慶長十一年三月の年紀をもつ作が、刀・脇指・短刀それぞれ一口ずつ現存し、これが大隅掾藤原正弘の遺した唯一の年紀作である。本工は日州飫肥の出身で、上京して、新刀の世の初頭に京の鍛刀をあらためた堀川国広の門に入った。説明書は彼を国広の甥とも門人とも記し、その別を定めぬままとする。慶長十一年の作の時点で既に大隅掾を受領しており、一門中、阿波守在吉の慶長二年紀に次ぐ早さであることから、堀川一派の先輩格に立つ。とりわけ本工は、国広門下のうち最も師に近似する手とされ、師の代を勤めた一人に数えられる。『冶工銘集誌』はこれを一行で評して、「国広が代を勤むると云へり、至って上手也」とする。
本工の典型は、慶長新刀姿の長寸の刀である。身幅広く元先の幅差少なく、反り浅く、中鋒延びごころ或は大鋒となり、説明書はこれを南北朝期の大太刀を大磨上げにした姿に擬する。多くは長大で手持が重く、説明書は「長大でズッシリと手持の重い体配」が一門中でもこの工に多いと幾度か記す。その姿に相州伝を焼くが、堀川一門に常の華やかな手ではない。静かな手である。刃の本体は直刃調あるいは小のたれを基調に、互の目・小互の目・角張る刃・尖り刃を交え、足入り、小沸つき時にむらづいて荒めの沸となり、砂流しかかり金筋入り、匂口は沈みごころとなる。説明書は本工について端的に「大乱れのものは見ない」とし、その抑制こそが、いかなる華やかな写しにも増して、本工を識別させる。
地鉄は、その穏やかな作にも働いた作にも通う変わらぬ地である。板目が肌立ち、堀川物特有のザングリと枯れた肌合を呈し、地沸厚くつき地景入る。一派と共有するこの肌合のうちで本工の地を分かつのは杢で、一段と目立って交じり、説明書はこの目立つ杢を同工の特色として挙げる。数口には区際より水影が立ち、これは師より伝わる。帽子は乱れ込んで小丸に返り掃きかけ、刃文の最も穏やかなところでは直刃に近く焼いて静かに丸く納める。
説明書は、その少ない作のうちに一人の手の二つの相を読む。多いのはこの穏やかな相州写しで、相州上工、就中志津を狙い、梵字・素剣・護摩箸を彫る一口の脇指では貞宗を狙う。説明書は最上の刀を「同作中の優品」とし、「相州上工に倣った堀川物の作風」をあらわすとする。いま一つの相は、代作伝の拠るところである。匂口が沈み、沸が部分的に厚くついてむらづき、刃が区下まで焼き込まれて、説明書が国広の焼出しの手くせとする態を示す。この穏やかな質の特別重要刀剣の一口は、師に最も近く、国広の作域に相通じると読まれる。年紀はいかなるわけか慶長十一年に限られ、慶長十九年国広没後は本国日向に帰ったものと思われ、「日州住」「日州飫肥住」「日向国住」と銘した。
堀川一門のうちで本工を分かつのは、まさにこの静けさである。堀川物一般の手は高い相州上工を賑やかに華やかな乱れで写すが、本工はそうしない。焼を低く刃取りを抑えて仕立てるため、師の華やかな作意はその作に比較的薄く、師のより深い徴のみが残る。本工の明るい特色は、ザングリの地に目立つ杢、沈んだ匂口、区下の焼込み、区際の水影である。説明書はさらに踏み込み、本工の作風・銘振り・鑢目・茎仕立は一門中最も国広に近似し、銘字中の藤原の二字に至るまで全く国広に類似するとする。本工は堀川の代作の手であり、同じ相州伝を焼低く仕立てた工である。
収集の観点では、稀な、そして示唆に富む名である。藤代の極めは上々作。国宝はなく、その記録は重要文化財一口、特別重要刀剣の刀三口、重要刀剣十口、指定を受けた作は併せて十四口を数える。本工の刀はほとんどが長大で多くは磨上げられているため、生ぶ茎の在銘刀は稀で、説明書はかかる作を殊に貴重とし、最上のものを長大ながら破綻のない優刀とする。現存作は真に少なく、所在の知れるものは公よりも私の手にあって、在銘の大隅掾正弘が世に出ることは稀である。そして世に出たとき、その一口は二つのものを同時に帯びる。それ自体すぐれた慶長新刀の一刀であること、そして堀川国広その人の手を覗く現存最も近き窓であること。これこそ、私蔵の一口が収集家にとって持つ値打ちである。