赤坂鐔工は、江戸時代初期に京都から移住した一派と伝え、江戸赤坂に移住したところからこの名がある。鉄鍔の地透かし鐔工としては京都、尾張、肥後などと共に高名であり江戸時代前期の上三代はすべて無銘である。 本作は二代赤坂忠正と鑑せられる鍔で、生い茂る薄の刃に露を結び、月を配した、いわゆる武蔵野図を透かしている。竪丸型の形どりに薄と露を地透とし、左端には三日月を陰透しとするなど陰陽の匠な構図がとられており、無駄な肉置きをしない洗練された彫口をみせている。また鉄の鍛えやさび色もよく、上部の尖った切羽台や小柄櫃孔に対して笄櫃孔が目立って小さいところや、三枚といわれる、鉄を重ねて鍛えた筋が耳にもよく表れ、古赤坂の特徴がよく出ている。古赤坂の重要指定品は点数が少なく貴重。
赤坂鐔工は、江戸時代初期に京都から移住した一派と伝え、江戸赤坂に居住したところからこの名がある。 鉄の地透鐔工としては、京・尾 張・肥後などと共に高名であり、江戸時代前期の上三代はすべて無銘である。 本作は二代赤坂忠正と鑑せられる鐔で、生いしげる薄の葉に露を結び、月を配した、いわゆる武蔵野図を透かしている。竪丸形の形取りに薄 と露を地透しとし、左端には三日月を陰透しとするなど陰陽の巧みな構図が取られており、無駄な肉置きをしない洗練された彫口をみせている。 また鉄の鍛えや錆色も頗るよく、上部の尖った切羽台や小柄櫃孔に比して笄櫃孔が目立って小さいところなどには、初代と共通する見処が明示 されている。






















忠正
Early Edo (d. 延宝五 1677)
武蔵
無銘
第52回重要刀装具 (NBTHK)
赤坂鐔工は、江戸時代初期に京都から移住した一派と伝え、江戸赤坂に居住したところからこの名がある。 鉄の地透鐔工としては、京・尾張・肥後などと共に高名であり、江戸時代前期の上三代はすべて無銘である。 本作は二代赤坂忠正と鑑せられる鐔で、生いしげる薄の葉に露を結び、月を配した、いわゆる武蔵野図を透かしている。竪丸形の形取りに薄と露を地透しとし、左端には三日月を陰透しとするなど陰陽の巧みな構図が取られており、無駄な肉置きをしない洗練された彫口をみせている。 また鉄の鍛えや錆色も頗るよく、上部の尖った切羽台や小柄櫃孔に比して笄櫃孔が目立って小さいところなどには、初代と共通する見処が明示されている。
鐔工 · 武蔵 · 1650-1677頃
現在1点販売中
赤坂派の二代忠正は、父の名と称を継いだ。説明は「赤坂忠正は、庄左衛門と称し同名で初二代いる」[[c:1]]とし、文政年間に子孫の忠時が幕府に提出した由緒書により、「初代忠正は明暦三年に歿し、二代忠正は延宝五年に歿したと記されている」[[c:2]]とする。古赤坂の上三代の常として、在銘作はない。
本工の名で記録される鐔は二枚である。一は撫角形の槌目地に竹・丁子・鯰を透した鉄鐔で、父子が並んで作鐔した頃の作と判じられ、「二代忠正が初代と共に作鐔していた頃の傑作と推考され、赤坂透鐔全体からみても極めて優れた鐔である」[[c:3]]とされる。二は薄に露と三日月の武蔵野を陰陽透に表した鐔で、説明は「本作は二代赤坂忠正と鑑せられる鐔で」[[c:4]]と明記し、無駄な肉置きをしない洗練された彫口を賞する。
両作は初・二代に共通する造込みの見処を備え、説明は「上部の尖った切羽台は赤坂初二代の特徴であり、小柄櫃孔にして笄櫃孔が小さいのも初二代の特徴である」[[c:5]]とする。ゆえにその手は父の手と並べて読まれ、説明が二代と鑑する作にのみ二代の名を与える。両作とも重要刀装具に指定されている。
忠正の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
鐔工 · Edo
時期区分: 古赤坂· 1624–1700
現在59点販売中
特別保存刀装具の中から、特に出来が優れ、美術工芸的価値が極めて高く、国認定の重要美術品に準ずると判断されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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