説明

受付時間:9:00~18:00 店休日:第一・第三日曜TEL.0258-33-8510ホーム会社案内商品紹介日本刀 刀剣 JapaneseSword刀装具 tousougu買取案内よくあるご質問日本刀ブログ売買規約(特定取引法に基づく標記)刀 肥前国住陸奥守忠吉品番 A380103銘文 肥前国住陸奥守忠吉Sign Hizen no kuni jyu Mutsunokami Tadayoshi価格 売却済price sold鑑定 財)日本刀剣保存協会 重要刀剣Certif [N.B.T.H.K]Jyuyo Touken寸法 長さ 2尺5寸(75,9cm) 反り 16mm 目釘穴 2個元幅 30mm 先幅 20mm 元重 mmSize Blade length 49,7cm Curvature 14mm Mekugi 2Hole国 肥前国Country Hizen時代 寛文~天和頃Period AD1665〜1700形状 鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、反り深くつき、中切先延びる鍛え 小板目肌よく詰み、地沸微塵に厚くつき、チケイ細かに入る刃文 浅いのたれを基調に、小足よく入り、小沸よくつき、のたれの谷に沸がよくついて凝った風があり、細かに金筋・砂流しかかり、匂口明るく冴える帽子 直ぐに小丸、返りを棟に寄せて長く焼き、先わずかに掃きかける中心 生ぶ、先栗尻、鑢目勝手上り白鞘 有解説陸奥守忠吉は近江大掾忠広の嫡子で、本家の三代目となる。忠吉襲名は土佐守忠吉死後、土佐守が本家に忠吉銘を返上したためである。万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に転じ、貞享三年、父二代忠広に先立つこと五十で亡くなっている。作品が少ないのは、作刀期間が短かったことと併せて、父の代作に任じていたためであろう。作風は父よりむしろ初代忠吉に近い風があり直ぐ刃を最も得意とし、丁子乱れも上手である。地鉄が初代、二代に比べて強く感じるのも特徴である。本作は浅い小のたれを基調とした刃取りに、小足がよく入り、匂の深い作域をみせているが、小沸がむらなくよくつき、細かに金筋・砂流しがかかって刃中に働きが見られ、匂口が明るく冴えている点などに三代忠吉の特徴が示されている。また、鍛えは通常の肥前刀に比べ、地沸が厚くつき、チケイが細かによく入って一層目立ち総じて地鉄が強く感じられる。さらに、帽子の返りが長く、かつ棟によって堅くとまっているなどこれもまた同工独特の特徴がでている。三代陸奥忠吉の特色がよく表示された一口で、地刃共に健全で出来が優れているお問い合わせフォームはこちらご注文はこちらからどうぞお問い合わせ・ご注文はこちらから〜コピーお問い合わせフォームはこちらご注文はこちらからどうぞお電話でのお問い合わせはこちらまで0258-33-8510お気付きの点、ご不明な点がございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。日本刀の魅力名物刀剣とは刀装具とは日本刀の時代と特徴刀剣に関することわざ刀工位列表諸工作 研ぎ 白鞘 ツナギなどリンク集English刀剣鑑定士とは国内外の豊富な販売販路株式会社 和敬堂〒940-0088新潟県長岡市柏町1-2-16TEL.0258-33-8510FAX.0258-33-8511Mail contact@wakeidou.com古物許可番号新潟県公安委員会長岡第461190001328日本刀・刀剣の販売・買取・鑑定672439|ホーム|会社案内|商品紹介|買取案内|よくあるご質問|売買規約(特定取引法に基づく標記)|日本刀の魅力|名物刀剣とは|刀装具とは|日本刀の時代と特徴|刀工位列表|諸工作 研ぎ 白鞘 ツナギなど|リンク集|English|国内外の豊富な販売販路|〒940-0088 新潟県長岡市柏町1-2-16 TEL:0258-33-8510 FAX:0258-33-8511Copyright©株式会社和敬堂All Rights Reserved.JCL-400-000-004-475-969特定取引法に基づく標記個人情報保護方針サイトマップ Site map当サイトでは利便性や品質向上のため、Cookieを使用することを推奨しています。利用する場合は同意するを選択してください。同意をしない場合は、一部機能がご利用できません。詳細はこちら同意する拒否するTOPへ戻る

刀 肥前国住陸奥守忠吉
売切れ
Jūyō売切れ

刀 肥前国住陸奥守忠吉

売却済

世界76社の刀剣商を横断追跡 · 価格履歴 · 売却アーカイブ

仕様

長さ

75.9 cm

反り

1.6 cm

元幅

3 cm

先幅

2 cm

作者について

Hizen Tadayoshi忠吉

2 御物9 特別重要刀剣49 重要刀剣

忠吉は肥前一門の本家が継いだ名で、慶長以来佐賀にあって鍋島藩の抱え工であった。初代橋本新左衛門は慶長元年に藩命により上洛し、「京の埋忠明寿の門に学び」、帰国して佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに繁栄した後、再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めている。その五字在銘の刀一口は慶長新刀の時代色をよく示し、身幅広く元先の幅差少なく、反り浅く大鋒の体配に、小板目の*地鉄*に*地沸*つき*地景*細かに入り、直刃調に浅くのたれた刃を焼いて足・葉よく入り*小沸*のつく。もっとも本コードに集まる作域は概ね後代の手であり、最もよく描き出されるのは三代陸奥守忠吉である。二代近江大掾忠広の嫡子で、土佐守家歿後に本家へ忠吉銘が返上されて襲名し、説明書はこれを肥前本家上三代中最上の鍛冶とする。 その典型は抑えのきいた作域にある。よくつんだ*小板目*の上に、説明書が「彼が最も得意とした中直刃」と評する*中直刃*を焼き、処々浅く*のたれ*て僅かに小互の目ごころを交え、小足・葉入り、*匂*深く*小沸*よくつき、細かに*金筋*・*砂流し*がかかって*匂口*の明るく冴える。*帽子*は終始直ぐの*小丸*で、時に深く返り先*掃きかけ*る。姿は幅広く長寸で重ね厚く手持ち重く、説明書はこれを父ならぬ祖父の手と読み、「父よりもむしろ祖父の初代忠吉を想わせる」と繰り返す。 声価の拠るところは*地鉄*である。よく鍛えた*小板目*が肥前の*米糠肌*となり、*地沸*が微塵に厚く均しくつき、*地景*が入って深みを加え、かね冴える。説明書は本家上三代のうちその鍛えを「上三代の中で最も強く精美」とし、また「鍛えの良さは彼の真骨頂」とその鍛錬の良さを彼の本領とする。その地に対して刃文は比較的おだやかで、働きは大きな房ではなく深い*匂*と*小沸*、細かな*金筋*・*砂流し*、そして何より*匂口*の冴えに托される。 直刃の傍らには華やかな肥前丁子の作域がある。丁子の乱刃も上手で、互の目を交えた*丁子乱れ*に太く*足*が入り、*金筋*・*砂流し*かかり、*匂*深く*小沸*つく。ある太刀の丁子は父のそれに近く、説明書は常に見る陸奥の作風と分かって「父近江の丁子乱に見紛うもの」と評する。直刃の静けさに対する明るい一面である。いま一つ説明書が説くのは五字銘の稀少である。ある「肥前国忠吉」五字銘の刀は、銘の鏨使い・目釘孔の位置・作風より初代ならず三代と鑑せられ、「同工の五字忠銘は極めて珍しく」、同工を知る上で貴重な資料とされる。また本家は刀の場合に指裏、すなわち太刀銘に切るのを常とし、「刀の場合に指裏」でなく差表に切る作は特に真偽に注意すべきと諭す。 本家のうちで三代を分かつのは、まさに極めの言うところである。その作品が比較的少ないのは、作刀期間が短かったことと、長命・多作の父の代作に任じていたためであり、二代近江大掾忠広が一門の広く開かれた記録であるのに対し、三代はその最も強く精良な手である。明るい*米糠肌*の直刃と力強い姿は後の肥前刀を読む基準をなし、説明書は彼を父からは鍛えの強さと地刃の冴えによって、初代からは鉄のつみと精良さによって分かつ。彼が守るのは保守の道、祖父の直刃を最上の冴えで継いだ手である。 収集の観点では、知り得る、そして鎌倉の大名跡に比べれば手の届く名である。藤代の極めは上々作。国宝・重要文化財はなく、その声価は特別重要刀剣九口と重要刀剣四十九口、両位あわせて五十八口に拠り、特別重要刀剣の数口を説明書は彼の最高の出来と評し、うち一口は「藩政時代は鍋島家に伝来した」一振りである。来歴は記録される限り皇室と、その家が仕えた鍋島家を通じている。本家在銘の肥前忠吉は相応の数が残り、鎌倉の巨匠とは比すべくもなく世に出やすいため、重要刀剣位の極めある一口は根気強い収集家にとって決して手の届かぬものではなく、一方で三代最上の米糠肌に直刃を焼いた健全で堂々たる刀が世に現れるのは時折のことで、現れれば一つの里程標となる。

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