Q441. Tanto signed Fujiwara Korekazu Saku and dated Bunkyu (1861 – 1863) Tsuchinoye Ni Gatsu Hi.Nagasa: 10 5/16′′ 26.2 cm.Sori: .3 cm.Moto haba: 2.65 cm.Moto kasane: .4 cm.Nakago nagasa: 4 3/8′′ 10.9 cm.Overall in shirasaya: 17′′ 43 cm.Moroha zukuri, iore mune. The hada is a flowing masame overlain by ko itame on the omote and on the ura it is ko itame. The hamon is a gently undulating suguba in a bright and consistent nioi guchi covered in ko nie. There is sunagashi, kinsuji, and other subtle hataraki. The boshi ends in ko-maru with a long and complex kaeri. The tanto is in polish except for what are likely remnants of fingerprints running crossways at the middles of both sides (this presents as white, misty lines from the edge to the shinogi). There are a few tiny, tiny pin pricks, nothing really; otherwise the blade is flawless. The tanto is mounted in shirasaya with a nice gold foil habaki. There is a Tokubetsu Kicho paper from the NBTHK dated 1976.Unju Korekazu was the nephew of Chounsai Tsunatoshi, with whom he is thought to have studied. He was born in 1816 or 17 and died in 1891. He was the 7th generation of Korekazu and worked in the Ishido School. He was an important smith in late Shinshinto and is ranked Jo Jo Saku by Fujishiro.As always, my pictures don’t do justice, but I have given you a lot of them to look at; you can see every inch. 1 pound, 3 ounces. $2,950.









Edo Ishidō (Korekazu line, 7th generation) · 武蔵 · 1817-1891頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在7点販売中
是一は通称を政太郎といい、江戸石堂派の七代目、すなわち備前丁子の伝統を都に伝え、十九世紀の新々刀再興期にこれを保った一統の当主である。説明書はその素性をほぼ定型の伝記で諸指定に繰り返し記す。米沢藩工加藤長運斎綱俊の甥で、初め綱俊に鍛刀を学び、後に六代目石堂是一の聟となってこれを継ぎ、明治二十四年に七十五歳で歿した、と。作刀期は天保末年から明治初年に及び、現存は比較的多く、その大半が在銘年紀の刀である。彼は幕末の上手の列に立ち、説明書はその技を次郎太郎直勝・細川正義と肩を並べるものとする。
その手は意匠ではなく手法によって定まり、説明書はそれを幾度も同じように述べる。作は備前伝と相州伝に大別されるが、本領は石堂家の御家芸ともいえる備前丁子にあった。新々刀期の他の備前伝の刀工が丁子を匂出来で焼くのに対し、是一はこれを沸出来で焼いた。説明書は彼の独創性をまさにそこに見出し、世に「備前伝の丁子乱れを沸で焼いた」[[c:1]]と評される工と総括して、「ここに彼の独創性が窺える」[[c:2]]とする。よくつんだ小板目に丁子を主とし、互の目・小丁子・小互の目・尖りごころの刃を交え、足長く頻りに入り、匂深く、沸厚く処々荒めの沸を交えてやや叢づき、刃中を砂流しと長い金筋が走る。これは相州の地に運ばれた備前の刃であり、およそ五口に四口の刃中を縫う砂流しがその目に見える証である。
地鉄はその刃を支える終始変わらぬところである。小板目はよくつみ、時に流れ肌や杢を交え、地沸が微塵に厚くつき地景細かに頻りに入り、最も強くつまったところでは無地風に近づく。説明書はこの鍛えを本工の作中でも特に強いと特筆する。帽子は乱れ込んで小丸、しばしば先掃きかけ、放胆な作では火焰風に掃きかける。ある説明は帽子の所作に師綱俊の手くせを窺い、師との作風上の関係を推す。作そのものは生ぶの頑健な刀で、身幅広く重ね厚く、反りは浅きより深きに至り、中鋒延びごころないし大鋒に結び、茎は大筋違の化粧鑢に太鏨の六字長銘をきる。
この一個の完成した作域のうちに、説明書は時代の段階ではなく作域の分かれを読む。備前の沸出来丁子が中核にして記録の大半であり、極めはその最上を本工の典型作・優品と称える。彼自身が得意と称した相州伝の一面はその傍らに立つ。ここでは地がつむより肌立って流れ、刃文は小湾れ・互の目を沸に運んで砂流しを伴い、当時流行した沸出来の相州伝に近い。総金具を横谷宗寿が作った正式の蠟塗大小拵を伴う安政二年の大小や、角大助元興が鍛えて是一が焼刃を入れた会津の合作はその成功例で、後者を極めは「全く是一の作と見える」[[c:3]]とする。第三の、より稀な面は静かな手で、稀には直刃もあり、ある安政五年の刀は「是一としては、比較的おだやかな作風」[[c:6]]と特筆され、無地風の地に直刃調を焼いて互の目を交える。三面はいずれも匂深い沸出来を共有するゆえ、対立する様式ではなく、一つの沸の手を異なる地に働かせたものと読める。
是一を群がる備前伝再興のなかで別格たらしめるのは、ゆえに特徴ではなく手法であり、説明書は常にその線を同じように引く。新々刀期の多くの工は古備前の丁子乱れを匂で再現し得たが、是一は御家芸の丁子を保ちつつこれを沸で焼き、匂深く沸厚く、刃中に砂流し・金筋・沸筋を働かせ、匂口は明るく冴える。綱俊との繋がりは帽子に確かに認められるが、沸出来の手法は師の締まった匂本位の丁子からの彼自身の踏み出しである。彼は新々刀の諸計画のうち最も学究的なもの、すなわち鎌倉備前の忠実な写しを、描く文様ではなく鋼の焼き方を変えることによって我がものとした工である。
収集の観点では、是一は主だった新々刀の名のうち比較的入手しやすい一人であり、その記録はありのままに読むべきである。藤代の極めは上々作、刀工大鑑は四百を与える。国宝も重要文化財もなく、その評価は近代の指定の級に拠り、現に二十口余りの刀が昭和三十九年から平成にかけての各回にわたって重要刀剣に列している。これは健全で年紀のある在銘作が多く遺ることの反映である。説明書は最上をしばしば本工の代表作・典型作と称え、ある重要刀剣の刀については「運寿是一の本領が遺憾無く発揮された一口で、秀抜な出来映えを示している」[[c:4]]と記す。伝来の知られる一口に皇室の蔵するものがある。作はまた幕末の時代相をも帯びる。ある刀は時代相を映す「譲夷」の文字を彫り、真田家の注文になる一刀は万葉仮名で「この太刀に貯めし心は身一つよ、守るたまかは我が君のため」[[c:5]]と添える。在銘年紀の是一の刀は、一生に一度というよりはある程度の規律をもって真剣な収集家のもとに現れ、本領たる沸出来の丁子の佳作は、備前伝最後の開花の一片を手にする最も報いある道の一つである。
是一の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 武蔵
現在15点販売中
江戸石堂は、近江・京を経て武蔵江戸に根を下ろした石堂一門の分派であり、その本領は新刀の地に古一文字の丁子を再び挙げることにあった。石堂派はもともと近江に出て、福岡一文字の華麗な丁子乱れを範とした一統であるが、その一部の工が近江から京都へ、さらに江戸へと移って一派をなした。赤坂に残る銘がこの経路を示すとおり、これは近江からの直接移住ではなく、京を中継した段階的な江戸移住であった。江戸石堂を代表する工としては、日置光平、対馬守常光、越前守宗弘、そして運寿是一に至る石堂是一の系がある。彼らは寛永正保のころより筆を起こし、幕末新々刀期の是一に至るまで、都にあって備前丁子の伝統を一貫して保った。古作の写しを志向しつつ、その地刃は当代の明るい新刀のものであり、慶長新刀より寛文新刀へ移る過渡の体配を負う作も少なくない。 作風を貫くのは、意図して焼かれた備前丁子の乱れである。光平にあっては匂出来を主とし、互の目・小互の目・頭の丸い丁子・小丁子・尖りごころの刃を一線に交えて焼に高低をつけ、足・葉さかんに入り、匂口は明るく冴える。これを支えるのが、杢や流れ肌を交えた小板目をよく詰め、地沸を微塵につけた地の上に立つ乱れ映りであって、新刀の明るさのうちに古備前の趣を再び挙げたこの地こそ、一文字再興を最も徴づける見どころである。是一に至っては、同じ御家芸の丁子を匂出来ではなく沸出来で焼くところに独創を見せ、よく詰んだ小板目に丁子を主として互の目・小丁子・尖りごころの刃を交え、匂深く沸厚く、刃中を砂流しと長い金筋が走る。これは相州の地に運ばれた備前の刃であり、群がる新々刀の備前伝再興のなかで別格をなした。重花丁子の華やぎ、映りを伴う明るい地、沸づく丁子という三つの手は諸工に通じつつ、光平が映りの上の匂の丁子に最もよく成り、是一が沸の丁子に踏み出したように、同じ家の手が工ごとに分かれて働く。なお大和守安定のごとく、この一統に系を引きながらも、角張るのたれに互の目を交えて虎徹の傍らに立つ頑健な刀を本領とし、丁子の華麗には拠らぬ工も同じ江戸石堂の名のうちに数えられる。 鑑定の勘所は、新刀の明るい地に焼かれた復興丁子という一点に帰する。すなわち、よく詰んで地沸のついた小板目、ものによっては乱れ映りの立つ地の上に、足・葉のさかんに入る多種の丁子乱れが焼かれ、匂口が明るく冴えるところを見れば、まず江戸石堂を疑うべきである。匂出来か沸出来か、映りの有無、互の目の角張りの度合いによって工が分かれ、映りの上の冴えた丁子に光平を、沸出来の丁子に是一を読む。主要工のうち光平は江戸石堂を代表する最も技量の卓抜した工の一人とされて常光と双璧をなし、是一は幕末の上手の列に立って次郎太郎直勝・細川正義と肩を並べる。作はおおむね在銘で、銘より経歴と続柄を読み取れる開かれた記録をなし、無銘の極めに頼らぬ点も一派の特色である。伝来は概して私蔵・公蔵に静かに伝わるものが多く、なかには皇室の蔵する是一の一口も知られる。在銘の江戸石堂は折々市場に現れるに過ぎず、古備前の映りの上に立つ明るい丁子乱れを一見で知る者にとって、現れれば一事である。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
3-day return window from receipt.
Q441. Tanto signed Fujiwara Korekazu Saku and dated Bunkyu (1861 – 1863) Tsuchinoye Ni Gatsu Hi.Nagasa: 10 5/16′′ 26.2 cm.Sori: .3 cm.Moto haba: 2.65 cm.Moto kasane: .4 cm.Nakago nagasa: 4 3/8′′ 10.9 cm.Overall in shirasaya: 17′′ 43 cm.Moroha zukuri, iore mune. The hada is a flowing masame overlain by ko itame on the omote and on the ura it is ko itame. The hamon is a gently undulating suguba in a bright and consistent nioi guchi covered in ko nie. There is sunagashi, kinsuji, and other subtle hataraki. The boshi ends in ko-maru with a long and complex kaeri. The tanto is in polish except for what are likely remnants of fingerprints running crossways at the middles of both sides (this presents as white, misty lines from the edge to the shinogi). There are a few tiny, tiny pin pricks, nothing really; otherwise the blade is flawless. The tanto is mounted in shirasaya with a nice gold foil habaki. There is a Tokubetsu Kicho paper from the NBTHK dated 1976.Unju Korekazu was the nephew of Chounsai Tsunatoshi, with whom he is thought to have studied. He was born in 1816 or 17 and died in 1891. He was the 7th generation of Korekazu and worked in the Ishido School. He was an important smith in late Shinshinto and is ranked Jo Jo Saku by Fujishiro.As always, my pictures don’t do justice, but I have given you a lot of them to look at; you can see every inch. 1 pound, 3 ounces. $2,950.









Edo Ishidō (Korekazu line, 7th generation) · 武蔵 · 1817-1891頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位37%
現在7点販売中
是一は通称を政太郎といい、江戸石堂派の七代目、すなわち備前丁子の伝統を都に伝え、十九世紀の新々刀再興期にこれを保った一統の当主である。説明書はその素性をほぼ定型の伝記で諸指定に繰り返し記す。米沢藩工加藤長運斎綱俊の甥で、初め綱俊に鍛刀を学び、後に六代目石堂是一の聟となってこれを継ぎ、明治二十四年に七十五歳で歿した、と。作刀期は天保末年から明治初年に及び、現存は比較的多く、その大半が在銘年紀の刀である。彼は幕末の上手の列に立ち、説明書はその技を次郎太郎直勝・細川正義と肩を並べるものとする。
その手は意匠ではなく手法によって定まり、説明書はそれを幾度も同じように述べる。作は備前伝と相州伝に大別されるが、本領は石堂家の御家芸ともいえる備前丁子にあった。新々刀期の他の備前伝の刀工が丁子を匂出来で焼くのに対し、是一はこれを沸出来で焼いた。説明書は彼の独創性をまさにそこに見出し、世に「備前伝の丁子乱れを沸で焼いた」[[c:1]]と評される工と総括して、「ここに彼の独創性が窺える」[[c:2]]とする。よくつんだ小板目に丁子を主とし、互の目・小丁子・小互の目・尖りごころの刃を交え、足長く頻りに入り、匂深く、沸厚く処々荒めの沸を交えてやや叢づき、刃中を砂流しと長い金筋が走る。これは相州の地に運ばれた備前の刃であり、およそ五口に四口の刃中を縫う砂流しがその目に見える証である。
地鉄はその刃を支える終始変わらぬところである。小板目はよくつみ、時に流れ肌や杢を交え、地沸が微塵に厚くつき地景細かに頻りに入り、最も強くつまったところでは無地風に近づく。説明書はこの鍛えを本工の作中でも特に強いと特筆する。帽子は乱れ込んで小丸、しばしば先掃きかけ、放胆な作では火焰風に掃きかける。ある説明は帽子の所作に師綱俊の手くせを窺い、師との作風上の関係を推す。作そのものは生ぶの頑健な刀で、身幅広く重ね厚く、反りは浅きより深きに至り、中鋒延びごころないし大鋒に結び、茎は大筋違の化粧鑢に太鏨の六字長銘をきる。
この一個の完成した作域のうちに、説明書は時代の段階ではなく作域の分かれを読む。備前の沸出来丁子が中核にして記録の大半であり、極めはその最上を本工の典型作・優品と称える。彼自身が得意と称した相州伝の一面はその傍らに立つ。ここでは地がつむより肌立って流れ、刃文は小湾れ・互の目を沸に運んで砂流しを伴い、当時流行した沸出来の相州伝に近い。総金具を横谷宗寿が作った正式の蠟塗大小拵を伴う安政二年の大小や、角大助元興が鍛えて是一が焼刃を入れた会津の合作はその成功例で、後者を極めは「全く是一の作と見える」[[c:3]]とする。第三の、より稀な面は静かな手で、稀には直刃もあり、ある安政五年の刀は「是一としては、比較的おだやかな作風」[[c:6]]と特筆され、無地風の地に直刃調を焼いて互の目を交える。三面はいずれも匂深い沸出来を共有するゆえ、対立する様式ではなく、一つの沸の手を異なる地に働かせたものと読める。
是一を群がる備前伝再興のなかで別格たらしめるのは、ゆえに特徴ではなく手法であり、説明書は常にその線を同じように引く。新々刀期の多くの工は古備前の丁子乱れを匂で再現し得たが、是一は御家芸の丁子を保ちつつこれを沸で焼き、匂深く沸厚く、刃中に砂流し・金筋・沸筋を働かせ、匂口は明るく冴える。綱俊との繋がりは帽子に確かに認められるが、沸出来の手法は師の締まった匂本位の丁子からの彼自身の踏み出しである。彼は新々刀の諸計画のうち最も学究的なもの、すなわち鎌倉備前の忠実な写しを、描く文様ではなく鋼の焼き方を変えることによって我がものとした工である。
収集の観点では、是一は主だった新々刀の名のうち比較的入手しやすい一人であり、その記録はありのままに読むべきである。藤代の極めは上々作、刀工大鑑は四百を与える。国宝も重要文化財もなく、その評価は近代の指定の級に拠り、現に二十口余りの刀が昭和三十九年から平成にかけての各回にわたって重要刀剣に列している。これは健全で年紀のある在銘作が多く遺ることの反映である。説明書は最上をしばしば本工の代表作・典型作と称え、ある重要刀剣の刀については「運寿是一の本領が遺憾無く発揮された一口で、秀抜な出来映えを示している」[[c:4]]と記す。伝来の知られる一口に皇室の蔵するものがある。作はまた幕末の時代相をも帯びる。ある刀は時代相を映す「譲夷」の文字を彫り、真田家の注文になる一刀は万葉仮名で「この太刀に貯めし心は身一つよ、守るたまかは我が君のため」[[c:5]]と添える。在銘年紀の是一の刀は、一生に一度というよりはある程度の規律をもって真剣な収集家のもとに現れ、本領たる沸出来の丁子の佳作は、備前伝最後の開花の一片を手にする最も報いある道の一つである。
是一の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 武蔵
現在15点販売中
江戸石堂は、近江・京を経て武蔵江戸に根を下ろした石堂一門の分派であり、その本領は新刀の地に古一文字の丁子を再び挙げることにあった。石堂派はもともと近江に出て、福岡一文字の華麗な丁子乱れを範とした一統であるが、その一部の工が近江から京都へ、さらに江戸へと移って一派をなした。赤坂に残る銘がこの経路を示すとおり、これは近江からの直接移住ではなく、京を中継した段階的な江戸移住であった。江戸石堂を代表する工としては、日置光平、対馬守常光、越前守宗弘、そして運寿是一に至る石堂是一の系がある。彼らは寛永正保のころより筆を起こし、幕末新々刀期の是一に至るまで、都にあって備前丁子の伝統を一貫して保った。古作の写しを志向しつつ、その地刃は当代の明るい新刀のものであり、慶長新刀より寛文新刀へ移る過渡の体配を負う作も少なくない。 作風を貫くのは、意図して焼かれた備前丁子の乱れである。光平にあっては匂出来を主とし、互の目・小互の目・頭の丸い丁子・小丁子・尖りごころの刃を一線に交えて焼に高低をつけ、足・葉さかんに入り、匂口は明るく冴える。これを支えるのが、杢や流れ肌を交えた小板目をよく詰め、地沸を微塵につけた地の上に立つ乱れ映りであって、新刀の明るさのうちに古備前の趣を再び挙げたこの地こそ、一文字再興を最も徴づける見どころである。是一に至っては、同じ御家芸の丁子を匂出来ではなく沸出来で焼くところに独創を見せ、よく詰んだ小板目に丁子を主として互の目・小丁子・尖りごころの刃を交え、匂深く沸厚く、刃中を砂流しと長い金筋が走る。これは相州の地に運ばれた備前の刃であり、群がる新々刀の備前伝再興のなかで別格をなした。重花丁子の華やぎ、映りを伴う明るい地、沸づく丁子という三つの手は諸工に通じつつ、光平が映りの上の匂の丁子に最もよく成り、是一が沸の丁子に踏み出したように、同じ家の手が工ごとに分かれて働く。なお大和守安定のごとく、この一統に系を引きながらも、角張るのたれに互の目を交えて虎徹の傍らに立つ頑健な刀を本領とし、丁子の華麗には拠らぬ工も同じ江戸石堂の名のうちに数えられる。 鑑定の勘所は、新刀の明るい地に焼かれた復興丁子という一点に帰する。すなわち、よく詰んで地沸のついた小板目、ものによっては乱れ映りの立つ地の上に、足・葉のさかんに入る多種の丁子乱れが焼かれ、匂口が明るく冴えるところを見れば、まず江戸石堂を疑うべきである。匂出来か沸出来か、映りの有無、互の目の角張りの度合いによって工が分かれ、映りの上の冴えた丁子に光平を、沸出来の丁子に是一を読む。主要工のうち光平は江戸石堂を代表する最も技量の卓抜した工の一人とされて常光と双璧をなし、是一は幕末の上手の列に立って次郎太郎直勝・細川正義と肩を並べる。作はおおむね在銘で、銘より経歴と続柄を読み取れる開かれた記録をなし、無銘の極めに頼らぬ点も一派の特色である。伝来は概して私蔵・公蔵に静かに伝わるものが多く、なかには皇室の蔵する是一の一口も知られる。在銘の江戸石堂は折々市場に現れるに過ぎず、古備前の映りの上に立つ明るい丁子乱れを一見で知る者にとって、現れれば一事である。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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