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概要·鑑定·指定·伝来·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定伝来刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 堀川
  3. 國廣

Horikawa Kunihiro

國廣

特重
巻 6, 番 49 · 短刀

Horikawa Kunihiro

國廣

評価作品148点

国山城時代Tensho-Keicho (1573–1614)時代区分桃山流派Horikawa伝法Shinto師匠Kunimasa (father, 國昌)藤代最上作刀工大鑑2,500(上位1%)種別刀工コードKUN232
12重要文化財
12重要美術品
2御物
9特別重要刀剣113重要刀剣

概要

現存最古の紀年作は天正四年(一五七六)二月の年紀を有する長寸の刀である。田中国広はもと九州日向飫肥の城主伊東家に仕えた武士で、主家没落の後は諸国を遍歴しつつ鍛刀の技を磨き、慶長四年(一五九九)以後は京一条堀川に定住、多くの俊秀を育てて慶長十九年(一六一四)に歿したと伝える。銘鑑に実忠子とも国昌子ともいう。説明書は「明寿とともに新刀の創始者と称えられる」と記し、技術のみならず門人育成の点でも「新刀期の第一人者」と位置づける。そして半世紀にわたり、ほぼ同文の定型句が全説明を貫く。「彼の作風は概ね二様に大別され」、堀川定住以前の天正打には末相州・末関風のものがみられ、定住後の慶長打は相州上工に範をとる、と。

見どころはまず地鉄である。板目に杢・大板目を交えて肌立つ、いわゆる「ザングリとした堀川物特有の肌合」を呈し、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かに頻りに入る。区際よりは斜めに水影が立ち、特重の一口はこれを「手癖である水影」と明記する。匂口にも癖がある。荒めの沸がむらにつき、匂幅に広狭の変化を見せ、「匂口が沈みごころとなるなどの態は、国広の手くせである」という。刃区を深く焼き込み、物打辺の焼幅が広くなるのも特色である。さらに指定作はほぼことごとく在銘で、慶長打は太鏨肩落の大振り二字銘を主体に、日州古屋住から洛陽一条堀川住に至る受領・住銘の長銘を交える。茎には「国広のくせとして茎の孔が下であるところから、後の世、上に別に孔をあけた」と注意される癖も記される。

慶長打の理想は明言される。「その理想としたところは、相州伝の復活にあった」のであり、「特に志津に対してその傾向が強い」。刀は身幅広く元先の幅差少なく反り浅く鋒が延び、「恰も南北朝期の大太刀を大磨上げにした刀姿」と評され、特重の一口は大磨上無銘の志津の直写しと読まれる。ザングリとした鍛えの上に浅い小のたれに互の目・尖り刃を交えた刃を焼き、沸厚く、金筋・砂流しかかり、処々湯走りを見せ、帽子は直ぐ調または浅く乱れ込んで小丸・大丸、先掃きかける。傍らに三ツ棟幅広寸延びの平造脇指が桃山の時代色を映して立ち、写しの狙いは志津を越えて広がる。彫物とあわせて貞宗を髣髴とさせる特重の一口があり、左文字の風を積極的に取り入れて「左文字宛ら」と評される作も見える。

流浪期の天正打は一見別人の作である。先反りの強い平造脇指・内反り短刀に互の目乱れ、尖り刃・矢筈風・角がかった刃を交え、飛焼・棟焼かかって皆焼風となり、匂口は後年より明るく、大黒天・毘沙門天など武神の彫物を力強い鏨で施す。遍歴の足跡は銘文そのものに残る。日州古屋打、「山伏時作」の刀、彼岸の年紀、天正十八年(一五九〇)の足利学校打、美濃大道との岐阜での合作、同十九年の在京打。信濃守はすでに天正打の銘に現れ、武士としての称と推される。彫物は明寿と並ぶ双璧で力強さはむしろ優るともされ、本間順治は日向・足利学校・美濃・堀川の各期一貫した作風を挙げて自彫と断ずる。対極には静かな一類が立つ。「国広には稀れに直刃があり」、新藤五・行光・来国光あたりを狙ったと読まれ、鍛えは常より細かく、匂口は締まって明るい。その写しは「その対象物をよく咀嚼し、技巧を弄せず創作する」ものと評され、写し物の中にも肌と水影と匂口に手癖が現れる。

堀川一門からは出羽大掾国路・国安・大隅掾正弘・越後守国儔・親国貞らが輩出し、その作風は国路の小模様の刃や親国貞の彫物に続くと説かれる。最晩年は工房の手と読まれる。年紀は慶長十五年(一六一〇)が最も多く、伝えに従えばその頃八十九歳にあたり、「殆んど弟子達の代作であり、代銘と考えるより以外はない」とされる。ただし師の監督は厳重で出来の低下はなく、偽物とは全く異なると明記される。

藤代の格付けは最上作。指定を受けた作は一四八口に上り、うち在銘一四七口、無銘は一口もない。残る一口も大振り二字銘の在銘で、寛文六年(一六六六)山野加右衛門永久の金象嵌截断銘を併せ刻む稀有の例である。重要文化財一二口は市場の外に置かれた重宝であり、戦前の重要美術品も一二口を数え、特別重要刀剣九口・重要刀剣一一三口、両指定で一二二口に達する。慶長二年(一五九七)の幡枝八幡宮奉納太刀は伝後水尾天皇御寄進の糸巻太刀拵を具して今も同社に伝わる。伝来は日向伊東家、岡山藩家老伊木長門守忠澄、土佐山内家、大島津家(「光久公御用」の鞘書)、豊臣秀頼、皇室に及び、細川幽斎二男長岡玄蕃頭興元や鑑識家沢田道円の注文打も現存する。蒐集家が現実に出会い得るのは特別重要・重要の両指定であるが、それとて容易には市場に現れない。現れた一口は、ほぼ必ず在銘であり、新刀がその鍛冶場に始まった工の銘を茎に留めている。

鑑定

説明自身が繰り返す二様の型。天正打(天正四〜十九年、日州古屋と流浪期)は末相州・末関風、堀川定住後の慶長打(慶長四〜十九年)は相州上工の写しを本領とし、その傍らに山城物を狙った静かな直刃の一類が立つ。最晩年は概ね門弟の代作・代銘とされる

田中信濃守國廣は日向飫肥の伊東家に仕えた武士で、主家没落後に鍛刀へ転じ、天正年間は諸国を遍歴、慶長四年(一五九九)以後京一条堀川に定住し、慶長十九年(一六一四)に歿した。埋忠明寿とともに新刀の創始者と称えられ、堀川一門の総帥として国路・国安・親国貞ら俊秀を育てた。作風は概ね二様に大別され、流浪期の天正打は末相州・末関風、定住後の慶長打(堀川打)は相州上工、就中志津の復活を狙う。ザングリとした堀川肌、区際より立つ水影、沈みごころでむらのある匂口、そしてほぼ全作在銘であることが見どころである。

鑑定の決め手

彼が写した相州上工(正宗・貞宗・則重・広光・秋広・新藤五)にはない特徴

作品の26%

作品の31% ・ 正宗比 9.3倍

銘の実態。現存記録の殆ど(一四四口)が在銘。説明には大振り二字銘(一四五口中六七口、多くは肩落)と長銘(四〇口)が記され、「国広のくせとして茎の孔が下」という目釘孔の癖も明記される

作風の変遷

天正打(流浪期、天正四〜十九年)

「日州古屋住国広作」等の長銘と天正四年(現存最古)から十九年に至る年紀。山伏時作、天正十八年の足利学校打、美濃大道との岐阜合作、同十九年の在京打と、遍歴の足跡がそのまま銘文に残る

末古刀様式の前期作。平造寸延びの脇指、先反りの強い内反り小振り短刀、長寸の片手打ちの刀が主で、鍛えは板目が肌立ち、地沸つき、刃文は互の目乱れに尖り刃・矢筈風・角がかった刃を交え、飛焼・棟焼かかって皆焼風となり、砂流しがかかり、匂口は後年に比して明るい。一見末相州・末関と評され、大黒天・毘沙門天・摩利支天など武神の彫物を自身の強い鏨で施す。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

慶長打・堀川打(本領、慶長四〜十九年)

「洛陽一条堀川住藤原国広」「信濃守」系の長銘と肩落の大振り二字銘。年紀は慶長十五年が最も多い

堀川定住後の本領。説明の定型句の通り相州上工に範をとり、特に志津への傾倒が強く、貞宗・左文字にも及ぶ。姿は身幅広く元先の幅差少なく反り浅く中鋒延びごころ、恰も南北朝の大太刀の大磨上を想わせる慶長新刀姿か、桃山特有の幅広寸延び平造脇指。鍛えは板目に杢・大板目を交えて肌立つザングリとした堀川肌で、地沸微塵に厚く、地景細かに頻りに入り、区際より水影が立つ。刃文は浅いのたれに互の目・小互の目・尖り刃を交え、沸厚く、荒めの沸がむらにつき、金筋・砂流しかかり、刃縁ほつれ・湯走りを見せ、刃区を焼き込み、物打辺の焼幅が広くなり、匂口は沈みごころとなる。帽子は直ぐ調または浅くのたれて小丸・大丸、先掃きかける。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
平造脇指・短刀の作域— 三ツ棟・幅広寸延びの平造脇指。桃山の時代色を最もよく映す作域で、貞宗写し・左文字写しが集中する。静かな短刀には直刃の一類が立つ
刀の作域(南北朝大磨上風)— 身幅広く反り浅く鋒の延びた刀。説明が繰り返し「恰も南北朝期の大太刀を大磨上げにした姿」と評し、その本歌は大磨上無銘の志津である

静かな直刃の一類(山城物写し)

確証はやや弱い主に慶長期の短刀・小脇指。「国広には稀れに直刃があり」とされ、新藤五国光・行光・来国光を狙ったものと読まれる。稀な直刃の刀は古作の大和物狙いと評される

対極に立つ小さな静の部類。中直刃・細直刃が浅くのたれごころを帯び、匂口は常より締まって明るく、鍛えも「常々より細かな肌合」「比較的つみ」と繰り返し評され、時に直ぐ映り・沸映り風が立つ。狙いは鎌倉の短刀名手たちと読まれるが、その写しの中にもザングリした肌・水影・むらのある匂口という手癖が現れると説かれる。

地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

「彼の作風は概ね二様に大別され、堀川定住以前の作(天正打)には、末相州や末関風のものがみられ、定住後の作(慶長打)は、それまでのものと作風を異にして、相州上工に範をとったと思われるものが多い」と、ほぼ同文の定型句が説明全体を貫く。

編年は年紀そのものに刻まれる。現存最古の年紀は天正四年、天正打の年紀は十九年で終わり、天正十四年紀は「日州之住」の「之」を入れず必ず「作」を添える。慶長十八年紀は歿年の前年にあたる最晩年の作である。

流浪期には山伏であった。「日州古屋住国広山伏時作」銘の刀が現存し、彼岸紀や武神の彫物もその信仰から読まれる。信濃守はすでに天正打で銘に現れ、鍛冶の受領ではなく武士としての称と推される。

晩年の代銘問題。最も年紀の多い慶長十五年は伝えに従えば八十九歳頃にあたり、この期の作は概ね門弟の代作・代銘と読まれる。代作代銘は師の検査を経て銘を許されたもので、偽物とは全く異なると明記される。

彫物は明寿と並ぶ当代の双璧で、力強さはむしろ明寿に優るとされる。彫りは自身ではないとの一説に対し、本間順治は日向打ち・足利学校打ち・美濃打ち・堀川打ちを貫く一貫した作風を挙げて自彫と断ずる。大黒天は僅かに側面を向くのが特徴で、毘沙門天は毘沙門鉾を左手に携え、越前康継らの多くと逆である。

茎の癖も鑑定の見どころとされる。「国広のくせとして茎の孔が下であるところから、後の世、上に別に孔をあけた」と記され、二つ孔の作では下孔が元孔となり、常の読みと逆になる。

指定

国宝—
重要文化財12
重要美術品12
御物2
特別重要刀剣9
重要刀剣113

名工ランク

0.62 (指定作品148点)

刀工の上位4%

伝来

伝来記録32件 の鑑定作品における Kunihiro

伝来ランク

名家所蔵6点、伝来記録32件

刀工の上位13%

素点:2.35 / 10

刀姿

評価作品148点の分布

銘

評価作品148点の銘の種類

販売中

系譜

Kunihiro
弟子(16名)
  1. 1.國路Kunimichi8 販売中74指定
  2. 2.國貞Kunisada4 販売中88指定
  3. 3.國儔Kunitomo1 販売中27指定
  4. 4.正弘Masahiro3 販売中14指定
  5. 5.國助Kunisuke2 販売中50指定
  6. 6.國安Kuniyasu17指定
  7. 7.弘幸Hiroyuki17指定
  8. 8.國清Kunikiyo2 販売中14指定
  9. 9.國幸Kuniyuki1 販売中6指定
  10. 10.國清Kunikiyo7指定
  11. 11.國正Kunimasa6指定
  12. 12.廣實Hirozane3指定
  13. 13.在吉Ariyoshi6指定
  14. 14.國盛Kunimori1 販売中1指定
  15. 15.國儀Kuninori
  16. 16.成廣Narihiro

Horikawa派

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  6. 6.國安Kuniyasu17指定
  7. 7.弘幸Hiroyuki17指定
  8. 8.國清Kunikiyo2 販売中14指定
  9. 9.國清Kunikiyo7指定
  10. 10.國幸Kuniyuki1 販売中6指定
  11. 11.國正Kunimasa6指定
  12. 12.吉武Yoshitake2 販売中4指定