備州長船景依と切られた在銘の太刀が、第五十一回重要刀剣に指定され、この景依を鎌倉末期の備前長船派に据える。説明書はこれを古来景秀の子と伝え、永仁頃に活躍したとする。その名そのものが、末備前の鑑定上の難問の一つである。銘鑑は備前に景依を名乗る工を一人ならず挙げ、古備前・古備前末流・長船派・吉井派の祖などにその名を連ねるゆえ、景依の刀はまず自身の地刃、銘振り、そして「依」の字の書きぶりによって見極めてから手を定める。この長船景依は、その中でも最も読み得る手で、在銘在年紀の記録のうちに古備前の地鉄と映りを長船末期の丁子の手へと運び、その傍らに同じ一派の静かな直刃を併せ持つ。
長船の太刀こそ、その手の最も豊かな表れである。姿はやや身幅広く元先の幅差開き、磨上ながらも腰反りを残し、中鋒となる。刃文は丁子を地に互の目・片落ち風の互の目・尖り刃を交え、区へ向けてやや焼低く直ぐ調となり、総体に逆がかる。刃中に足・葉入り、匂勝ちに小沸つき部分的に荒めの沸を交え、金筋・砂流しが明るい匂口に細かにかかる。説明書は頭の丸い丁子に片落ち風の互の目を交えた刃取りを鎌倉末期の長船物らしさと読み、刃中の尖り刃をその父の遺したものと見て、「尖り刃は父景秀の遺風を想わせる」とする。丁子・互の目の地に交じるこの尖り刃こそ、素直な長船末期の丁子ではなく、本作を長船の系統に結ぶ見どころである。
地鉄は長船へと運ばれた古備前の地である。よくつんだ小板目、ところにより杢を交え、長寸の太刀ではやや肌立ちごころとなる地に、地沸微塵につき、地景細かに入り、乱れ映りが鮮明に立つ。額銘の脇指では映りが筋状をなし、下半には古備前の地斑映りを看て、その鍛えはよくつんで上品である。帽子は刃文に応じて変わる。長船の太刀では乱れ込み、表は焼づめ風、裏は尖りごころに返り、直刃の作では直ぐに小丸となる。彫物は脇指に棒樋を掻き、一口の太刀には表に素剣、裏に護摩箸を彫る。
華やかな丁子の傍らに、いま一つの手、鎌倉末期の備前の静かな直刃が走る。額銘の脇指は「景依造」と切り、総体の出来より弘安頃の古備前末流と読まれるもので、直刃調に極く浅くのたれごころをおび、小互の目を交え、逆ごころの小足・葉入り、匂口締まって小沸つく。説明書はその地刃を鎌倉時代後期の長船物を想わせる上品なものとし、景依の作域を知る上で「資料性も高い」一口とする。直刃の作のうち最も際立つのは生ぶの太刀で、説明書は地刃の作風・細鏨で小振りの銘字・「依」の字の書きぶりより、これを現存作の極めて少ない新田庄の刀工に充てる。著しく長寸、腰反り高く踏張りつき、小板目に小杢目を交えて総体に肌立ち、鉄色黒みがかり、淡く乱れ映りが立つ。直刃に小互の目を交え、刃縁細かに沸ほつれ、匂口締まって沈み加減となり、区上で焼落とす。
この名の幅は、それ自身に対して見るのが最もよい。明るい長船の丁子と、沈んで区上に焼落とす直刃とは、鎌倉末期の景依の二つの面であって、一方は「鎌倉時代後期の長船物らしさ」と読まれ、いま一方は縮緬肌風の黒みがかる地に匂口の沈んだ直刃を焼くゆえ、説明書はその新田庄の太刀を「一見古青江の上作を思わせる」とする。両者を一つに保つのは、いずれの地にも横たわる古備前の地、よくつんだ小板目に地沸・地景つき乱れ映りの立つ地であり、各作の極めは単一の刃文よりはるかに、地鉄と銘振りに拠る。大振りの二字銘を沸出来の小乱れの上に切った古備前の景依は、この長船の手より一代を遡り、同じ名が古備前から長船派へ至る全き弧の上に読まれる。
景依は僅かながら高い指定の記録によって残る。刀工大鑑はその作を中位に評価し、藤代の格付けはない。在銘の太刀二口と額銘の脇指が重要刀剣に指定され、一口の太刀は景秀の子と伝える長船の景依に、いま一口は稀少を特記される生ぶの新田庄の太刀に充てられ、さらに太刀二口が戦前に重要美術品に認定されて、一口は大振り銘より古備前と鑑せられ、いま一口は永仁頃に置かれる。この符号の記録には国宝も重要文化財もなく、ゆえにその名は博物館の遺産ではなく、もっぱら上級の指定の級のうちに生きる。記録に残る伝来は私蔵にして僅かで、戦前の重美の太刀は東京の児玉沢子・安田善彦の蔵に伝わり、土屋家の作が伝来のうちに見える。特別重要刀剣・重要刀剣の級は三口にとどまり、その手のうち最も特色ある新田庄の太刀は説明書の言う通り現存極めて少ないゆえ、在銘の景依が私蔵に帰すことは、初期備前における稀なる出会いであり、現れるとしても忍耐をもってのみである。