説明

Stock number:WA-020121Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon TokenCountry・Era:Hizen(Saga)・Middle Edo period about 1658~Blade length(Cutting edge): 44.7cmCurve(SORI): 1.0cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.24cmThickness at the Moto-Kasane: 0.62cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.65cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, silver HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Kiriyasuri file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Chu-kissaki,Shinogizukuri,IorimuneJigane(Hada): Koitame and KomenukaTemper patterns(Hamon): Chu-suguha with Konie (mixed Gunome-midare)Temper patterns in the point(Bohshi): Sugu then Ko-Maru round tipRegistration Card: Tokyo・1952【Additional Information】陸奥守忠吉は近江大掾忠広の子で、万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に改名。貞享三年、八十歳の高齢をもって天寿を全うした父に先立って、五十歳の若さで没しています。二代近江大掾忠広が嫡子陸奥守忠吉(三代目)の亡き後は孫の近江大掾忠吉(四代目)を指導したと伝えられています。このように陸奥守忠吉は作刀期間が短かった事、父の代作に任じていた期間が長かったことで、在銘遺作は極めて少なく、在銘品は大変貴重な御刀ということになります。本品はその中でも身幅広く、重ねが厚い豪壮な新刀姿で、先幅も落ちず姿がよく出来映えも上々であり、三代陸奥の代表作品といってよい傑出な一振であります。陸奥守忠吉は三代陸奥と号され現代に於いても超人気刀匠に数えられています。本刀は、身幅広く、重ねが厚い豪壮な新刀姿で、先幅も落ちず、反り頃合、鎬筋凛とし、肥前の上作らしく姿は抜群であり、健体ぶりを十二分に示す文句なしの御刀です。地金は小板目肌深く錬れてよく詰んだ潤いのある小糠肌で細かい地景がかかります。これは肥前刀肌と云われる肥前刀の上作に見られる特有の肌合いです。刃文は最も得意とする匂いが深めで明るく冴え、加えて刃縁に小沸が帯状につく中直刃を焼いています。所々に細かな金筋かかり働きます。鋩子はそのまま直でふくらに沿い小丸へ上品に返ります。茎は錆味も良く生ぶな姿を伝えて、刻銘は力強く誠に立派。最上大業物の位列する本作は地金の良さを見ているだけでも、その裁断性能を容易に想像できるものであり、醍醐味はばっちりです。代々忠吉宗家の出来は本来直刃です。本品も同様な刃紋で、小沸が明るく冴える出色した出来映えを示した一振で、加えて姿も抜群であるなど、人目を引く十分な魅力に溢れた傑作刀であります。白鞘、銀無垢二重はばき、特別保存刀剣鑑定書

Wakizashi [Hizenkoku-ju Mutsuno-kami Tadayoshi(Saijo-O-wazamono)] [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token
売切れ
Tokuho売切れ

Wakizashi [Hizenkoku-ju Mutsuno-kami Tadayoshi(Saijo-O-wazamono)] [N.B.T.H.K] Tokubetsu Hozon Token

脇差

売却済

世界81社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

44.7 cm

反り

1 cm

元幅

3.24 cm

先幅

2.65 cm

作者について

Hizen Tadayoshi忠吉

2 御物9 特別重要刀剣49 重要刀剣

忠吉は肥前一門の本家が継いだ名で、慶長以来佐賀にあって鍋島藩の抱え工であった。初代橋本新左衛門は慶長元年に藩命により上洛し、「京の埋忠明寿の門に学び」、帰国して佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに繁栄した後、再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めている。その五字在銘の刀一口は慶長新刀の時代色をよく示し、身幅広く元先の幅差少なく、反り浅く大鋒の体配に、小板目の*地鉄*に*地沸*つき*地景*細かに入り、直刃調に浅くのたれた刃を焼いて足・葉よく入り*小沸*のつく。もっとも本コードに集まる作域は概ね後代の手であり、最もよく描き出されるのは三代陸奥守忠吉である。二代近江大掾忠広の嫡子で、土佐守家歿後に本家へ忠吉銘が返上されて襲名し、説明書はこれを肥前本家上三代中最上の鍛冶とする。 その典型は抑えのきいた作域にある。よくつんだ*小板目*の上に、説明書が「彼が最も得意とした中直刃」と評する*中直刃*を焼き、処々浅く*のたれ*て僅かに小互の目ごころを交え、小足・葉入り、*匂*深く*小沸*よくつき、細かに*金筋*・*砂流し*がかかって*匂口*の明るく冴える。*帽子*は終始直ぐの*小丸*で、時に深く返り先*掃きかけ*る。姿は幅広く長寸で重ね厚く手持ち重く、説明書はこれを父ならぬ祖父の手と読み、「父よりもむしろ祖父の初代忠吉を想わせる」と繰り返す。 声価の拠るところは*地鉄*である。よく鍛えた*小板目*が肥前の*米糠肌*となり、*地沸*が微塵に厚く均しくつき、*地景*が入って深みを加え、かね冴える。説明書は本家上三代のうちその鍛えを「上三代の中で最も強く精美」とし、また「鍛えの良さは彼の真骨頂」とその鍛錬の良さを彼の本領とする。その地に対して刃文は比較的おだやかで、働きは大きな房ではなく深い*匂*と*小沸*、細かな*金筋*・*砂流し*、そして何より*匂口*の冴えに托される。 直刃の傍らには華やかな肥前丁子の作域がある。丁子の乱刃も上手で、互の目を交えた*丁子乱れ*に太く*足*が入り、*金筋*・*砂流し*かかり、*匂*深く*小沸*つく。ある太刀の丁子は父のそれに近く、説明書は常に見る陸奥の作風と分かって「父近江の丁子乱に見紛うもの」と評する。直刃の静けさに対する明るい一面である。いま一つ説明書が説くのは五字銘の稀少である。ある「肥前国忠吉」五字銘の刀は、銘の鏨使い・目釘孔の位置・作風より初代ならず三代と鑑せられ、「同工の五字忠銘は極めて珍しく」、同工を知る上で貴重な資料とされる。また本家は刀の場合に指裏、すなわち太刀銘に切るのを常とし、「刀の場合に指裏」でなく差表に切る作は特に真偽に注意すべきと諭す。 本家のうちで三代を分かつのは、まさに極めの言うところである。その作品が比較的少ないのは、作刀期間が短かったことと、長命・多作の父の代作に任じていたためであり、二代近江大掾忠広が一門の広く開かれた記録であるのに対し、三代はその最も強く精良な手である。明るい*米糠肌*の直刃と力強い姿は後の肥前刀を読む基準をなし、説明書は彼を父からは鍛えの強さと地刃の冴えによって、初代からは鉄のつみと精良さによって分かつ。彼が守るのは保守の道、祖父の直刃を最上の冴えで継いだ手である。 収集の観点では、知り得る、そして鎌倉の大名跡に比べれば手の届く名である。藤代の極めは上々作。国宝・重要文化財はなく、その声価は特別重要刀剣九口と重要刀剣四十九口、両位あわせて五十八口に拠り、特別重要刀剣の数口を説明書は彼の最高の出来と評し、うち一口は「藩政時代は鍋島家に伝来した」一振りである。来歴は記録される限り皇室と、その家が仕えた鍋島家を通じている。本家在銘の肥前忠吉は相応の数が残り、鎌倉の巨匠とは比すべくもなく世に出やすいため、重要刀剣位の極めある一口は根気強い収集家にとって決して手の届かぬものではなく、一方で三代最上の米糠肌に直刃を焼いた健全で堂々たる刀が世に現れるのは時折のことで、現れれば一つの里程標となる。

刀剣商

銀座誠友堂

world-seiyudo.com

売切れ