鍔 柳図 銘:正阿弥 正阿弥の鍔は京を中心に様々な作風に変化し、さらに地方にも広がって更に雰囲気が変化しています。とはいえ、この鍔はどこのものともあまり一致しません。 素朴な雰囲気の一枚です。 松のような幹を持つ柳が、その枝垂れる、細い枝葉を揺らしています。 碁石のように切羽台の部分が最も分厚くなっています。大きすぎず、重すぎず、バランスを狂わせるような鍔ではありませんが、仕組むときには注意が必要です。 販売価格 (税込) ¥20,000 在庫状態 : 注文可 注文可 数量 素材 鉄地金色絵 重さ 110g 縦 69.0mm 横 65.5mm 耳厚 3.0mm 切羽厚 6.0mm 上記以外の内容をお知りになりたい方は、お問合せ番号「AT1350」を添えてお気軽に お問い合わせフォーム よりお問合せください。



正阿弥
在銘
鐔工
現在4点販売中
正阿弥派は室町時代に京都で興り、江戸時代には各地の大名の招きに応じて移住した。その中でも、古正阿弥時代から系統を引くと考えられる京正阿弥が最も著名であり、次いで伊予、阿波、会津、庄内、秋田、江戸、備前などが知られている。正阿弥派の刀工は、刀装具、特に鐔の製作において独自の作風を確立し、各地域において特色ある展開を見せた。
正阿弥派の作風は、鉄地に透彫を施し、金、銀、赤銅などの象嵌を組み合わせたものが通例である。古正阿弥と呼ばれる時代の鐔は、鉄の鍛えが良く、地透の意匠に趣向が凝らされている。象嵌は布目象嵌が多く用いられ、地鉄との調和が重視される。江戸時代の正阿弥派は、赤銅魚子地を用いた作品や、高彫、色絵を駆使した華やかな作風も見られる。秋田正阿弥派は、鋤出高彫による立体的な表現を特徴とし、伊予正阿弥派は、変り形や大振りの作品に象嵌を施し、重厚な味わいを醸し出す。勝義のように幕末から明治にかけて活躍した刀工は、刀装具の製作に加えて、香炉や置物などの室内装飾品も手掛け、その彫金技術を活かした作品を制作した。
正阿弥派の鐔は、その意匠の多様性と象嵌技術の高さから高く評価されている。「透彫も如何にも巧みでしかも雅趣に富み、布目の唐草象嵌も味がよく、正阿弥派の特色を示している」と評されるように、地鉄の鍛え、透かしの技術、象嵌の意匠が一体となった美しさが特徴である。また、「赤銅地に魚子が品良く散らされ、四方に猪目を透かし、耳には金色絵が施され、切羽も魚子地に金色絵が施され、桔梗紋が絶妙に配置されている」[[c:1]]と評されるように、細部にまで意匠が凝らされた作品も多い。正阿弥派は、室町時代から江戸時代、明治時代にかけて、刀装具の世界において重要な役割を果たし、その作風は後世に大きな影響を与えた。
正阿弥の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
鐔工 · Kyoto
現在193点販売中
正阿弥派は室町時代中期頃に興った鐔工の一派である。室町中期から末期にかけて専門の鐔工が登場するが、京の正阿弥もその主たるものであり、この時期の作を古正阿弥の名で言いならわしている。そもそも京都には同朋衆として阿弥衆が存在し、その中に正阿弥一派があった。有名の作はないものの、刀装金具師から鐔工となったというのが今日の通説である。桃山時代には京都に栄え、慶長八年の年紀を有する彦十郎の太刀鐔・大切羽一組はその隆盛の一端を伝えている。同派は江戸期に入ると各地に移住分派し栄えた。秋田正阿弥もその一類で、伝兵衛重吉を事実上の祖としている。傳兵衛は慶安四年に出羽国庄内に生まれ、寛文八年十八歳の時に江戸へ出て正阿弥吉長の弟子となり、延宝元年に秋田へ移り、同三年に藩主佐竹義処の抱え工となり、同四年に正阿弥の流名を許された。以後嫡流は伝内重高、伝七重常、嘉吉重央と続いている。また岡山正阿弥は池田藩に仕え、幕末には藤四郎家九代を継いだ勝義が出た。 古正阿弥と呼ばれるものの作風を見ると、鉄に透彫をして、それに金・銀などの布目象嵌を施したものが通例である。鍛えの良いやや薄手の鉄磨地に左右大透など大胆な地透を切り、日足鑢に赤銅象嵌を加え、耳に縄目文の銀象嵌や雷文繫の金布目象嵌を施すなど、斬新で力強い意匠に見どころがある。一方、赤銅魚子地に高彫・金色絵で家紋を散らす糸巻太刀拵の総金具など格式の高い太刀金具も手掛けており、長右衛門の針書銘や秋田の六弥の年紀銘を有する作が知られる。秋田正阿弥随一の金工傳兵衛の作域は広く、秋田名物の蕗図や雲龍図を肉彫地透象嵌で表したものや、漆芸の堆朱のような効果を発揮したぐり彫などをはじめ多岐に亘っているが、いずれも構図が斬新であり、線象嵌や布目象嵌など高度な象嵌技術には目を見張るものがある。平地に施された金七宝象嵌は平田本家における七宝手法と全く同一のものであり、両家の交流の証として貴重である。岡山の勝義は堂々とした造込みに堅実な鏨使いで重厚感のある高彫を施し、金・銀・赤銅・素銅・四分一の入念精緻な象嵌を存分に用いており、実兄勝実を通じて後藤一乗の作風も学んでいる。 古正阿弥の鐔は、肥後細川家や大徳川家に伝来した打刀拵、信長拵を手本に制作された肥後打刀拵、宮本武蔵の高弟寺尾信行の指料と伝える拵などに用いられており、武家の実用と雅味の双方に応えた同派への評価を物語っている。慶長八年や天明二年などの年紀作は資料性が極めて高く、正阿弥研究の進展に大きく寄与するものである。秋田では傳兵衛が秋田随一の金工として活躍し、三代傳七も初・二代同様に藩主佐竹家の藩工として腕を振るい、江戸の佐野直照に学んだ重照ら門流も確かな構図・彫技を示した。幕末明治の勝義は明治九年に廃刀令にあって刀装具の制作を断ったが、持国天図鐔や七十三翁銘の難波潟歌絵図鐔など、風流のなかにも覇気を感じさせる傑作を遺している。先祖正阿弥から受け継いだ伝統に用即美の華を添えたその系譜は、室町の京に発して諸国に広がり、近世金工の掉尾を飾るまで連綿と続いた一大流派として、刀装具史に確固たる位置を占めている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
鍔 柳図 銘:正阿弥 正阿弥の鍔は京を中心に様々な作風に変化し、さらに地方にも広がって更に雰囲気が変化しています。とはいえ、この鍔はどこのものともあまり一致しません。 素朴な雰囲気の一枚です。 松のような幹を持つ柳が、その枝垂れる、細い枝葉を揺らしています。 碁石のように切羽台の部分が最も分厚くなっています。大きすぎず、重すぎず、バランスを狂わせるような鍔ではありませんが、仕組むときには注意が必要です。 販売価格 (税込) ¥20,000 在庫状態 : 注文可 注文可 数量 素材 鉄地金色絵 重さ 110g 縦 69.0mm 横 65.5mm 耳厚 3.0mm 切羽厚 6.0mm 上記以外の内容をお知りになりたい方は、お問合せ番号「AT1350」を添えてお気軽に お問い合わせフォーム よりお問合せください。



正阿弥
在銘
鐔工
現在4点販売中
正阿弥派は室町時代に京都で興り、江戸時代には各地の大名の招きに応じて移住した。その中でも、古正阿弥時代から系統を引くと考えられる京正阿弥が最も著名であり、次いで伊予、阿波、会津、庄内、秋田、江戸、備前などが知られている。正阿弥派の刀工は、刀装具、特に鐔の製作において独自の作風を確立し、各地域において特色ある展開を見せた。
正阿弥派の作風は、鉄地に透彫を施し、金、銀、赤銅などの象嵌を組み合わせたものが通例である。古正阿弥と呼ばれる時代の鐔は、鉄の鍛えが良く、地透の意匠に趣向が凝らされている。象嵌は布目象嵌が多く用いられ、地鉄との調和が重視される。江戸時代の正阿弥派は、赤銅魚子地を用いた作品や、高彫、色絵を駆使した華やかな作風も見られる。秋田正阿弥派は、鋤出高彫による立体的な表現を特徴とし、伊予正阿弥派は、変り形や大振りの作品に象嵌を施し、重厚な味わいを醸し出す。勝義のように幕末から明治にかけて活躍した刀工は、刀装具の製作に加えて、香炉や置物などの室内装飾品も手掛け、その彫金技術を活かした作品を制作した。
正阿弥派の鐔は、その意匠の多様性と象嵌技術の高さから高く評価されている。「透彫も如何にも巧みでしかも雅趣に富み、布目の唐草象嵌も味がよく、正阿弥派の特色を示している」と評されるように、地鉄の鍛え、透かしの技術、象嵌の意匠が一体となった美しさが特徴である。また、「赤銅地に魚子が品良く散らされ、四方に猪目を透かし、耳には金色絵が施され、切羽も魚子地に金色絵が施され、桔梗紋が絶妙に配置されている」[[c:1]]と評されるように、細部にまで意匠が凝らされた作品も多い。正阿弥派は、室町時代から江戸時代、明治時代にかけて、刀装具の世界において重要な役割を果たし、その作風は後世に大きな影響を与えた。
正阿弥の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
鐔工 · Kyoto
現在193点販売中
正阿弥派は室町時代中期頃に興った鐔工の一派である。室町中期から末期にかけて専門の鐔工が登場するが、京の正阿弥もその主たるものであり、この時期の作を古正阿弥の名で言いならわしている。そもそも京都には同朋衆として阿弥衆が存在し、その中に正阿弥一派があった。有名の作はないものの、刀装金具師から鐔工となったというのが今日の通説である。桃山時代には京都に栄え、慶長八年の年紀を有する彦十郎の太刀鐔・大切羽一組はその隆盛の一端を伝えている。同派は江戸期に入ると各地に移住分派し栄えた。秋田正阿弥もその一類で、伝兵衛重吉を事実上の祖としている。傳兵衛は慶安四年に出羽国庄内に生まれ、寛文八年十八歳の時に江戸へ出て正阿弥吉長の弟子となり、延宝元年に秋田へ移り、同三年に藩主佐竹義処の抱え工となり、同四年に正阿弥の流名を許された。以後嫡流は伝内重高、伝七重常、嘉吉重央と続いている。また岡山正阿弥は池田藩に仕え、幕末には藤四郎家九代を継いだ勝義が出た。 古正阿弥と呼ばれるものの作風を見ると、鉄に透彫をして、それに金・銀などの布目象嵌を施したものが通例である。鍛えの良いやや薄手の鉄磨地に左右大透など大胆な地透を切り、日足鑢に赤銅象嵌を加え、耳に縄目文の銀象嵌や雷文繫の金布目象嵌を施すなど、斬新で力強い意匠に見どころがある。一方、赤銅魚子地に高彫・金色絵で家紋を散らす糸巻太刀拵の総金具など格式の高い太刀金具も手掛けており、長右衛門の針書銘や秋田の六弥の年紀銘を有する作が知られる。秋田正阿弥随一の金工傳兵衛の作域は広く、秋田名物の蕗図や雲龍図を肉彫地透象嵌で表したものや、漆芸の堆朱のような効果を発揮したぐり彫などをはじめ多岐に亘っているが、いずれも構図が斬新であり、線象嵌や布目象嵌など高度な象嵌技術には目を見張るものがある。平地に施された金七宝象嵌は平田本家における七宝手法と全く同一のものであり、両家の交流の証として貴重である。岡山の勝義は堂々とした造込みに堅実な鏨使いで重厚感のある高彫を施し、金・銀・赤銅・素銅・四分一の入念精緻な象嵌を存分に用いており、実兄勝実を通じて後藤一乗の作風も学んでいる。 古正阿弥の鐔は、肥後細川家や大徳川家に伝来した打刀拵、信長拵を手本に制作された肥後打刀拵、宮本武蔵の高弟寺尾信行の指料と伝える拵などに用いられており、武家の実用と雅味の双方に応えた同派への評価を物語っている。慶長八年や天明二年などの年紀作は資料性が極めて高く、正阿弥研究の進展に大きく寄与するものである。秋田では傳兵衛が秋田随一の金工として活躍し、三代傳七も初・二代同様に藩主佐竹家の藩工として腕を振るい、江戸の佐野直照に学んだ重照ら門流も確かな構図・彫技を示した。幕末明治の勝義は明治九年に廃刀令にあって刀装具の制作を断ったが、持国天図鐔や七十三翁銘の難波潟歌絵図鐔など、風流のなかにも覇気を感じさせる傑作を遺している。先祖正阿弥から受け継いだ伝統に用即美の華を添えたその系譜は、室町の京に発して諸国に広がり、近世金工の掉尾を飾るまで連綿と続いた一大流派として、刀装具史に確固たる位置を占めている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。