新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
刃渡り 二尺 反り 三分 元鎬厚 7.4ミリ 元重ね7.0ミリ 先鎬厚 5.2ミリ 先重ね4.8ミリ 元幅 29.8ミリ 先幅 19.5ミリ 刀身重量630g ハバキ 金着せ 目釘穴 1個 生ぶ茎 筋違勝手下がり鑢 入山型 刃文 大互の目乱れ 玉焼き、尖り刃入る 小沸出来 地沸付く 葉、足入り、金線、砂流し働く 帽子 僅かに乱れ込み掃き掛け丸く返る 鍛え 小板目詰み地鉄良く錬られる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 丹後守兼道 菊紋 甲種特別貴重認定済み(協会にて在籍確認及び内容確認済み 在籍全て一致) 兼道の評価額 480万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 甲種特別貴重刀剣 NO.3888 寛文新刀、初代兼道と見受けられます。 江戸初期 国は摂津 兼道について 初代兼道は朝廷の御用を務めた京三品丹波守吉道の子又は次男と言われ、初銘を直道としており、寛永二年に丹後守を受領する。 作風は初代が簾刃や互の目に丁子心を交えた刃を多く焼くのに対して、二代は作風異して、初代作には見られない匂の深い直刃調のものや、華やかな濤瀾心の大互の目乱れとなる。 甲種の鑑定書について 甲種特別貴重刀剣とは 財団法人 日本美術刀剣保存協会 が昭和48年9月から昭和57年5月まで発行していた鑑定書です。 貴重刀剣より優れた刀剣には特別貴重、さらにそれよりも優れたものを甲種と設定されました。 貴重、特別貴重、甲種特別貴重は昭和57年5月に廃止、同年9月以降に現在の鑑定書でもある「保存刀剣」「特別保存刀剣」「重要刀剣」「特別重要刀剣」と変化していきます。 (ご注意 この甲種含むの 旧鑑定書 は 鑑定書自体の 贋物があるので要注意 です。在籍確認と内容の確認ができますので要チェック 発行NO、銘、刃長、日付け、押し型で照会できます。 電話でも照会可 ) 上出来、気品、品格有る一振りをどうぞお愉しみくださいませ。 本刀、パッと見から美しく、素人から玄人まで愉しめる一振りです。 甲種特別刀剣と認められた大変貴重な一振りをどうぞ大切にご所有、お愉しみください。 旧所有者様は当時200万円で購入したとお聞きしております。 商品の状態 *刃切れ・刃絡み・目視上の刃こぼれ・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しございません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください
在銘 · 江戸 · 長さ 60.6cm · 反り 0.9cm




新刀 · 摂津 · 1624-1644頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在2点販売中
新刀 · 山城
現在76点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
¥1,000,000
刃渡り 二尺 反り 三分 元鎬厚 7.4ミリ 元重ね7.0ミリ 先鎬厚 5.2ミリ 先重ね4.8ミリ 元幅 29.8ミリ 先幅 19.5ミリ 刀身重量630g ハバキ 金着せ 目釘穴 1個 生ぶ茎 筋違勝手下がり鑢 入山型 刃文 大互の目乱れ 玉焼き、尖り刃入る 小沸出来 地沸付く 葉、足入り、金線、砂流し働く 帽子 僅かに乱れ込み掃き掛け丸く返る 鍛え 小板目詰み地鉄良く錬られる 寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。 銘文 丹後守兼道 菊紋 甲種特別貴重認定済み(協会にて在籍確認及び内容確認済み 在籍全て一致) 兼道の評価額 480万円 説明 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 1/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 2/3 ↓ここに画像が表示されます。(通信環境により数十秒ほどかかる場合もございます。) 3/3 甲種特別貴重刀剣 NO.3888 寛文新刀、初代兼道と見受けられます。 江戸初期 国は摂津 兼道について 初代兼道は朝廷の御用を務めた京三品丹波守吉道の子又は次男と言われ、初銘を直道としており、寛永二年に丹後守を受領する。 作風は初代が簾刃や互の目に丁子心を交えた刃を多く焼くのに対して、二代は作風異して、初代作には見られない匂の深い直刃調のものや、華やかな濤瀾心の大互の目乱れとなる。 甲種の鑑定書について 甲種特別貴重刀剣とは 財団法人 日本美術刀剣保存協会 が昭和48年9月から昭和57年5月まで発行していた鑑定書です。 貴重刀剣より優れた刀剣には特別貴重、さらにそれよりも優れたものを甲種と設定されました。 貴重、特別貴重、甲種特別貴重は昭和57年5月に廃止、同年9月以降に現在の鑑定書でもある「保存刀剣」「特別保存刀剣」「重要刀剣」「特別重要刀剣」と変化していきます。 (ご注意 この甲種含むの 旧鑑定書 は 鑑定書自体の 贋物があるので要注意 です。在籍確認と内容の確認ができますので要チェック 発行NO、銘、刃長、日付け、押し型で照会できます。 電話でも照会可 ) 上出来、気品、品格有る一振りをどうぞお愉しみくださいませ。 本刀、パッと見から美しく、素人から玄人まで愉しめる一振りです。 甲種特別刀剣と認められた大変貴重な一振りをどうぞ大切にご所有、お愉しみください。 旧所有者様は当時200万円で購入したとお聞きしております。 商品の状態 *刃切れ・刃絡み・目視上の刃こぼれ・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しございません。 *時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください
在銘 · 江戸 · 長さ 60.6cm · 反り 0.9cm




新刀 · 摂津 · 1624-1644頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在2点販売中
新刀 · 山城
現在76点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
本作はNBTHKの旧鑑定書(貴重・特別貴重)を有しますが、これらは現在発行されておらず、信頼性に欠けるとされています。極めを確認するには、公的な鑑定機関(NBTHK・NTHKなど)への再提出による現代の鑑定をご検討いただけます。
¥1,000,000