説明

刀剣小町 刀 筑前國福岡住守次 白鞘入 拵付き (Katana Chikuzen no kuni Moritsugu) 朱塗腰刻鞘打刀拵 : 鯰図目貫(素銅地容彫)、海鼠透鐔(鉄地金象嵌)、縁頭・鐺(鉄地) 守次は、延宝頃の黒田藩工。是次(江戸石堂左近是一に学んだ師で従兄でもある)と並んで、福岡石堂派(筑前信国一派と共に、筑前新刀の双璧)を代表する上手な刀工です。 元禄14年5月6日69才で没しました。「筑前茎福岡住守次」「筑之前州住守次」「筑州福岡住守次」「筑前国権三兵衛尉守次」「筑前国福岡住半三兵衛尉守次為六十七歳造之」等と銘を切り、延宝三・四、天和四、元禄十三等の年紀作があります。福岡石堂派の作には、比較的反りが深くついた作が多く、本作も反りの深い傾向が見られます。「烏賊の頭」と称される独特の丁子刃で知られる守次ですが、直刃の技倆も優れていることを示す本作は貴重な一振りと言えます。楷・行・隷書交じりの、特色のある銘字も見どころです。 素銅地金着二重ハバキ、白鞘、白鞘袋、拵、拵袋、登録証(京都府5189号 昭和廿六年十二月拾日交付)、

刀 白鞘入り 拵付き
Tokuho

刀 白鞘入り 拵付き

¥1,250,000

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仕様

長さ

72.11 cm

反り

1.8 cm

元幅

3.26 cm

先幅

2.09 cm

流派について

Fukuoka Ishido School福岡石堂派

福岡石堂は、筑前国福岡を本拠として新刀期に興った一派である。説示はこれを、筑前信国一派と並んで筑前新刀の双璧をなすものと位置づけ、是次・守次の二工をもって一派を代表する上手と記している。その出自は江戸石堂に遡る。代表工是次は寛永五年に生まれ、明暦元年に藩公黒田光之の命を受けて江戸へ上り、武蔵大掾左近是一の門に入って備前伝を修め、三年の後に帰国して黒田家に仕えた。守次は父利平の歿後、従兄の是次に師事し、是次の嫡男利次が父に先んじて歿したため嫡家を相続したと伝えられる。すなわち福岡石堂は、黒田藩の庇護のもとで是一を介して石堂の備前伝を承け、筑前の地に古一文字風の丁子を再興した分派にほかならない。是次は天和元年に五十三歳で歿し、守次は元禄十四年に六十九歳で歿したと説示は記す。 作風について説示が繰り返し挙げるのは、是一の影響を受けて鍛えに柾気を帯びる点である。地鉄は小板目あるいは板目がよくつみ、総体に流れて下半が強く流れ柾がかり、地沸が微塵につき、乱れ映り、ないし直ぐ状の映りが立つ。刃文は焼幅を広く取り、丁子乱れに互の目・小互の目・角ばる刃・尖りごころの刃など多種の刃を交えて華やかに乱れ、足・葉がよく入り、匂勝ちに小沸がつく。重花丁子や蛙子を交えるものもある。最も顕著な見どころは、丁子の乱れが総体に逆がかること、そして処々で焼頭が鎬にかかるほど焼幅が広く、刃中に俗に「烏賊の頭」と称される独特の丸い刃が交じる点である。さらに帽子の焼が深く、物打より上に飛焼・棟焼をさかんに交えること、銘を楷・行・隷書を交えた特色ある書風に切ることも見どころに数えられる。説示が名を挙げる工は、是次・守次のほか、守次とその子守昌の合作、そして守次の父利平である。 伝承と鑑定の要点として、説示は是次と守次の姿の差をしばしば注意する。是次には反りの浅い寛文新刀然とした造込みが多く、守次には比較的反りの深いものがよく見られるとし、これを同派の姿の特色とする。一方で、逆がかりが顕著でない作もあり、その場合でも柾がかる鍛え・立つ映り・「烏賊の頭」・深い帽子の焼によって同工同派と判ぜられる。代表作としては、寛文九年紀の長銘・年紀・注文者銘を備えた一口(注文者を讃岐香西氏の一族かと推する)、寛文六年紀の身幅極めて広い長寸の奉納刀、截断銘を伴う是次の作、「以南蛮鉄造之」の添銘を持つ守次の作、守次・守昌の合作で彫物を伴う一口などが説示に記され、年紀や截断銘・南蛮鉄銘はいずれも同派研究上の好資料とされる。かくして福岡石堂は、江戸石堂を介して備前伝を承け、柾がかる地鉄と逆がかる丁子という独自の風を筑前の地に確立した一派として位置づけられている。

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