説明

刃長39.15センチ 反り0.46センチ 元幅32.85ミリ 元重ね7.2ミリ 物打幅29.0ミリ 物打重ね5.6ミリ 横手位置幅29.0ミリ 松葉先重ね5.6ミリ 裸身重量377グラム。 室町後期 The latter period of Muromachi era 昭和29年3月31日 兵庫県登録 附属 保存刀剣鑑定書、素銅地金鍍金雲形はばき、白鞘 廣助は戦国時代の駿河の刀工で、義助・助宗と共に戦国大名の今川氏や今川氏と同盟関係のあった武田氏に仕えました。代表的な遺作としては武田信玄の家臣、「鬼美濃」の異名で天下にその名を知られた原美濃入道虎胤の所持名入りの重要美術品の刀が特に名高い。 廣助の初代は「義助」の子で、天文頃の人島田鍛冶の内で技量は最も高く、義助より無骨で一見南北朝のような豪壮な姿の作を多く残します。二代は天正頃の人で「村瀬金左衛門」武田家重臣「原美濃守虎胤」佩用刀を残しています。三代は新刀期寛永頃で「与左衛門」以下六代続き何れも長銘を切ります。 この脇指は平造りで身幅広く、重ねも厚い豪壮な姿が印象的。指表に太い樋と細い添樋で丈比べを、裏は尋常なる護摩箸を彫り、鍛えは板目肌が良く練れて肌立ち、地景入り、刃文は沸本位で浅い湾れ調子の刃取りで湾れに互ノ目を交え、刃縁と刃中の働きが頗る豊か。砂流顕著に現れ、足入り、長く力強い金筋が見られ、砂流が太く現れて二重刃、三十刃を呈し、帽子の帰りも複雑に乱れ、いかにも相州伝らしい作風を示しており、貞宗として伝来してきた様子にも首肯できる出来口。尼崎藩主由縁の一刀で、この度初めて市場に登場します。 当店にて真面目な研磨を施しました。研ぎ上がったばかりの地刃の冴えを存分にお楽しみ下さい。 各種クレジットカード、ショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。

無銘(島田廣助) - Mumei (Shimada Hirosuke) - 3-734

無銘(島田廣助) - Mumei (Shimada Hirosuke) - 3-734

脇差

¥440,000

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仕様

長さ

39.15 cm

反り

0.46 cm

元幅

3.29 cm

先幅

2.9 cm

流派について

Shimada School島田派

駿河国島田の地に興ったこの一派は、室町期を通じて東海道の一隅に栄えた相州系の鍛冶群である。その主たる名は義助と助宗の二大名跡にあり、説明は義助を島田物の主流をなすものとし、助宗をその弟として室町中期に置く。銘鑑は両家の代を丁寧に並べ、義助の初代を康正の頃とし、助宗を古く文安・文亀より天文に至る連なりに据え、以後同名相継ぎて江戸期に及ぶと記す。されどこの整然たる図式は答えではなく難所であり、現存最古の有年紀作は永正二年の短刀にして、永正より古い年紀の作は遺らず、銘振りもまた各代を分かたぬゆえ、在銘の作は代を付すより一口ごとの出来によって見られる。NBTHKがその年代を量るのは、銘鑑の編年よりは茎に切る年紀によってであり、この一国の鍛冶場は、隣国相模の鍛えに強く影響され、美濃の関や千手派とも縁を結んで、その間に座した。 本派の作風はまず末相州風の沸の乱れにある。肌立ちごころに地沸つき地景の入る、流れて柾に寄る板目の地に、互の目を交えたのたれを焼き、小丁子・尖り刃を交え、沸厚く飛焼・金筋・砂流しをかける。説明は島田の作風が末相州鍛冶と深い関連があって互いに影響しあうと記す。助宗の手には一門自身のものと呼ぶ連れた互の目があり、腰の辺で箱がかったのたれとなり、匂口明るく金筋・砂流しのよく現われたものを、その特色のよく現われた作と読む。帽子は乱れに従い、小乱れあるいは尖りごころの乱れ込みより小丸に返り、ときに焼詰め、ときに掃きかけかかる。この典型に対し別貌が立ち、義助には少ない細直刃や、助宗が志津の風をねらった直刃のごとく、流れる板目に小互の目を交えた静かなる手をも焼く。地鉄は締まった備前地ではなく、流れてやや肌立ち、ときに白け立つこの板目こそが目に島田の手を告げ、刃中の沸の働きを載せる地となる。造込みは多彩にして、鎬造の刀より平造の脇指、内反りの短刀、大身槍に及び、説明は島田一門には比較的に槍が多いと記す。彫物は一門の特色を巧みに伝え、幅広の樋中に梵字と摩利支天を浮彫にし、表裏に倶利迦羅を、短刀に素剣・護摩箸を掻き、ときに珍しく透し彫をなす。 鑑定の勘所は、対比によるよりその自らの確かな見どころから引くにある。すなわち末相州の影響を受けた沸の互の目交じり湾れに砂流し・金筋を交え、流れてやや肌立つ板目に焼く駿州の手であり、直刃はその意図された例外、目立つ彫物と槍は周囲の島田工房の印である。代の判定が成らぬところで、説明はやはり作そのものに向かう。助宗においては大阪の一刀を地刃健全にして助宗の最高作と思われるものとし、永正二年の系譜に連なる十二回の刀を、現存作中最も地刃の冴えて明るく出来優れた一口とする。義助においては二十回の生ぶ茎・平造内反りの短刀を同名中の出色の一口と称え、大永の刀に見る年紀を初期諸代の編年がこれに拠るがゆえ極めて貴重とする。主要工たる義助・助宗が一派の中核をなし、広助らこれに次いで群を支える。茎は生ぶに切り、二字あるいは三字に銘し、年紀は遺るところでは銘に成し得ぬことを成して、長き連なりの中に一手を据える縁となる。物打辺の棟に打たれた切込みは、これらが室町の一国の実用刀であったことを思わせる。伝来としては、義助・助宗ともに皇室の所持にかかる一口を遺し、さような所持から島田の作が市に還ることは稀である。一名のもとに分かたれぬ数代の中で、最上の刀・短刀に説明書が称えるあの冴えと健全をそなえた確かな一口こそ待つに値し、現われればそれは末相州の伝に近き、堅実な一地方の名門の佳き代表となる。

刀剣商

刀心

shop.nihontou.jp

¥440,000

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