Q691. 金工鍔 無銘 真鍮地(あるいは銅地か)銀象嵌 縦8.5cm 横7.5cm 厚さ0.37cm 中心穴 0.9cm x 2.6cm 日本美術刀剣保存協会(NBTHK)保存刀装具鑑定書(2002年・後代肥後)付 本作は、保存鑑定では「後代肥後」と極められておりますが、肥後小道具の熱心な研究家に写真を見せたところ、二代甚五の手によるものに相違ないとの見解を得ました。 地鉄の質感や工作が同工の作風と一致するだけでなく、中心穴の周囲に施された独特の鏨跡が、甚五作品であることを決定付けています。 また、甚五鍔のもう一つの特徴として、造りにかすかな非対称性が見られます。本作に付属する落込桐箱も、鍔の形状に合わせて一方向にしか収まらない精巧な造りとなっています。 保存状態も極めて良好な、見事な逸品です。 1,950ドル








肥後 · 肥後 · 1795-1854頃
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肥後 · 肥後
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志水派は、林・平田・西垣と並び肥後金工の本流を代表する四家の一つである。初代志水仁兵衛は平田彦三の甥と伝えられ、その指導を受けた。四家の初代はいずれも細川三斎忠興に抱えられ、直接の指導を受けている。寛永九年(一六三二)、加藤家改易ののち三斎の子忠利が熊本五十四万石に封ぜられると、三斎は隠居の身となり肥後国八代城を隠棲の場と定めた。初代甚五はこのとき彦三と共に三斎に従い八代に移住し、以後志水家は細川家の庇護のもと八代の地で代々栄えた。二代目以降、家督を継ぐ者は甚五(甚五)の名を襲名したが、初代・二代には在銘作が皆無であり、無銘ながら鑑定により世代が判別される。 志水派の作風は、肥後金工諸派の中にあって「ひときわ強烈な個性」[[c:2]]を発揮するものとして一貫して評される。その技法上の最大の特色は、槌目焼手仕立ての鉄地に大胆な真鍮据紋象嵌を施す手法にある。表には猛禽・鶏・梟・雨龍・蛸・蟹などの画題を大きく力強く配し、一方裏は意図的に空間を広くとり、文様は小さく、彩色や肉置きも穏やかにして表裏のバランスをとる。一見非対称に感ぜられるこの表裏の構図こそが志水派の真骨頂であり、説示は繰り返し「総体的にきわめて均整のとれた趣の深い作品」[[c:3]]と評している。表の躍動感と裏の静寂感が渾然一体となり、寂(さび)ないし侘寂の趣を深くする剛毅な作風がそこに成立する。真鍮据紋象嵌は「恐らく平安城象嵌にならったもの」[[c:4]]とされるが、「平安城象嵌と異なるところは大胆な図柄にあって、これが今日なお斬新な感じを与える」と説示に明記されている。また鋤出高彫に金銀布目象嵌を施した作や、素銅地の作もあり、素銅でありながら重厚な趣を醸し出せるのは「甚五の技量の高さを伺うに十分」[[c:5]]と評されるように、地金を問わず深い造形力を示す。撫角形・障泥形を得意の鐔姿とし、変り櫃孔もまた同派に見る特色である。 志水派は肥後金工の伝統において最も異色かつ芸術的迫力に満ちた一派としての地位を占める。とりわけ初代甚五は卓越した作家として説示に高く讃えられ、松上の梟図や松上の猛禽図はその名と「ほとんど同義」とされるほどに密接に結びつく。説示は初代の最高作について「大智は愚の如し」の語を引き、「大巧は拙なるが如し――拙に見えて拙でないが故に常識を超越した力を発揮した」と述べ、技巧を超えた境地に達した芸術家として位置づけている。武人の魂を猛禽に託して無双の覇気を示す一方、余白を十分に生かした画面からは「物深い閑かな雅趣」[[c:6]]が感じとられ、文武両道の達人であった三斎の指導に応えた入念の作と評される。また「魚金甚五」の銘を持つ稀少な在銘作や、銀布目象嵌・毛彫・色金を駆使した後世代の展開は同派の技法的幅の広さを証するものである。「他の金工にはみられない大らかな雰囲気」を醸し出し、「近代的感覚にもうったえる」[[c:7]]と繰り返し評される志水派の絵画的造形は、肥後金工の枠を超えて刀装具史に独自の存在感を刻んでいる。 詳しく見る →
銘が正しい、または無銘でも年代・流派を指摘でき、美術工芸的価値が認められる、保存に値する真正の刀装具と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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