三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
大名登録 古刀天正康重(山本与五郎康重) (大名登録について) 刀が登録制になった初年度、昭和26年の登録になり、元華族、元大名、元士族順に登録をお願いしたことから名刀が多いとされております。 本刀、昭和26年初年度の希少な4桁の大名登録です。 (下原康重について) 中上作刀工 康重は永禄六年生まれ、名を山本藤左衛門、武州下原鍛冶の宗家と伝えられる。 武州下原派は、現在の東京都八王子周辺で活躍した刀工集団で、室町末期に下原鍛冶の始祖という但馬周重の嫡子で二代内匠周重が北条氏康より「康」の字を貰い、康重と改名。 弟の長門周重も北条氏照より「照」の一字を貰って照重と改名したというのが通説。 康重は天文頃に周重の子の山本藤右衛門尉、天正頃に藤右衛門尉の子の山本与五郎がいる。 武州多摩郡下恩方の下原の地に来住鍛刀。彼等を庇護した領主は管領山内上杉家の武蔵守護代の大石氏、上杉家を破り関東を制圧した小田原北条家、さらには豊臣秀吉による小田原城陥落の後北条氏滅亡(天正18年)以降は徳川家から旧領を安堵され、幕府の御用鍛冶として幕末まで鍛刀が続けた。 同派からは照重、廣重、正重、宗國、安國、利長などの刀工が出自して最盛期には『下原十家』といわれるほど繁栄する。 室町時代から江戸時代末まで続いた武蔵国唯一の刀工群である。




武蔵 · 1573-1592頃
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桃山時代
三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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