天照大神宮奉納の寛永廿二年紀の剣は、越前国清の祖を後代から分かつ銘を負う。説明は「これは天照大神宮奉納の剣で、寛永廿二年紀があり、資料的にも頗る貴重であり、出来もまた見事である」とし、「国」の字のクニガマエの中の「或」の五画と八画のタスキとが平行するものが初代で「二代以下と異なる」と記す。山城守藤原国清は信州松本(一に松代)の人で、三代目島田助宗の子と伝え、初め吉右衛門といい、上洛して堀川国広の門に学び国清と改めた。国広没後は越後高田の松平家に仕え、主君に従って越前福井に移り、寛永四年二月に山城大掾、翌寛永五年二月に山城守を受領し、菊花紋を許された。
名跡は数代継承され、説明は「中でも初代が最も技量が高く、次いで二代が達者である」と明言する。作風も銘振りもよく似て区別し難いため、説明は初代を一口ずつ名指す。槍は「山城守藤原国清初代作の槍である」とされ「同工に槍の作は珍しい」。脇指の一口は「同銘三、四代あり、この脇指は初代である」。入道銘の刀は初代晩年の典型作で「これは初代作でしかも入道銘は頗る珍しい」とされる。
説明は「最も直刃を得意とし、又、本作に見る乱刃もある」と記す。直刃では、やや肌立ちごころに処々流れる板目に地沸つき、中直刃に僅かに小足入り、匂口やや締りごころに小沸つき、帽子は直ぐに大丸に返る。
指定作の多くは乱れ刃を負う。二ツ胴落の金象嵌をもつ幅広の刀は小のたれに互の目交じり、匂深で沸厚く荒めの沸を交え、刃縁ややほつれ、金筋・砂流し等の働きが豊富で、匂口が沈みごころとなる。説明はこれを「二代康継の出来口を想わせるものがあり、放胆で迫力が感ぜられる」とし、初代国清の技量を存分にあらわした同工会心の一口とする。脇指の一口は「黒ずんでザングリとした地がねに、沸のよくついた互の目を焼き、出来がよい」。
地鉄は杢が目立って交じり肌目が立ち、総じて黒味をおびて「越前がねの特色がよく表示されている」。数口に南蛮鉄の添銘があり、寛永六年の截断銘をもつ刀は山城守受領後間もない頃の作で「初代国清作中の優品で、常より一段と覇気に富んでいる」。重要美術品の寛永二十一年紀の刀には、通説の国広門下に対し「経眼した同作には国広との関係を必然的に考えられる出来は稀有である」との所見が付く。
藤代は上々作。指定作は重要刀剣十三口、重要美術品一口、御物二口で、天照大神宮奉納の剣は同社との縁を伝える。同名数代の中で初代の作は少なく、銘振りが酷似するため、説明の一口ずつの鑑定と「国」の字の手掛りが収集の拠り所となる。