二十世紀は二度この工芸を殺しかけた。戦時の歪みと、占領下の禁令である。1948年の日刀保設立と1953年の作刀再開が刀を美術として再建し、人間国宝と無鑑査がその頂に立つ。
刃長 Blade length66.2cm(二尺一寸八分強)反り Sori1.8cm元幅 Width at the hamachi3.15cm元重 Kasane8mm先幅 Wide at the Kissaki1.95cm先重 Saki kasane4.5mm目釘穴 Mekugi1時代 Jidai昭和二十七年(1952年) Showa period(A.D.1952)産地 Country栃木県 (Tochigii) 特徴:野州住昭盛は本名を田中研次、栃木県矢板市(当時の住所は塩谷郡矢板町)、昭和9年(1934年)に名工・栗原彦三郎昭秀の門人となり日本刀鍛練伝習所に所属、昭和10年(1935年)の文部省第1回展覧会において特選を受賞した、本作は昭和二十七年の講和記念刀で、日本は終戦直後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本の武装解除の一環として、全国に日本刀をはじめとする武器の提出を命じて接収し刀狩が実行され刀鍛冶は新たに作刀する事も許されない状態でした、1951年(昭和26年)9月にサンフランシスコ講和条約の調印があり日本の主権回復の兆しが見え始め、日本刀も栗原彦三郎(昭秀)が各国元首や日本の首脳部や神社などに寄贈する刀剣として300口の日本刀製造認可申請書を申請し、サンフランシスコ条約は昭和27年4月28日に発効され、彦三郎の申請した講和記念刀300口の製作認可を得て全国の刀匠に製作させましたが彦三郎の死去により寄贈は実現しなかった、本作は昭盛の講和記念刀にして最後の作品。 特徴:野州住昭盛は本名を田中研次、栃木県矢板市(当時の住所は塩谷郡矢板町)、昭和9年(1934年)に名工・栗原彦三郎昭秀の門人となり日本刀鍛練伝習所に所属、昭和10年(1935年)の文部省第1回展覧会において特選を受賞した、本作は昭和二十七年の講和記念刀で、日本は終戦直後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本の武装解除の一環として、全国に日本刀をはじめとする武器の提出を命じて接収し刀狩が実行され刀鍛冶は新たに作刀する事も許されない状態でした、1951年(昭和26年)9月にサンフランシスコ講和条約の調印があり日本の主権回復の兆しが見え始め、日本刀も栗原彦三郎(昭秀)が各国元首や日本の首脳部や神社などに寄贈する刀剣として300口の日本刀製造認可申請書を申請し、サンフランシスコ条約は昭和27年4月28日に発効され、彦三郎の申請した講和記念刀300口の製作認可を得て全国の刀匠に製作させましたが彦三郎の死去により寄贈は実現しなかった、本作は昭盛の講和記念刀にして最後の作品。
取扱店 サムライ商会







Tochigi · 1926-1989頃
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昭和から現代へ 断絶と再生
二十世紀は二度この工芸を殺しかけた。戦時の歪みと、占領下の禁令である。1948年の日刀保設立と1953年の作刀再開が刀を美術として再建し、人間国宝と無鑑査がその頂に立つ。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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