恒遠は古備前の刀工で、令和六年の第二十八回に特別重要刀剣に指定された在銘の太刀を、説明書は「古雅な味わいと品格の高さを湛えた名品」と評する。銘鑑は同工を「備前二字元暦前」と載せ、また元暦と暦仁の二工を挙げる。説明書は正恒系と伝え、遠近の父と位置づける。昭和五十九年の重要刀剣の説明は、銘鑑が正恒の子とすることを記したうえで、「地刃・銘振からして正恒一派であることが首肯される」とする。
在銘作は極めて少ない。令和六年の説明は「在銘作は僅少で五指に満たず」とし、重要刀剣の小太刀一口と本作、それに東京国立博物館蔵の一口を挙げる。ここに記録される三口はいずれも二字銘で、特別重要刀剣の太刀では太鏨で大振りにきり、本間の台帳所載の太刀では棟寄りに細鏨できる。姿は腰反りに踏張りがつき、先へ行って伏しごころを見せて小鋒に結び、説明書が古備前一般の姿とするところに合う。
地鉄は板目で、特別重要刀剣の太刀では小板目を主体に処々板目・流れごころの肌を交え、僅かに肌目立ち気味となり、地沸がつく。映りはそれぞれに異なり、特別重要刀剣の太刀では淡く地斑映りが立ち、小太刀では沸映りが立つ。刃文は小丁子を主調に小互の目・小乱れを交え、足・葉よく入り、小沸むらなくつき、僅かに砂流しがかかる。小太刀では匂口にうるみごころがあるが、冴える。帽子は一定せず、特別重要刀剣の太刀は直ぐに大丸、台帳所載の太刀は直ぐに小丸、小太刀は表が尖りごころの小丸、裏が焼詰めとなる。
二つの作風が並び立つ。昭和四十二年に重要刀剣に指定された太刀は、説明書が古備前の常とする焼幅の狭い作から離れ、焼幅広く大きな丁子乱を交えて華やかな出来となる。同じ太刀が特別重要刀剣に指定された際、説明書は房の大小に変化を持たせた小丁子を「次代の一文字派の出現を想わせる出来口を見せている」と読み、「正恒の作柄に新味を加えたかのような感があり」として、同工を銘鑑の暦仁頃の工にあてる。本間による御物台帳に所載の太刀はその対極に立ち、細直刃調に浅く湾れて小乱を交え、匂口うるみごころとなって物打上ややさびしくなる。
台帳の説明はこの太刀について「現存する作刀は頗る少く、他に殆ど同作を経眼しない」とし、銘も好参考品とする。昭和五十九年の説明も小太刀を古備前物の小太刀の作例として好資料とする。三口を併せ見ると、正恒の一派が焼幅の狭い控えめな刃と、一文字を予感させる広い丁子の刃との双方をなしたことが知られる。
指定を受けた作は三口である。特別重要刀剣の太刀と重要刀剣の小太刀が特別重要刀剣・重要刀剣の級にある二口で、国宝・重要文化財はない。本間の台帳に所載の太刀は、かつて御物にあり、現在は東京国立博物館の所蔵と記録される。特別重要刀剣の太刀は『光山押形』に所載され、藩政時代は上野国館林藩秋元家に伝来した。在銘作が五指に満たない以上、私蔵の在銘の恒遠は、蒐集家が出会い得る古備前のなかでも最も稀なものの一つである。