新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣鑑定書付 丹後守兼道(二代) 【解説】 本刀は江戸時代初期(寛永年間頃)に活躍した、丹後守兼道(たんごのかみかねみち)による一振りです。兼道は三品吉兵衛と称し、当初は直道と銘じていました。 彼は京都三品派の祖である初代丹波守吉道の次男にあたります。三品派はもともと美濃国で武田信玄の抱え鍛冶を務めていた一派で、後に京へ移り住みました。父である初代吉道は「京都五鍛冶」の一人に数えられる名工として知られています。 兼道は当初、京都にて父より作刀技術を学びましたが、後に祖父の名を慕って「兼道」へと改銘しました。寛永二年に丹後守を受領したのを機に大坂へ移住し、大坂三品派の祖として江戸時代を通じて繁栄する礎を築きました。「丹後守」の受領銘は、その優れた技量に対して朝廷より授けられた官位です。 兼道の作風は「大坂新刀」に分類されます。新刀とは慶長から天明年間(1596-1781年)に打たれた刀剣を指し、特に大坂で制作されたものは大坂新刀と呼ばれます。豊臣秀吉による大坂城築城以降、大坂は経済の中心地として発展し、多くの名工が集まりました。彼らは大坂の武士のみならず、全国の諸大名のためにも腕を振るいました。 大坂新刀の大きな特徴は、地鉄(じがね)の美しさにあります。良質な玉鋼の産地が近かったこともあり、精緻で美しい鍛え肌を実現しています。 【彫物】 本刀の刀身には見事な彫物が施されています。表には「人間無骨(にんげんむこつ)」の文字、裏には不動明王を象徴する梵字と「栗利迦羅剣(くりからけん)」が彫り込まれています。 不動明王そのものの姿は描かれていませんが、その持ち物や象徴を描くことで主尊の存在を暗示させる手法は「留守模様(るすもよう)」と呼ばれます。あえて姿を描かずに背景や持ち物でその世界観を表現する、日本古来の奥ゆかしい美意識が感じられる意匠です。このような表現を知ることで、日本刀鑑賞の楽しみはより一層深まることでしょう。 本刀は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に認定されています。保存状態が良く、美術品としての価値が高い真作であることを証明する鑑定書が付属します。 【刀身】 長さ(Nagasa):64.8 cm 反り(Sori):2.2 cm 刃文(Hamon):焼き入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の模様。 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分。 日本刀の茎には、柄内部での赤錆を防ぐために意図的に黒錆(酸化皮膜)が残されます。この経年による落ち着いた色調は、刀剣の時代を証明する重要な見どころの一つです。























新刀 · 摂津 · 1624-1644頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在2点販売中
新刀 · 山城
現在76点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
保存刀剣鑑定書付 丹後守兼道(二代) 【解説】 本刀は江戸時代初期(寛永年間頃)に活躍した、丹後守兼道(たんごのかみかねみち)による一振りです。兼道は三品吉兵衛と称し、当初は直道と銘じていました。 彼は京都三品派の祖である初代丹波守吉道の次男にあたります。三品派はもともと美濃国で武田信玄の抱え鍛冶を務めていた一派で、後に京へ移り住みました。父である初代吉道は「京都五鍛冶」の一人に数えられる名工として知られています。 兼道は当初、京都にて父より作刀技術を学びましたが、後に祖父の名を慕って「兼道」へと改銘しました。寛永二年に丹後守を受領したのを機に大坂へ移住し、大坂三品派の祖として江戸時代を通じて繁栄する礎を築きました。「丹後守」の受領銘は、その優れた技量に対して朝廷より授けられた官位です。 兼道の作風は「大坂新刀」に分類されます。新刀とは慶長から天明年間(1596-1781年)に打たれた刀剣を指し、特に大坂で制作されたものは大坂新刀と呼ばれます。豊臣秀吉による大坂城築城以降、大坂は経済の中心地として発展し、多くの名工が集まりました。彼らは大坂の武士のみならず、全国の諸大名のためにも腕を振るいました。 大坂新刀の大きな特徴は、地鉄(じがね)の美しさにあります。良質な玉鋼の産地が近かったこともあり、精緻で美しい鍛え肌を実現しています。 【彫物】 本刀の刀身には見事な彫物が施されています。表には「人間無骨(にんげんむこつ)」の文字、裏には不動明王を象徴する梵字と「栗利迦羅剣(くりからけん)」が彫り込まれています。 不動明王そのものの姿は描かれていませんが、その持ち物や象徴を描くことで主尊の存在を暗示させる手法は「留守模様(るすもよう)」と呼ばれます。あえて姿を描かずに背景や持ち物でその世界観を表現する、日本古来の奥ゆかしい美意識が感じられる意匠です。このような表現を知ることで、日本刀鑑賞の楽しみはより一層深まることでしょう。 本刀は日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「保存刀剣」に認定されています。保存状態が良く、美術品としての価値が高い真作であることを証明する鑑定書が付属します。 【刀身】 長さ(Nagasa):64.8 cm 反り(Sori):2.2 cm 刃文(Hamon):焼き入れによって刃先に現れる結晶構造。 地肌(Jihada):折り返し鍛錬によって現れる鋼の模様。 茎(Nakago):刀身の柄に収まる部分。 日本刀の茎には、柄内部での赤錆を防ぐために意図的に黒錆(酸化皮膜)が残されます。この経年による落ち着いた色調は、刀剣の時代を証明する重要な見どころの一つです。























新刀 · 摂津 · 1624-1644頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位60%
現在2点販売中
新刀 · 山城
現在76点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.