説明

Stock No:SWA-040126Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Hozon TokenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Suruga(Shizuoka), Late Muromachi period about 1532~Blade length(Cutting edge): 51.5cmCurve(SORI): 1.2cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.93cmThickness at the Moto-Kasane: 0.71cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.60cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: One part, Silver HabakiSword tang(Nakago): Kiriyasuri file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Unokubizukuri, Iorimune,Chu-kissakiEngraving: Koshi-bi on each sideJigane(Hada): Itame, MokumeTemper patterns(Hamon): Choji, KogunomeTemper patterns in the point(Bohshi):Registration Card: Tochigi 1962【Additional Information】駿河国(静岡県)の島田派(嶋田派)は、室町時代初期 康正頃(1455)の初代義助を祖として興った一派と伝えられます。義助、義助の弟である助宗は、同銘の継承が考えられ、現存作は室町時代中期以降、特に末期に多く、江戸後期頃まで数代に亘り代が続いています。同門には広助、元助、義綱などの刀工が知られています。中でも広助の作には、隣国甲斐の武田家家臣の所持銘を添えた刀が残っており、同派が武田家と深い関係を有していたことがうかがえます。同派の刀剣には多様な形状が見られ、天下三名槍の一つに数えられる「御手杵(義助作)」や「おそらく」と仮名文字を彫った助宗作の短刀のほか、刀や薙刀なども鍛刀しており、器用さに富む一派といえます。同派の作風は末相州との関連が深く、その影響が随所に認められます。さらに、武蔵の下原派や伊勢の千子派、美濃刀工との交流もあったと伝えられています。本作は、鵜の首造の鋭い姿を呈す一口で、刃長が一尺七寸一分弱。表裏に腰樋を掻き通します。鍛はよく練られた板目肌に杢目を交え、総体肌がよく現れます。刃文は、匂勝ちの尖り刃を主として丁子、小互の目交じり、処々腰開き、棟側からも焼きが入り、鎬筋を越えて全体に飛び焼きが頻りに掛かって皆焼刃が構成されます。帽子はそのまま乱れこんで返ります。本刀は、島田義助に鑑せられた鵜の首造姿の脇差で、躍動感のある皆焼刃が焼かれた貴重な一刀でございます。白鞘、銀無垢一重ハバキ、保存刀剣鑑定書。

Wakizashi [Mumei(Shimada Yoshisuke / Gisuke)][N.B.T.H.K] Hozon Token Hitatsura
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Hozon売切れ

Wakizashi [Mumei(Shimada Yoshisuke / Gisuke)][N.B.T.H.K] Hozon Token Hitatsura

脇差

売却済

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仕様

長さ

51.5 cm

反り

1.2 cm

元幅

2.93 cm

先幅

2.6 cm

流派について

Shimada School島田派

駿河国島田の地に興ったこの一派は、室町期を通じて東海道の一隅に栄えた相州系の鍛冶群である。その主たる名は義助と助宗の二大名跡にあり、説明は義助を島田物の主流をなすものとし、助宗をその弟として室町中期に置く。銘鑑は両家の代を丁寧に並べ、義助の初代を康正の頃とし、助宗を古く文安・文亀より天文に至る連なりに据え、以後同名相継ぎて江戸期に及ぶと記す。されどこの整然たる図式は答えではなく難所であり、現存最古の有年紀作は永正二年の短刀にして、永正より古い年紀の作は遺らず、銘振りもまた各代を分かたぬゆえ、在銘の作は代を付すより一口ごとの出来によって見られる。NBTHKがその年代を量るのは、銘鑑の編年よりは茎に切る年紀によってであり、この一国の鍛冶場は、隣国相模の鍛えに強く影響され、美濃の関や千手派とも縁を結んで、その間に座した。 本派の作風はまず末相州風の沸の乱れにある。肌立ちごころに地沸つき地景の入る、流れて柾に寄る板目の地に、互の目を交えたのたれを焼き、小丁子・尖り刃を交え、沸厚く飛焼・金筋・砂流しをかける。説明は島田の作風が末相州鍛冶と深い関連があって互いに影響しあうと記す。助宗の手には一門自身のものと呼ぶ連れた互の目があり、腰の辺で箱がかったのたれとなり、匂口明るく金筋・砂流しのよく現われたものを、その特色のよく現われた作と読む。帽子は乱れに従い、小乱れあるいは尖りごころの乱れ込みより小丸に返り、ときに焼詰め、ときに掃きかけかかる。この典型に対し別貌が立ち、義助には少ない細直刃や、助宗が志津の風をねらった直刃のごとく、流れる板目に小互の目を交えた静かなる手をも焼く。地鉄は締まった備前地ではなく、流れてやや肌立ち、ときに白け立つこの板目こそが目に島田の手を告げ、刃中の沸の働きを載せる地となる。造込みは多彩にして、鎬造の刀より平造の脇指、内反りの短刀、大身槍に及び、説明は島田一門には比較的に槍が多いと記す。彫物は一門の特色を巧みに伝え、幅広の樋中に梵字と摩利支天を浮彫にし、表裏に倶利迦羅を、短刀に素剣・護摩箸を掻き、ときに珍しく透し彫をなす。 鑑定の勘所は、対比によるよりその自らの確かな見どころから引くにある。すなわち末相州の影響を受けた沸の互の目交じり湾れに砂流し・金筋を交え、流れてやや肌立つ板目に焼く駿州の手であり、直刃はその意図された例外、目立つ彫物と槍は周囲の島田工房の印である。代の判定が成らぬところで、説明はやはり作そのものに向かう。助宗においては大阪の一刀を地刃健全にして助宗の最高作と思われるものとし、永正二年の系譜に連なる十二回の刀を、現存作中最も地刃の冴えて明るく出来優れた一口とする。義助においては二十回の生ぶ茎・平造内反りの短刀を同名中の出色の一口と称え、大永の刀に見る年紀を初期諸代の編年がこれに拠るがゆえ極めて貴重とする。主要工たる義助・助宗が一派の中核をなし、広助らこれに次いで群を支える。茎は生ぶに切り、二字あるいは三字に銘し、年紀は遺るところでは銘に成し得ぬことを成して、長き連なりの中に一手を据える縁となる。物打辺の棟に打たれた切込みは、これらが室町の一国の実用刀であったことを思わせる。伝来としては、義助・助宗ともに皇室の所持にかかる一口を遺し、さような所持から島田の作が市に還ることは稀である。一名のもとに分かたれぬ数代の中で、最上の刀・短刀に説明書が称えるあの冴えと健全をそなえた確かな一口こそ待つに値し、現われればそれは末相州の伝に近き、堅実な一地方の名門の佳き代表となる。

刀剣商

銀座誠友堂

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