徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
本作は平成5年(1993)第39回指定 重要刀剣。刀工の種廣は市太郎と称す。「肥後大掾源種廣」「肥前国市太郎源種廣」「市太郎」などと銘を切り、銘字の肥は巴の中の縦線を横上に突き出す特徴がある。佐賀住。江戸初期寛永頃。大友家に仕えた藤左衛門種永の孫。鍋島藩の忠吉正系鍛冶と忠吉と縁続きの正廣・行廣・忠国家等の傍肥前鍛冶および伊予掾宗次一派とも異なる。「市太源守秀」「市太郎」と銘を切る肥前守秀らの市太種廣一派。添銘の「透間雲」は、雲が切れた間から日光がサッと差し込むような切れ味が鋭いという表現。種廣の作例少なく忠吉家とは違う肥前刀の秀逸作。薫山先生鞘書き「肥前国肥後大掾源種廣 透間雲ト号ス 佳作之 昭和戊午年(1978)正月 薫山誌(花押)」あり。
肥後大椽種広は、市太郎と称し、銘を市太とのみきったものがある。これと同様に市太と銘するものに、平戸に住した守秀及び守安がい ることから、或は彼らと同系の刀工とも考えられる。 肥後大掾を受領し、佐賀に居住している。同作には、初期作と目されるものに寛永十七 年紀の遺例があるが、彼の活躍期は、おそらく寛永末年から寛文頃にかけてと推量される。 この刀は、焼幅を広く取って、 丁子乱れを主調に互の目・小互の目・小丁子など多種の刃を交えて賑やかな刃取りを呈して、匂が深く、 沸 が厚くつき、砂流しかかり、匂口が明るいなどの作柄を見せており、一見すると、傍肥前の二代正広、初・二代の行広等に見紛うものがある。 但しそれらの刀工に比しては、やや刃の形が小模様である点に、この工の見どころが窺える。複雑な刃取りを示して賑やかに乱れ、沸が厚く つき、荒めの沸を交えて砂流しがかかるなど、放胆で野趣に富んだ出来口をあらわしており、作例の少ない同作中にあって、優れた作域を示 して る。 なお、佩裏の「透間雲」の添銘は、雲が切れる様を刀の切れ味に擬えたものと思われる。


















肥後大椽種広は、市太郎と称し、銘を市太とのみきったものがある。これと同様に市太と銘するものに、平戸に住した守秀及び守安がい ることから、或は彼らと同系の刀工とも考えられる。 肥後大掾を受領し、佐賀に居住している。同作には、初期作と目されるものに寛永十七 年紀の遺例があるが、彼の活躍期は、おそらく寛永末年から寛文頃にかけてと推量される。 この刀は、焼幅を広く取って、 丁子乱れを主調に互の目・小互の目・小丁子など多種の刃を交えて賑やかな刃取りを呈して、匂が深く、 沸 が厚くつき、砂流しかかり、匂口が明るいなどの作柄を見せており、一見すると、傍肥前の二代正広、初・二代の行広等に見紛うものがある。 但しそれらの刀工に比しては、やや刃の形が小模様である点に、この工の見どころが窺える。複雑な刃取りを示して賑やかに乱れ、沸が厚く つき、荒めの沸を交えて砂流しがかかるなど、放胆で野趣に富んだ出来口をあらわしており、作例の少ない同作中にあって、優れた作域を示 して る。 なお、佩裏の「透間雲」の添銘は、雲が切れる様を刀の切れ味に擬えたものと思われる。
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内※①商品に手を加えた場合、②海外取引の場合は返品不可となります。
本作は平成5年(1993)第39回指定 重要刀剣。刀工の種廣は市太郎と称す。「肥後大掾源種廣」「肥前国市太郎源種廣」「市太郎」などと銘を切り、銘字の肥は巴の中の縦線を横上に突き出す特徴がある。佐賀住。江戸初期寛永頃。大友家に仕えた藤左衛門種永の孫。鍋島藩の忠吉正系鍛冶と忠吉と縁続きの正廣・行廣・忠国家等の傍肥前鍛冶および伊予掾宗次一派とも異なる。「市太源守秀」「市太郎」と銘を切る肥前守秀らの市太種廣一派。添銘の「透間雲」は、雲が切れた間から日光がサッと差し込むような切れ味が鋭いという表現。種廣の作例少なく忠吉家とは違う肥前刀の秀逸作。薫山先生鞘書き「肥前国肥後大掾源種廣 透間雲ト号ス 佳作之 昭和戊午年(1978)正月 薫山誌(花押)」あり。
肥後大椽種広は、市太郎と称し、銘を市太とのみきったものがある。これと同様に市太と銘するものに、平戸に住した守秀及び守安がい ることから、或は彼らと同系の刀工とも考えられる。 肥後大掾を受領し、佐賀に居住している。同作には、初期作と目されるものに寛永十七 年紀の遺例があるが、彼の活躍期は、おそらく寛永末年から寛文頃にかけてと推量される。 この刀は、焼幅を広く取って、 丁子乱れを主調に互の目・小互の目・小丁子など多種の刃を交えて賑やかな刃取りを呈して、匂が深く、 沸 が厚くつき、砂流しかかり、匂口が明るいなどの作柄を見せており、一見すると、傍肥前の二代正広、初・二代の行広等に見紛うものがある。 但しそれらの刀工に比しては、やや刃の形が小模様である点に、この工の見どころが窺える。複雑な刃取りを示して賑やかに乱れ、沸が厚く つき、荒めの沸を交えて砂流しがかかるなど、放胆で野趣に富んだ出来口をあらわしており、作例の少ない同作中にあって、優れた作域を示 して る。 なお、佩裏の「透間雲」の添銘は、雲が切れる様を刀の切れ味に擬えたものと思われる。


















肥後大椽種広は、市太郎と称し、銘を市太とのみきったものがある。これと同様に市太と銘するものに、平戸に住した守秀及び守安がい ることから、或は彼らと同系の刀工とも考えられる。 肥後大掾を受領し、佐賀に居住している。同作には、初期作と目されるものに寛永十七 年紀の遺例があるが、彼の活躍期は、おそらく寛永末年から寛文頃にかけてと推量される。 この刀は、焼幅を広く取って、 丁子乱れを主調に互の目・小互の目・小丁子など多種の刃を交えて賑やかな刃取りを呈して、匂が深く、 沸 が厚くつき、砂流しかかり、匂口が明るいなどの作柄を見せており、一見すると、傍肥前の二代正広、初・二代の行広等に見紛うものがある。 但しそれらの刀工に比しては、やや刃の形が小模様である点に、この工の見どころが窺える。複雑な刃取りを示して賑やかに乱れ、沸が厚く つき、荒めの沸を交えて砂流しがかかるなど、放胆で野趣に富んだ出来口をあらわしており、作例の少ない同作中にあって、優れた作域を示 して る。 なお、佩裏の「透間雲」の添銘は、雲が切れる様を刀の切れ味に擬えたものと思われる。
江戸時代
徳川の泰平のもと、大小は法度の定める身分の制服となり、需要は城下町、とりわけ江戸に集まった。工芸は二つに分かれる。目利きのための華やかな鑑賞の作と、截断の結果を金象嵌に刻む実証の刀である。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,307口(約203口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品到着後7日以内※①商品に手を加えた場合、②海外取引の場合は返品不可となります。