
備前伝 · 備前
現在7点販売中
畠田派は鎌倉時代中期の備前国に興った一門で、長船村に直に隣接する畠田の地に住したことから、その祖を畠田守家と呼ぶ。守家および一門の真守らに「畠田住」と銘したものは未見で、いずれも「備前国長船住守家造」[[c:1]]などと長船住に切ることから、畠田はおそらく長船村のなかの小字であったと推察されている。守家には文永九年(一二七二)紀の太刀を最古として在銘作があり、長船光忠・長光と同時代に鍛えた工としてその名を立てる。銘鑑はその系を福岡一文字の守恒系に置くが、守家の作はすでに福岡一文字の古調を離れ、長船一派が古典の姿を結ぶその近き圏内に位置する。守家の代別はなお定まらず、通説は初代を光忠、二代を長光と同年代の刀工とする二代説を伝えるが、初二代を銘字のみで明確に分けることは難しく、一人説を唱える向きもあって、今後の研究課題とされている。 一門の作風は同時代の長船刀工に近似するが、地鉄が肌立ち、焼刃に蛙子丁子が目立つところに共通の特色がある。鍛えは板目に杢を交え、処々流れて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに入り、その上に乱れ映りが鮮やかに立つ。この肌立つ備前地に立つ冴えた映りは、ほぼ全作に挙げられる確かな見どころである。刃文は華やかな丁子乱れを主とし、腰のくびれた頭の丸い蛙子丁子を交え、袋丁子・重花丁子・互の目・尖りごころの刃を加え、足・葉さかんに入り、小沸つき、処々飛焼・湯走りを見せ、金筋・砂流し細かにかかり、匂口明るい。帽子は乱れ込んで小丸となり、しばしば尖りごころに掃きかける。蛙子丁子こそ最大の鑑識点で、光忠も交えるが、これほど中心に据えた同時代工はなく、長光には稀である。祖守家はこの華やかさをもっとも強く示し、地の肌立ちと刃沸の強さにおいて隣人の長船物を凌ぐ。子と伝える真守はその見どころをよく受け継ぐが、乱れがやや小模様となる傾向があり、銘も太字の華やかな作と、長光・景光に近い小振りの作とに分かれる。光守もまた焼幅の広い匂出来の丁子乱れを焼いて守家系に近く、いずれも蛙子丁子と鮮やかな乱れ映りという同じ作域から読まれる。 鑑定の勘所は、この一門を福岡一文字や長船嫡流から分かつ点にある。長船の名手の丁子が丸く豊かに張るところを、畠田のそれは腰でくびれ、そのくびれこそ畠田の刀の運ぶ最も確かな一事である。地もまた、光忠のつむ地に対して守家の地は肌立ち、刃沸はより強く集まる。それゆえ上作が長船に紛れるとき、極めの拠るのはまさにこの肌立つ鍛えと蛙子丁子であり、無銘作では蛙子が大房に乱れるところに極めどころがあるとされる。華やかな丁子乱れの傍らに、一門は穏やかな作域も持つ。守家後期の一群は片落ち互の目・角互の目を主調とし、鎌倉後期の長船正系に通い、子守重に至っては直刃調に互の目を交える手と、景光・元重を思わせる片落ち互の目とがあって、畠田派よりむしろ長船色が濃い。守重の子と伝える守長は南北朝の代に下り、沸の盛んな相伝備前風の乱れに転じて、もはや備前の脈は丁子の交じりとして残るのみとなる。かくして一派は次第に長船派へ溶け込んでいく。守家は藤代の極めで最上作とされ、その作は重要文化財・重要美術品に及び、徳川家・細川家・上杉家・三井家・奥平家、さらに皇室の手を経て、京都国立博物館・徳川美術館・静嘉堂文庫・永青文庫などに蔵される。真守・光守の作にも紀州徳川家・薩摩島津家・伊予西条松平家・堀田家・秋元家などの伝来が録され、名家の歴史を負って今日に伝わっている。 詳しく見る →
鎌倉時代は備前の頂点である。伝えでは一文字派の工が後鳥羽上皇の御番鍛冶に列し、世紀の半ばには光忠が長船派を興して、注文は公家からも武家政権からも流れ込んだ。国宝刀剣の数で備前に並ぶ国はない。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.