受付時間:9:00~18:00 店休日:第一・第三日曜TEL.0258-33-8510ホーム会社案内商品紹介日本刀 刀剣 JapaneseSword刀装具 tousougu買取案内よくあるご質問日本刀ブログ売買規約(特定取引法に基づく標記)刀 肥前国住陸奥守忠吉品番 A380103銘文 肥前国住陸奥守忠吉Sign Hizen no kuni jyu Mutsunokami Tadayoshi価格 売却済price sold鑑定 財)日本刀剣保存協会 重要刀剣Certif [N.B.T.H.K]Jyuyo Touken寸法 長さ 2尺5寸(75,9cm) 反り 16mm 目釘穴 2個元幅 30mm 先幅 20mm 元重 mmSize Blade length 49,7cm Curvature 14mm Mekugi 2Hole国 肥前国Country Hizen時代 寛文~天和頃Period AD1665〜1700形状 鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、反り深くつき、中切先延びる鍛え 小板目肌よく詰み、地沸微塵に厚くつき、チケイ細かに入る刃文 浅いのたれを基調に、小足よく入り、小沸よくつき、のたれの谷に沸がよくついて凝った風があり、細かに金筋・砂流しかかり、匂口明るく冴える帽子 直ぐに小丸、返りを棟に寄せて長く焼き、先わずかに掃きかける中心 生ぶ、先栗尻、鑢目勝手上り白鞘 有解説陸奥守忠吉は近江大掾忠広の嫡子で、本家の三代目となる。忠吉襲名は土佐守忠吉死後、土佐守が本家に忠吉銘を返上したためである。万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に転じ、貞享三年、父二代忠広に先立つこと五十で亡くなっている。作品が少ないのは、作刀期間が短かったことと併せて、父の代作に任じていたためであろう。作風は父よりむしろ初代忠吉に近い風があり直ぐ刃を最も得意とし、丁子乱れも上手である。地鉄が初代、二代に比べて強く感じるのも特徴である。本作は浅い小のたれを基調とした刃取りに、小足がよく入り、匂の深い作域をみせているが、小沸がむらなくよくつき、細かに金筋・砂流しがかかって刃中に働きが見られ、匂口が明るく冴えている点などに三代忠吉の特徴が示されている。また、鍛えは通常の肥前刀に比べ、地沸が厚くつき、チケイが細かによく入って一層目立ち総じて地鉄が強く感じられる。さらに、帽子の返りが長く、かつ棟によって堅くとまっているなどこれもまた同工独特の特徴がでている。三代陸奥忠吉の特色がよく表示された一口で、地刃共に健全で出来が優れているお問い合わせフォームはこちらご注文はこちらからどうぞお問い合わせ・ご注文はこちらから〜コピーお問い合わせフォームはこちらご注文はこちらからどうぞお電話でのお問い合わせはこちらまで0258-33-8510お気付きの点、ご不明な点がございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。日本刀の魅力名物刀剣とは刀装具とは日本刀の時代と特徴刀剣に関することわざ刀工位列表諸工作 研ぎ 白鞘 ツナギなどリンク集English刀剣鑑定士とは国内外の豊富な販売販路株式会社 和敬堂〒940-0088新潟県長岡市柏町1-2-16TEL.0258-33-8510FAX.0258-33-8511Mail contact@wakeidou.com古物許可番号新潟県公安委員会長岡第461190001328日本刀・刀剣の販売・買取・鑑定672439|ホーム|会社案内|商品紹介|買取案内|よくあるご質問|売買規約(特定取引法に基づく標記)|日本刀の魅力|名物刀剣とは|刀装具とは|日本刀の時代と特徴|刀工位列表|諸工作 研ぎ 白鞘 ツナギなど|リンク集|English|国内外の豊富な販売販路|〒940-0088 新潟県長岡市柏町1-2-16 TEL:0258-33-8510 FAX:0258-33-8511Copyright©株式会社和敬堂All Rights Reserved.JCL-400-000-004-475-969特定取引法に基づく標記個人情報保護方針サイトマップ Site map当サイトでは利便性や品質向上のため、Cookieを使用することを推奨しています。利用する場合は同意するを選択してください。同意をしない場合は、一部機能がご利用できません。詳細はこちら同意する拒否するTOPへ戻る
陸奥守忠吉は近江大掾忠広の嫡子で、本家三代目を継いでいる。 忠吉襲名は土佐守忠吉歿後、土佐守家が本家に忠吉 銘を返上したためである。 万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に転じ、貞享三年、父二代忠広に先立つこ と七年、五十歳で歿している。作品が比較的少ないのは、作刀期間が割合短かったことと併せて、父の代作に任じていた ためであろう。作風は父よりもむしろ祖父の初代忠吉に近く、直刃を最も得意としており、他に丁子乱れも上手であり、 その非凡の技量を遺憾なく発揮している。 この刀は、浅い小のたれを基調とした刃取りに、小足がよく入り、旬の深い作域を見せているが、小沸がむらなくよく つき、細かに金筋・砂流し等がかかって刃中に働きが見られ、匂口が明るく冴えている点などに三代忠吉の特徴が示され ている。また、鍛えは通常の肥前刀に比べ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入って一層目立ち、総じてかねが 強く感じられる。さらに、帽子の返りが長く、かつ棟によって堅くとまっている態など、これもまた同工独特のものであ る。三代忠吉の特色がよく表示された一口で、地刃共に健全で出来が優れている。









陸奥守忠吉は近江大掾忠広の嫡子で、本家三代目を継いでいる。 忠吉襲名は土佐守忠吉歿後、土佐守家が本家に忠吉 銘を返上したためである。 万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に転じ、貞享三年、父二代忠広に先立つこ と七年、五十歳で歿している。作品が比較的少ないのは、作刀期間が割合短かったことと併せて、父の代作に任じていた ためであろう。作風は父よりもむしろ祖父の初代忠吉に近く、直刃を最も得意としており、他に丁子乱れも上手であり、 その非凡の技量を遺憾なく発揮している。 この刀は、浅い小のたれを基調とした刃取りに、小足がよく入り、旬の深い作域を見せているが、小沸がむらなくよく つき、細かに金筋・砂流し等がかかって刃中に働きが見られ、匂口が明るく冴えている点などに三代忠吉の特徴が示され ている。また、鍛えは通常の肥前刀に比べ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入って一層目立ち、総じてかねが 強く感じられる。さらに、帽子の返りが長く、かつ棟によって堅くとまっている態など、これもまた同工独特のものであ る。三代忠吉の特色がよく表示された一口で、地刃共に健全で出来が優れている。
Hizen Tadayoshi (Saga) · 肥前 · 1662-1681頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位8%
現在4点販売中
忠吉は肥前一門の本家が継いだ名で、慶長以来佐賀にあって鍋島藩の抱え工であった。初代橋本新左衛門は慶長元年に藩命により上洛し、「京の埋忠明寿の門に学び」[[c:9]]、帰国して佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに繁栄した後、再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めている。その五字在銘の刀一口は慶長新刀の時代色をよく示し、身幅広く元先の幅差少なく、反り浅く大鋒の体配に、小板目の地鉄に地沸つき地景細かに入り、直刃調に浅くのたれた刃を焼いて足・葉よく入り小沸のつく。もっとも本コードに集まる作域は概ね後代の手であり、最もよく描き出されるのは三代陸奥守忠吉である。二代近江大掾忠広の嫡子で、土佐守家歿後に本家へ忠吉銘が返上されて襲名し、説明書はこれを肥前本家上三代中最上の鍛冶とする。
その典型は抑えのきいた作域にある。よくつんだ小板目の上に、説明書が「彼が最も得意とした中直刃」[[c:1]]と評する中直刃を焼き、処々浅くのたれて僅かに小互の目ごころを交え、小足・葉入り、匂深く小沸よくつき、細かに金筋・砂流しがかかって匂口の明るく冴える。帽子は終始直ぐの小丸で、時に深く返り先掃きかける。姿は幅広く長寸で重ね厚く手持ち重く、説明書はこれを父ならぬ祖父の手と読み、「父よりもむしろ祖父の初代忠吉を想わせる」[[c:2]]と繰り返す。
声価の拠るところは地鉄である。よく鍛えた小板目が肥前の米糠肌となり、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が入って深みを加え、かね冴える。説明書は本家上三代のうちその鍛えを「上三代の中で最も強く精美」[[c:3]]とし、また「鍛えの良さは彼の真骨頂」[[c:4]]とその鍛錬の良さを彼の本領とする。その地に対して刃文は比較的おだやかで、働きは大きな房ではなく深い匂と小沸、細かな金筋・砂流し、そして何より匂口の冴えに托される。
直刃の傍らには華やかな肥前丁子の作域がある。丁子の乱刃も上手で、互の目を交えた丁子乱れに太く足が入り、金筋・砂流しかかり、匂深く小沸つく。ある太刀の丁子は父のそれに近く、説明書は常に見る陸奥の作風と分かって「父近江の丁子乱に見紛うもの」[[c:5]]と評する。直刃の静けさに対する明るい一面である。いま一つ説明書が説くのは五字銘の稀少である。ある「肥前国忠吉」五字銘の刀は、銘の鏨使い・目釘孔の位置・作風より初代ならず三代と鑑せられ、「同工の五字忠銘は極めて珍しく」[[c:6]]、同工を知る上で貴重な資料とされる。また本家は刀の場合に指裏、すなわち太刀銘に切るのを常とし、「刀の場合に指裏」でなく差表に切る作は特に真偽に注意すべきと諭す。
本家のうちで三代を分かつのは、まさに極めの言うところである。その作品が比較的少ないのは、作刀期間が短かったことと、長命・多作の父の代作に任じていたためであり、二代近江大掾忠広が一門の広く開かれた記録であるのに対し、三代はその最も強く精良な手である。明るい米糠肌の直刃と力強い姿は後の肥前刀を読む基準をなし、説明書は彼を父からは鍛えの強さと地刃の冴えによって、初代からは鉄のつみと精良さによって分かつ。彼が守るのは保守の道、祖父の直刃を最上の冴えで継いだ手である。
収集の観点では、知り得る、そして鎌倉の大名跡に比べれば手の届く名である。藤代の極めは上々作。国宝・重要文化財はなく、その声価は特別重要刀剣九口と重要刀剣四十九口、両位あわせて五十八口に拠り、特別重要刀剣の数口を説明書は彼の最高の出来と評し、うち一口は「藩政時代は鍋島家に伝来した」[[c:8]]一振りである。来歴は記録される限り皇室と、その家が仕えた鍋島家を通じている。本家在銘の肥前忠吉は相応の数が残り、鎌倉の巨匠とは比すべくもなく世に出やすいため、重要刀剣位の極めある一口は根気強い収集家にとって決して手の届かぬものではなく、一方で三代最上の米糠肌に直刃を焼いた健全で堂々たる刀が世に現れるのは時折のことで、現れれば一つの里程標となる。
忠吉の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 肥前
現在122点販売中
肥前忠吉派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトインターネット購入のお客様のみ対象です。お手元で商品をご覧頂き、現物にご納得頂けないない場合は、商品に異常がない限り7日以内でしたらご返品を受付を致します。お客様のご都合での返品の送料はお客様のご負担となりますので元払いにて送ってください。

受付時間:9:00~18:00 店休日:第一・第三日曜TEL.0258-33-8510ホーム会社案内商品紹介日本刀 刀剣 JapaneseSword刀装具 tousougu買取案内よくあるご質問日本刀ブログ売買規約(特定取引法に基づく標記)刀 肥前国住陸奥守忠吉品番 A380103銘文 肥前国住陸奥守忠吉Sign Hizen no kuni jyu Mutsunokami Tadayoshi価格 売却済price sold鑑定 財)日本刀剣保存協会 重要刀剣Certif [N.B.T.H.K]Jyuyo Touken寸法 長さ 2尺5寸(75,9cm) 反り 16mm 目釘穴 2個元幅 30mm 先幅 20mm 元重 mmSize Blade length 49,7cm Curvature 14mm Mekugi 2Hole国 肥前国Country Hizen時代 寛文~天和頃Period AD1665〜1700形状 鎬造、庵棟、身幅尋常、重ねやや厚く、反り深くつき、中切先延びる鍛え 小板目肌よく詰み、地沸微塵に厚くつき、チケイ細かに入る刃文 浅いのたれを基調に、小足よく入り、小沸よくつき、のたれの谷に沸がよくついて凝った風があり、細かに金筋・砂流しかかり、匂口明るく冴える帽子 直ぐに小丸、返りを棟に寄せて長く焼き、先わずかに掃きかける中心 生ぶ、先栗尻、鑢目勝手上り白鞘 有解説陸奥守忠吉は近江大掾忠広の嫡子で、本家の三代目となる。忠吉襲名は土佐守忠吉死後、土佐守が本家に忠吉銘を返上したためである。万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に転じ、貞享三年、父二代忠広に先立つこと五十で亡くなっている。作品が少ないのは、作刀期間が短かったことと併せて、父の代作に任じていたためであろう。作風は父よりむしろ初代忠吉に近い風があり直ぐ刃を最も得意とし、丁子乱れも上手である。地鉄が初代、二代に比べて強く感じるのも特徴である。本作は浅い小のたれを基調とした刃取りに、小足がよく入り、匂の深い作域をみせているが、小沸がむらなくよくつき、細かに金筋・砂流しがかかって刃中に働きが見られ、匂口が明るく冴えている点などに三代忠吉の特徴が示されている。また、鍛えは通常の肥前刀に比べ、地沸が厚くつき、チケイが細かによく入って一層目立ち総じて地鉄が強く感じられる。さらに、帽子の返りが長く、かつ棟によって堅くとまっているなどこれもまた同工独特の特徴がでている。三代陸奥忠吉の特色がよく表示された一口で、地刃共に健全で出来が優れているお問い合わせフォームはこちらご注文はこちらからどうぞお問い合わせ・ご注文はこちらから〜コピーお問い合わせフォームはこちらご注文はこちらからどうぞお電話でのお問い合わせはこちらまで0258-33-8510お気付きの点、ご不明な点がございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。日本刀の魅力名物刀剣とは刀装具とは日本刀の時代と特徴刀剣に関することわざ刀工位列表諸工作 研ぎ 白鞘 ツナギなどリンク集English刀剣鑑定士とは国内外の豊富な販売販路株式会社 和敬堂〒940-0088新潟県長岡市柏町1-2-16TEL.0258-33-8510FAX.0258-33-8511Mail contact@wakeidou.com古物許可番号新潟県公安委員会長岡第461190001328日本刀・刀剣の販売・買取・鑑定672439|ホーム|会社案内|商品紹介|買取案内|よくあるご質問|売買規約(特定取引法に基づく標記)|日本刀の魅力|名物刀剣とは|刀装具とは|日本刀の時代と特徴|刀工位列表|諸工作 研ぎ 白鞘 ツナギなど|リンク集|English|国内外の豊富な販売販路|〒940-0088 新潟県長岡市柏町1-2-16 TEL:0258-33-8510 FAX:0258-33-8511Copyright©株式会社和敬堂All Rights Reserved.JCL-400-000-004-475-969特定取引法に基づく標記個人情報保護方針サイトマップ Site map当サイトでは利便性や品質向上のため、Cookieを使用することを推奨しています。利用する場合は同意するを選択してください。同意をしない場合は、一部機能がご利用できません。詳細はこちら同意する拒否するTOPへ戻る
陸奥守忠吉は近江大掾忠広の嫡子で、本家三代目を継いでいる。 忠吉襲名は土佐守忠吉歿後、土佐守家が本家に忠吉 銘を返上したためである。 万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に転じ、貞享三年、父二代忠広に先立つこ と七年、五十歳で歿している。作品が比較的少ないのは、作刀期間が割合短かったことと併せて、父の代作に任じていた ためであろう。作風は父よりもむしろ祖父の初代忠吉に近く、直刃を最も得意としており、他に丁子乱れも上手であり、 その非凡の技量を遺憾なく発揮している。 この刀は、浅い小のたれを基調とした刃取りに、小足がよく入り、旬の深い作域を見せているが、小沸がむらなくよく つき、細かに金筋・砂流し等がかかって刃中に働きが見られ、匂口が明るく冴えている点などに三代忠吉の特徴が示され ている。また、鍛えは通常の肥前刀に比べ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入って一層目立ち、総じてかねが 強く感じられる。さらに、帽子の返りが長く、かつ棟によって堅くとまっている態など、これもまた同工独特のものであ る。三代忠吉の特色がよく表示された一口で、地刃共に健全で出来が優れている。









陸奥守忠吉は近江大掾忠広の嫡子で、本家三代目を継いでいる。 忠吉襲名は土佐守忠吉歿後、土佐守家が本家に忠吉 銘を返上したためである。 万治三年に陸奥大掾を受領、翌寛文元年には陸奥守に転じ、貞享三年、父二代忠広に先立つこ と七年、五十歳で歿している。作品が比較的少ないのは、作刀期間が割合短かったことと併せて、父の代作に任じていた ためであろう。作風は父よりもむしろ祖父の初代忠吉に近く、直刃を最も得意としており、他に丁子乱れも上手であり、 その非凡の技量を遺憾なく発揮している。 この刀は、浅い小のたれを基調とした刃取りに、小足がよく入り、旬の深い作域を見せているが、小沸がむらなくよく つき、細かに金筋・砂流し等がかかって刃中に働きが見られ、匂口が明るく冴えている点などに三代忠吉の特徴が示され ている。また、鍛えは通常の肥前刀に比べ、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入って一層目立ち、総じてかねが 強く感じられる。さらに、帽子の返りが長く、かつ棟によって堅くとまっている態など、これもまた同工独特のものであ る。三代忠吉の特色がよく表示された一口で、地刃共に健全で出来が優れている。
Hizen Tadayoshi (Saga) · 肥前 · 1662-1681頃
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忠吉は肥前一門の本家が継いだ名で、慶長以来佐賀にあって鍋島藩の抱え工であった。初代橋本新左衛門は慶長元年に藩命により上洛し、「京の埋忠明寿の門に学び」[[c:9]]、帰国して佐賀城下に住し、藩の庇護のもとに大いに繁栄した後、再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠広と改めている。その五字在銘の刀一口は慶長新刀の時代色をよく示し、身幅広く元先の幅差少なく、反り浅く大鋒の体配に、小板目の地鉄に地沸つき地景細かに入り、直刃調に浅くのたれた刃を焼いて足・葉よく入り小沸のつく。もっとも本コードに集まる作域は概ね後代の手であり、最もよく描き出されるのは三代陸奥守忠吉である。二代近江大掾忠広の嫡子で、土佐守家歿後に本家へ忠吉銘が返上されて襲名し、説明書はこれを肥前本家上三代中最上の鍛冶とする。
その典型は抑えのきいた作域にある。よくつんだ小板目の上に、説明書が「彼が最も得意とした中直刃」[[c:1]]と評する中直刃を焼き、処々浅くのたれて僅かに小互の目ごころを交え、小足・葉入り、匂深く小沸よくつき、細かに金筋・砂流しがかかって匂口の明るく冴える。帽子は終始直ぐの小丸で、時に深く返り先掃きかける。姿は幅広く長寸で重ね厚く手持ち重く、説明書はこれを父ならぬ祖父の手と読み、「父よりもむしろ祖父の初代忠吉を想わせる」[[c:2]]と繰り返す。
声価の拠るところは地鉄である。よく鍛えた小板目が肥前の米糠肌となり、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が入って深みを加え、かね冴える。説明書は本家上三代のうちその鍛えを「上三代の中で最も強く精美」[[c:3]]とし、また「鍛えの良さは彼の真骨頂」[[c:4]]とその鍛錬の良さを彼の本領とする。その地に対して刃文は比較的おだやかで、働きは大きな房ではなく深い匂と小沸、細かな金筋・砂流し、そして何より匂口の冴えに托される。
直刃の傍らには華やかな肥前丁子の作域がある。丁子の乱刃も上手で、互の目を交えた丁子乱れに太く足が入り、金筋・砂流しかかり、匂深く小沸つく。ある太刀の丁子は父のそれに近く、説明書は常に見る陸奥の作風と分かって「父近江の丁子乱に見紛うもの」[[c:5]]と評する。直刃の静けさに対する明るい一面である。いま一つ説明書が説くのは五字銘の稀少である。ある「肥前国忠吉」五字銘の刀は、銘の鏨使い・目釘孔の位置・作風より初代ならず三代と鑑せられ、「同工の五字忠銘は極めて珍しく」[[c:6]]、同工を知る上で貴重な資料とされる。また本家は刀の場合に指裏、すなわち太刀銘に切るのを常とし、「刀の場合に指裏」でなく差表に切る作は特に真偽に注意すべきと諭す。
本家のうちで三代を分かつのは、まさに極めの言うところである。その作品が比較的少ないのは、作刀期間が短かったことと、長命・多作の父の代作に任じていたためであり、二代近江大掾忠広が一門の広く開かれた記録であるのに対し、三代はその最も強く精良な手である。明るい米糠肌の直刃と力強い姿は後の肥前刀を読む基準をなし、説明書は彼を父からは鍛えの強さと地刃の冴えによって、初代からは鉄のつみと精良さによって分かつ。彼が守るのは保守の道、祖父の直刃を最上の冴えで継いだ手である。
収集の観点では、知り得る、そして鎌倉の大名跡に比べれば手の届く名である。藤代の極めは上々作。国宝・重要文化財はなく、その声価は特別重要刀剣九口と重要刀剣四十九口、両位あわせて五十八口に拠り、特別重要刀剣の数口を説明書は彼の最高の出来と評し、うち一口は「藩政時代は鍋島家に伝来した」[[c:8]]一振りである。来歴は記録される限り皇室と、その家が仕えた鍋島家を通じている。本家在銘の肥前忠吉は相応の数が残り、鎌倉の巨匠とは比すべくもなく世に出やすいため、重要刀剣位の極めある一口は根気強い収集家にとって決して手の届かぬものではなく、一方で三代最上の米糠肌に直刃を焼いた健全で堂々たる刀が世に現れるのは時折のことで、現れれば一つの里程標となる。
忠吉の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
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新刀 · 肥前
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肥前忠吉派は、肥前佐賀の城下を中心に興った新刀期の一流であり、その祖は橋本新左衛門と称した初代忠吉である。資料によれば、初代は鍋島家の抱え工として、慶長元年に藩命により彫工宗長とともに上洛して京の埋忠明寿の門に入り、忠吉は鍛刀を、宗長は彫技を学んだという。同三年に帰国して佐賀城下に住し、鍋島藩の庇護のもとに一門は大いに栄えた。年紀は慶長五年に始まり、元和十年には再び上洛して武蔵大掾を受領し、名を忠吉から忠広に、氏を源から藤原に改めている。この改名は同一の手の変遷であって別人ではない。初代の嫡子たる二代近江大掾忠広は六十有余年に及ぶ作刀生活を送って肥前最多作の工となり、本家の忠吉銘は土佐守家を経て三代陸奥守忠吉へと返上襲名されて、上三代の本流を成した。これと並んで、初代の門人や身内から、播磨大掾忠国の系、河内大掾正広に発する正広の系、出羽守行広の系といった分家、すなわち傍肥前と汎称される諸工が興り、代を重ねて佐賀の工房は確立された。 一門の共通する作風は、まずその地鉄に表れる。よく約んだ小板目を緻密に鍛え、地沸が微塵に厚く均しくつき、地景が細かに頻りに入って、かね明るく冴える。資料はこれを肥前特有の米糠肌と名指し、他派の出さない細かく明るい肌であるとする。この精良な地の上に、本家の本領たる中直刃を焼く。浅くのたれごころを帯び、処々に小互の目を交え、小足・葉が入り、匂深く小沸が細かについて締まり明るく、帽子は直ぐに小丸へ静かに返る。本来狙った来一門の直刃に対しては、匂口がより締まって明るく、鍛えに覇気がある点で分かれると説く。一方、初代の初期作には直江志津・古作大和物・来一門・鎌倉名工を狙った多様な写し物があり、掃きかけの帽子など本家の通則の例外も見える。代や系統による差異も資料の支持する範囲で明らかである。二代忠広と三代忠吉は本家本領の静かな直刃を継ぎ、なかでも三代は祖父初代を想わせる強く精美な鍛えを身上とする。これに対し傍肥前の諸工は華やかな乱れ刃を好み、正広は丁子を主調とした乱れに互の目を交え、行広は竪長の足長丁子乱れを焼き、忠国は一門の中で最も砂流しが目立つ足長丁子をあらわした。本家が直刃で読まれるのに対し、傍系はその精良な地を覇気ある乱刃へ運んだのである。 肥前刀の鑑定の勘所は、何よりこの米糠肌にある。明るく冴えた小糠肌の上に締まった直刃を焼くという組合せこそ、収集家が肥前刀を求める核心であり、地鉄と刃文が相俟って同派同定の眼目を成す。さらに銘振りもまた鑑定の一部をなし、本家は刀に指裏すなわち太刀銘に切るのを常とし、五字銘・住人銘・受領銘の別が時期を語る。主要刀工の格は資料の伝える通りで、初代忠吉は藤代の極めで最上作、二代忠広・三代忠吉や正広・行広は上々作ないし上作に位置づけられる。代表作には鍋島家伝来の作が多く、来歴には尾張徳川家・佐竹家・皇室などの名が録され、初代の一口には師明寿の添銘が遺り、忠国・正広の作には山野加右衛門ら截断銘を金象嵌に帯びるものがあって、手のみならず刃味の証となる。指定を受けた作の多くは旧蔵家や公の収蔵に永く蔵されて市に現れることは少なく、傍系の作も折にふれて世に出るにとどまる。されば在銘の肥前忠吉は手の届かぬものではないが、祖その人の作や、最も精美な米糠肌に直刃を焼いた一口が現れることは時折のことであり、現れれば肥前刀の一里塚というべきものである。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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