戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
刃長67.0センチ 反り1.7センチ 元幅29.6ミリ 元重ね6.3ミリ 物打幅23.9ミリ 横手位置幅20.3ミリ 物打重ね5.2ミリ 松葉先重ね4.3ミリ 目釘穴3個1個埋 裸身重量604グラム 拵に納めて鞘を払った重量850グラム 室町後期頃 The latter period of Muromachi era 昭和27年9月25日 京都府登録 附属 倉敷刀剣美術館鑑定書、金地変塗鞘打刀拵、銀地金着二重はばき 本刀は、三代兼元と極められた見事な一刀です。姿は鎬造りで元先の幅差が頃好く開き、中切先が気持ち延びごころとなる端正な体配を示しています。地鉄は小板目に杢目が交じり、刃方と鎬地は柾がかっており、地沸がよく付いて地景が入り、少しく肌立つなど美濃物らしい味わい深い鍛えを見せ、刃文は兼元ならではの匂口が明るく冴え渡る互ノ目乱れを三本杉に焼き、尖刃が交じるなど同工の特色が遺憾なく発揮され、刃先へ抜けんばかりの足が頻りに入り、刃中には地に絡んで細かな砂流や金筋が見られるなど、見どころに溢れた豊かな働きを呈し、鋩子は湾れ込んで先が丸く返っており、鋭さと美しさを兼ね備えた見事な出来映えであり、差し込みの研磨が一層兼元らしさを引き出しています。 附属する拵は、金地の派手な変わり塗りの鞘と、二色の糸で美しく組まれた柄巻がひときわ眼を惹きつけます。縁頭は良質な赤銅を地金とし、そこに繊細な彫りが施された秋草図があしらわれ、目貫には愛らしい赤銅地の鼠図が添えられています。鐔は鉄地を用いた沢瀉と葵図の透かし仕立てで、切羽は素銅地に金を着せた手の込んだ作。はばきは銀無垢に金を着せた二重はばきとするなど、細部に至るまで一切の妥協なく贅を尽くした素晴らしい拵となっております。 さらに特筆すべき点として、本刀は昭和二十七年の大名登録刀でもあり、その華やかな拵や刀身の出来の良さと相まって、古くは小大名や上士といった身分の高い武家のもとに大切に伝来していたことがうかがえる由緒正しき優品です。なお、現状におきまして鐔鳴りがあり、柄に僅かながたつきが見受けられ、刀身の物打辺りには極小の刃こぼれがあります。 ※委託品















美濃伝 · 美濃 · 1532-1555頃
現在3点販売中
美濃伝 · 美濃
現在27点販売中
兼元は、美濃国関を本拠とした末美濃の刀工で、室町時代後期に和泉守兼定と並んで美濃鍛冶を代表する家系である。同名が相継いで栄えたが、なかでも最も技量にすぐれるのは二代で、世上この兼元を指して「孫六兼元」と呼称し賞翫してきた。「孫六」は兼元家代々の通称であり、二代がとりわけ著名であることから、この称がそのまま二代の代名詞として用いられている。居住地を明示した作には「濃州赤坂住」と切るものがあり、赤坂を一つの拠点としていたことが知られる。説示には明応・享禄・大永などの年紀を有する作が挙げられ、紀年銘の比較的少ない同家にあって、これらは作期や系統を研究するうえで好資料とされている。 作風の中核をなすのは、三本杉と称される尖り互の目の連れた刃文である。各代を通じてこの刃文を得意とするが、二代と後代とでは趣を異にする。代が下ると尖り刃の形が鋭角的で規則正しく揃うのに対し、二代は互の目の頭が処々丸みをおびて変化を見せ、三本杉のほかに二本杉・四本杉・五本杉といった群落を交えるなど画一的でないところに特色がある。説示はこれを行草の体の三本杉と評し、刃取りに起伏を見せて変化に富む点を二代の見どころとする。地鉄は板目に杢・流れ柾を交えて肌立ちごころとなり、地沸が細かにつき、地景が入り、白け映りが立つのが常で、帽子は乱れ込んで先丸く地蔵状に返るものが多い。一方、初代はあまり三本杉が目立たず、互の目に互の目丁子を交え、時に湯走り・飛焼を伴うものが多く、年紀は明応六年を最も古いものとし、居住地はすべて濃州赤坂住と切られる。二代と初代、さらに後代との別は、こうした刃文の構成と地鉄の風合いから見分けられる。 伝来をみると、二代兼元は実戦刀としての評価が高く、元亀元年の姉川の戦で青木一重が真柄真隆を討ったと伝える青木兼元、また截断銘を裏に施した作などが知られ、切れ味を尊ぶ風が早くから付随していた。金象嵌で笹露と号した作のように、所持者の名とともに伝えられた優品もある。作刀は薙刀・刀・脇指・短刀に及び、長寸で先の張った雄勁な造込みのものから、来写し・京物写しと目される稀な直刃の上品な短刀まで幅があり、二代の技量の振幅を伝えている。説示はこれらを孫六兼元の典型かつ出色の出来口として位置づけ、行体の三本杉が匂口明るくよく沸え、地刃ともに冴える点を賞するとともに、末関を代表する刀工としての名声を確かなものとしている。 詳しく見る →
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
刃長67.0センチ 反り1.7センチ 元幅29.6ミリ 元重ね6.3ミリ 物打幅23.9ミリ 横手位置幅20.3ミリ 物打重ね5.2ミリ 松葉先重ね4.3ミリ 目釘穴3個1個埋 裸身重量604グラム 拵に納めて鞘を払った重量850グラム 室町後期頃 The latter period of Muromachi era 昭和27年9月25日 京都府登録 附属 倉敷刀剣美術館鑑定書、金地変塗鞘打刀拵、銀地金着二重はばき 本刀は、三代兼元と極められた見事な一刀です。姿は鎬造りで元先の幅差が頃好く開き、中切先が気持ち延びごころとなる端正な体配を示しています。地鉄は小板目に杢目が交じり、刃方と鎬地は柾がかっており、地沸がよく付いて地景が入り、少しく肌立つなど美濃物らしい味わい深い鍛えを見せ、刃文は兼元ならではの匂口が明るく冴え渡る互ノ目乱れを三本杉に焼き、尖刃が交じるなど同工の特色が遺憾なく発揮され、刃先へ抜けんばかりの足が頻りに入り、刃中には地に絡んで細かな砂流や金筋が見られるなど、見どころに溢れた豊かな働きを呈し、鋩子は湾れ込んで先が丸く返っており、鋭さと美しさを兼ね備えた見事な出来映えであり、差し込みの研磨が一層兼元らしさを引き出しています。 附属する拵は、金地の派手な変わり塗りの鞘と、二色の糸で美しく組まれた柄巻がひときわ眼を惹きつけます。縁頭は良質な赤銅を地金とし、そこに繊細な彫りが施された秋草図があしらわれ、目貫には愛らしい赤銅地の鼠図が添えられています。鐔は鉄地を用いた沢瀉と葵図の透かし仕立てで、切羽は素銅地に金を着せた手の込んだ作。はばきは銀無垢に金を着せた二重はばきとするなど、細部に至るまで一切の妥協なく贅を尽くした素晴らしい拵となっております。 さらに特筆すべき点として、本刀は昭和二十七年の大名登録刀でもあり、その華やかな拵や刀身の出来の良さと相まって、古くは小大名や上士といった身分の高い武家のもとに大切に伝来していたことがうかがえる由緒正しき優品です。なお、現状におきまして鐔鳴りがあり、柄に僅かながたつきが見受けられ、刀身の物打辺りには極小の刃こぼれがあります。 ※委託品















美濃伝 · 美濃 · 1532-1555頃
現在3点販売中
美濃伝 · 美濃
現在27点販売中
兼元は、美濃国関を本拠とした末美濃の刀工で、室町時代後期に和泉守兼定と並んで美濃鍛冶を代表する家系である。同名が相継いで栄えたが、なかでも最も技量にすぐれるのは二代で、世上この兼元を指して「孫六兼元」と呼称し賞翫してきた。「孫六」は兼元家代々の通称であり、二代がとりわけ著名であることから、この称がそのまま二代の代名詞として用いられている。居住地を明示した作には「濃州赤坂住」と切るものがあり、赤坂を一つの拠点としていたことが知られる。説示には明応・享禄・大永などの年紀を有する作が挙げられ、紀年銘の比較的少ない同家にあって、これらは作期や系統を研究するうえで好資料とされている。 作風の中核をなすのは、三本杉と称される尖り互の目の連れた刃文である。各代を通じてこの刃文を得意とするが、二代と後代とでは趣を異にする。代が下ると尖り刃の形が鋭角的で規則正しく揃うのに対し、二代は互の目の頭が処々丸みをおびて変化を見せ、三本杉のほかに二本杉・四本杉・五本杉といった群落を交えるなど画一的でないところに特色がある。説示はこれを行草の体の三本杉と評し、刃取りに起伏を見せて変化に富む点を二代の見どころとする。地鉄は板目に杢・流れ柾を交えて肌立ちごころとなり、地沸が細かにつき、地景が入り、白け映りが立つのが常で、帽子は乱れ込んで先丸く地蔵状に返るものが多い。一方、初代はあまり三本杉が目立たず、互の目に互の目丁子を交え、時に湯走り・飛焼を伴うものが多く、年紀は明応六年を最も古いものとし、居住地はすべて濃州赤坂住と切られる。二代と初代、さらに後代との別は、こうした刃文の構成と地鉄の風合いから見分けられる。 伝来をみると、二代兼元は実戦刀としての評価が高く、元亀元年の姉川の戦で青木一重が真柄真隆を討ったと伝える青木兼元、また截断銘を裏に施した作などが知られ、切れ味を尊ぶ風が早くから付随していた。金象嵌で笹露と号した作のように、所持者の名とともに伝えられた優品もある。作刀は薙刀・刀・脇指・短刀に及び、長寸で先の張った雄勁な造込みのものから、来写し・京物写しと目される稀な直刃の上品な短刀まで幅があり、二代の技量の振幅を伝えている。説示はこれらを孫六兼元の典型かつ出色の出来口として位置づけ、行体の三本杉が匂口明るくよく沸え、地刃ともに冴える点を賞するとともに、末関を代表する刀工としての名声を確かなものとしている。 詳しく見る →
戦国の関は一つの産業であった。春日神社を氏神と仰ぐ鍛冶たちが、中部日本の軍勢を武装させた。孫六兼元の三本杉と之定の最上作は、量産の町に第一級の技が息づいていたことの証である。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
お求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。