Sig. Nomura Tomonori (Kao), Ko-nen 68 sai Tokushima city, Awa province-Edo city, Musashi province 花籠に活けられた秋草を題とし、紋の高さを四ミリと極めて肉高く華やかに彫り出した、阿波金工野村知徳の二所。 粒の小さく綺麗に揃った赤銅魚子地を背景に、金無垢地をふっくらと打ち出してそれぞれの花が浮かび上がるように際端の腰を高く処理し、細やかな鏨を切り加えて花の特徴を鮮明に再現している。金地の上に施されている色金は赤銅、朧銀、青金で、いずれも置金の手法で焼き付けた、贅沢でしかも色金が映える表現。金哺の裏板も鑢目が鮮やかに輝くように仕立てとされている。 蜂須賀家お抱え金工野村家は、初代正時が後藤顕乗に学んで独立したことから阿波後藤と尊称されている。野村各代ともに技術が優れ、特に量感豊かに主題を彫り出す彫刻様式は後藤の技法を発展させたもので、野村家の特徴ともされている。この知徳の二所も、野村宗家の作風をそのまま写し出したように貫禄がある出来となっている(注)。






野村派
江戸
阿波
在銘
保存 (NBTHK)
金工
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野村派は江戸に拠点を置いた金工の一流であり、江戸時代中期を中心に活動した。説示において「江戸野村派の上手」[[c:3]]と称される野村正秀をはじめ、同派の中核をなす師弟の系譜として野村正道(正道、別称・正道)の名が繰り返し記される。正道の門人として最も多くの指定作を残す津尋甫(大津八左衛門)は、江戸銀座四丁目辺に住し、享保七年(一七二二)頃より宝暦十二年(一七六二)の歿年まで活動したことが説示に明記されている。正道から尋甫へと連なる師承の軸が、同派の中心的な伝系を構成する。 野村派の共通した作風は、赤銅魚子地を基調とし、高彫を主技法とする力強い写実表現に集約される。説示には「写実に徹した作が多く」[[c:4]]「作風は力強く且つ写生的」[[c:5]]との評が繰り返し見られ、海老・猛禽・百合・小禽といった動植物の題材が一貫して取り上げられている。柏樹に猛禽を配した縁頭の図柄は「極めて迫力があり、傑作がある」[[c:6]]と評され、海老の描写については「人の目を驚かすものがあり、すべて生物の作に秀れている」[[c:7]]と記されるなど、自然の生態を直截に捉える観察眼が同派の最大の特質として位置づけられる。技法面では、赤銅高彫のほか、金色絵・据文・色絵による多彩な金属表現が施され、素銅や金を用いた立体的な意匠が構成に奥行きを与えている。一部の作品には後藤家の作風との関連が指摘され、「後藤風の格調高さに加えて、彫口に尋甫ならではの力強さ、斬新さが看取される」[[c:8]]と説示に記される。また『加納夏雄彫金談』の「紋模様際立って鮮麗なり」[[c:9]]との引用が、同派の精緻にして鮮明な彫技を裏づけている。作品形態は縁頭が最も多く、鐔・小柄・三所物がこれに次ぐ。 野村派の意義は、後藤家に範を仰ぎつつも、写実に徹した独自の表現領域を確立した点にある。十二支図三所物のように「後藤上代の作に範をとった」[[c:10]]構成においても、説示は「尋甫ならではの力強さ、斬新さ」[[c:11]]を看取しており、伝統的な格式と独創的な写生精神との融合が同派の本領として評価されている。縁頭の作に「特に傑出したものが多い」[[c:12]]とされ、柏樹猛禽図や百合花図の諸作が繰り返し傑作と称されるように、野村派は赤銅魚子地高彫という技法的基盤のうえに、力強い造形と鋭い彫法をもって江戸金工の一角に確固たる地位を占めている。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
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