赤銅磨地 鋤出高彫 金色絵 皆山応起(みなやままさおき)大月光興の門人。竜、虎、人物、鳥獣図を高彫に彫る。優工。 図柄の柱潜りは、縦長の小柄本体を柱に見立てて設けられた潜り穴に入らんと格闘している旅人の後ろ姿を描いている。大仏様が災いする邪気を祓わんとした古代の人の意識が参詣者の無病息災にも通じると伝承したもの。 裏には、蜀山人(しょくさんじん)の句きり「婦かく 阿ミだが峯の影深し」 が片切彫されている。 大田南畝(おおたなんぽ)(1749〜1823)は、蜀山人(しょくさんじん)、四方赤良(よものあから)などの号を使い、狂歌、戯作、随筆などで活躍した。平賀源内や山東京伝、版元の蔦屋重三郎や浮世絵師の喜多川歌麿などとも交流のある、華やかな江戸の出版界の中心人物であった。 幕臣としても有能で、御家人という低い身分ながら、重要な任務をこなしました。


応起
江戸
在銘
保存
町彫 · 1670頃
皆山応起(みなやまおうき)は、江戸時代後期に京都で活躍した金工家である。大月光興(おおつきみつおき)の門人で、通称を直市(なおいち)と称し、二条に居住した。初銘は応興(みつおき)といい、後に応起に改め、麗墨堂(れいぼくどう)、竹風堂(ちくふうどう)などの号を用いた。大月光興以降、一門からは大月光弘(みつひろ)、川原林秀興(かわらばやしひでおき)、天光堂秀国(てんこうどうひでくに)、松尾月山(まつおげっさん)といった巧者が輩出し、同派は活況を呈した。応起は、その中でも特に優れた技量を持ち、京金工の要者として位置づけられる。
応起の作風は、金無垢地、四分一(しぶいち)、赤銅(しゃくどう)などの素材を駆使し、高彫(たかぼり)、容彫(ようぼり)、色絵(いろえ)といった多様な技法を組み合わせた華麗な作風を特徴とする。特に、石目地(いしめじ)を用いた作品や、金、銀、四分一、素銅(すあか)などを象嵌(ぞうがん)した色絵の作品に優品が多い。その彫技は微に入り細を穿(うが)ち、写生力に優れ、葉の細々とした葉脈まで鋭く表すなど、細部に至るまで精緻な表現を追求している。また、図取り・肉取りには町彫(まちぼり)ならではの自由闊達さが看取され、大胆な構図を繊細な彫りで表現する力量も高く評価されている。
応起の作品は、古典や故事に題材を採ったものが多く、『伊勢物語』に取材した「業平東下り図」や、「風神雷神図」など、格調高い意匠が特徴である。その作風は典雅な雰囲気に包まれ、京金工らしい洗練された美意識が感じられる。重要刀装具に指定されている作品も多く、その高い技術力と芸術性は、現代においても高く評価されている。特に初期の作には、応起銘の作に共通する流暢な鏨使いには至っていないものの、細部に亘り毛彫・片切彫の一刀、一刀の鏨に力が感じられる真面目な作風も見られ、若銘である応興銘の作域を知る上で貴重な資料となっている。
応起の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · 山城
現在21点販売中
大月派は江戸時代後期京都を中心に活躍した装剣金工の一派である。開祖大月光興は元禄期に京都に出て、横谷宗珉の高彫色絵の技法を学び、独自の作風を確立した。門人には川原林秀興、篠山篤興、天光堂秀国らがおり、特に秀興は師の技法を継承しながら大月派を隆盛に導いた。文化文政期には秀興の門下から松尾月山嘉六(金剛斎)が輩出され、大月派の伝統を幕末まで維持した。同派は赤銅・真鍮・鉄・四分一など多様な地金を用い、高彫色絵を駆使した華麗な作風で知られる。 大月派の技法的特徴は、精緻な魚子地に高肉彫と据紋を併用し、金や素銅による色絵を施す点にある。高肉彫には立体感豊かな鏨使いが見られ、特に動物の羽毛や龍の鱗など細部の表現に優れる。構図は大胆であり、広い鉄地空間と高彫部分の分量が絶妙な均衡を保つ。片切彫も併用し、人物・動植物・故事など幅広い画題を手掛ける。鐔の造形は竪丸形・葵形・撫角形など多様であり、打返耳に仕立てられるものが多い。地金の微妙な起伏により動静を表現し、彫刻と空間の対比によって主題を際立たせる手法は同派の真骨頂である。 大月派の作品は幕末京都の装剣金工を代表するものとして高く評価される。月山の「孔雀図鐔・縁頭」は魚子を微細に蒔き、据紋を一際高く据え、鏨使いの巧緻さと重厚な面持ちで孔雀の華麗さを極めている。「潜り龍図鐔」は蕩々と飛翔する金龍を生命力豊かに表し、鉄地の起伏と高肉彫の均衡が絶妙である。「衣川館図鐔」は前九年・後三年合戦の一場面を画題とし、両武者の微妙な状態の描写と館の細密な彫技が見事である。これら重要刀装指定作に見る通り、大月派は師流を忠実に継承しながら独自の境地を開き、京都金工の伝統を後世に伝えた。
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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赤銅磨地 鋤出高彫 金色絵 皆山応起(みなやままさおき)大月光興の門人。竜、虎、人物、鳥獣図を高彫に彫る。優工。 図柄の柱潜りは、縦長の小柄本体を柱に見立てて設けられた潜り穴に入らんと格闘している旅人の後ろ姿を描いている。大仏様が災いする邪気を祓わんとした古代の人の意識が参詣者の無病息災にも通じると伝承したもの。 裏には、蜀山人(しょくさんじん)の句きり「婦かく 阿ミだが峯の影深し」 が片切彫されている。 大田南畝(おおたなんぽ)(1749〜1823)は、蜀山人(しょくさんじん)、四方赤良(よものあから)などの号を使い、狂歌、戯作、随筆などで活躍した。平賀源内や山東京伝、版元の蔦屋重三郎や浮世絵師の喜多川歌麿などとも交流のある、華やかな江戸の出版界の中心人物であった。 幕臣としても有能で、御家人という低い身分ながら、重要な任務をこなしました。


応起
江戸
在銘
保存
町彫 · 1670頃
皆山応起(みなやまおうき)は、江戸時代後期に京都で活躍した金工家である。大月光興(おおつきみつおき)の門人で、通称を直市(なおいち)と称し、二条に居住した。初銘は応興(みつおき)といい、後に応起に改め、麗墨堂(れいぼくどう)、竹風堂(ちくふうどう)などの号を用いた。大月光興以降、一門からは大月光弘(みつひろ)、川原林秀興(かわらばやしひでおき)、天光堂秀国(てんこうどうひでくに)、松尾月山(まつおげっさん)といった巧者が輩出し、同派は活況を呈した。応起は、その中でも特に優れた技量を持ち、京金工の要者として位置づけられる。
応起の作風は、金無垢地、四分一(しぶいち)、赤銅(しゃくどう)などの素材を駆使し、高彫(たかぼり)、容彫(ようぼり)、色絵(いろえ)といった多様な技法を組み合わせた華麗な作風を特徴とする。特に、石目地(いしめじ)を用いた作品や、金、銀、四分一、素銅(すあか)などを象嵌(ぞうがん)した色絵の作品に優品が多い。その彫技は微に入り細を穿(うが)ち、写生力に優れ、葉の細々とした葉脈まで鋭く表すなど、細部に至るまで精緻な表現を追求している。また、図取り・肉取りには町彫(まちぼり)ならではの自由闊達さが看取され、大胆な構図を繊細な彫りで表現する力量も高く評価されている。
応起の作品は、古典や故事に題材を採ったものが多く、『伊勢物語』に取材した「業平東下り図」や、「風神雷神図」など、格調高い意匠が特徴である。その作風は典雅な雰囲気に包まれ、京金工らしい洗練された美意識が感じられる。重要刀装具に指定されている作品も多く、その高い技術力と芸術性は、現代においても高く評価されている。特に初期の作には、応起銘の作に共通する流暢な鏨使いには至っていないものの、細部に亘り毛彫・片切彫の一刀、一刀の鏨に力が感じられる真面目な作風も見られ、若銘である応興銘の作域を知る上で貴重な資料となっている。
応起の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
町彫 · 山城
現在21点販売中
大月派は江戸時代後期京都を中心に活躍した装剣金工の一派である。開祖大月光興は元禄期に京都に出て、横谷宗珉の高彫色絵の技法を学び、独自の作風を確立した。門人には川原林秀興、篠山篤興、天光堂秀国らがおり、特に秀興は師の技法を継承しながら大月派を隆盛に導いた。文化文政期には秀興の門下から松尾月山嘉六(金剛斎)が輩出され、大月派の伝統を幕末まで維持した。同派は赤銅・真鍮・鉄・四分一など多様な地金を用い、高彫色絵を駆使した華麗な作風で知られる。 大月派の技法的特徴は、精緻な魚子地に高肉彫と据紋を併用し、金や素銅による色絵を施す点にある。高肉彫には立体感豊かな鏨使いが見られ、特に動物の羽毛や龍の鱗など細部の表現に優れる。構図は大胆であり、広い鉄地空間と高彫部分の分量が絶妙な均衡を保つ。片切彫も併用し、人物・動植物・故事など幅広い画題を手掛ける。鐔の造形は竪丸形・葵形・撫角形など多様であり、打返耳に仕立てられるものが多い。地金の微妙な起伏により動静を表現し、彫刻と空間の対比によって主題を際立たせる手法は同派の真骨頂である。 大月派の作品は幕末京都の装剣金工を代表するものとして高く評価される。月山の「孔雀図鐔・縁頭」は魚子を微細に蒔き、据紋を一際高く据え、鏨使いの巧緻さと重厚な面持ちで孔雀の華麗さを極めている。「潜り龍図鐔」は蕩々と飛翔する金龍を生命力豊かに表し、鉄地の起伏と高肉彫の均衡が絶妙である。「衣川館図鐔」は前九年・後三年合戦の一場面を画題とし、両武者の微妙な状態の描写と館の細密な彫技が見事である。これら重要刀装指定作に見る通り、大月派は師流を忠実に継承しながら独自の境地を開き、京都金工の伝統を後世に伝えた。
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト商品発送後の返品・交換・キャンセルには、基本的に対応しておりません。商品に重大な瑕疵がある場合のみ、当サイトでご購入いただいた商品到着後3日以内であれば返品•交換が可能です。