越前大掾藤原国次は、平成十二年の第四十六回重要刀剣に指定された在銘の脇指によって知られる。説明は「越前大掾国次は、信濃大掾忠国(初代)と共に、出羽大掾国路門下の高足の一人である」とし、寛永十一年紀で「於武州江戸」と切った平安城藤原国次銘の刀から、その活躍年代と、比較的若い頃に一時江戸で駐鎚したことを推している。また越前守藤原国次銘で裏に「於熊本以南蛮鉄」と切った作があり、後に熊本でも駐鎚したことが知られる。
『古今鍛冶備考』は「老後は肥州之産法橋来国次入道寿徹と打、於肥後とも打つなり、寛文頃、或は寿徹は別人とも云」と記すが、説明は寿徹銘と常々の越前大掾国次銘の「国次」二字銘が全く同調であることから同人と判断し、寿徹銘を晩年期の作と推す。さらに「師国路の晩年には、その代作・代銘に任じていたと思われる」とする。
この脇指は平造、庵棟、身幅一段と広く、寸延び、反り浅くつく慶長新刀の姿で、鍛えは板目に杢・流れ肌交じり、肌立ってザングリとした堀川物独特の肌合となり、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入る。刃文は焼幅広めに、小のたれに互の目・大互の目・角がかった刃など交じり、足入り、匂深く、沸厚くつき、処々荒めの沸を交え、総体に砂流しかかり、さかんに金筋・沸筋入り、上半棟を焼き、匂口沈みごころとなる。表裏に二筋樋を掻き流し、説明は姿・地刃に至るまで正に師国路宛らの出来映えとする。
説明は「大模様で華やかな志津風のこの手の作域は、国次にはあまり経眠しないが」、本作の如き作例により国路の代作を行っていたことがより強く首肯されるとし、出来が優れ、大柄な体配と相俟って迫力が感ぜられると評する。そして「加えて国次の作風を研究する上で、資料的にも貴重である」と結んでいる。