刃長48.9センチ 反り0.93センチ 元幅27.8ミリ 元重ね6.2ミリ 物打幅24.3ミリ 物打重ね5.1ミリ 横手位置幅22.5ミリ 松葉先重ね4.9ミリ 裸身重量415グラム。 江戸後期寛政二年(1790) The latter period of Edo era 平成27年2月10日 大阪府登録 附属 特別保存刀剣鑑定書、素銅地金着はばき、白鞘 本国播磨。宝暦三年に生まれ、後に大阪に出て貝三原の末裔である同郷の先輩である黒田鷹諶(たかのぶ)の門人となり、寛政十年に長門守を受領後は尾崎長門守助隆と楷書で銘を切るようになります。 水戸の直江助政、大坂の天龍子正隆、作州津山の多田貴勝等、多数の門人を育てた大坂の新々刀を代表する名工で、特に濤乱刃の名人として評され、西の助隆、東の正秀(水心子正秀)と並び賞賛されました。 新々刀期の初期に於いては、全国的に助廣に範をとった濤瀾刃が流行しましたが、これは当時の刀剣鑑定家であった鎌田魚妙が、著書『新刀辨疑』で助廣を新刀第一等の名工と賞賛したことから、多くの刀工達がその作風に倣ったものと思われ、水心子正秀一門等は、やがて備前伝・相州伝等の古刀名作の復古に移行する中、助隆だけは終始一貫して助廣写しとも言える濤瀾刃に徹し、文化二年五十三才にて没しました。 この脇指は元先の差が開かず、反り浅目で帽子が延び、鋭さを感じさせる体配で、小板目鍛え細かな地景が蠢いて緻密に肌起ち、地沸微塵に付いて精良な地鉄に、助隆得意の匂口冴えた濤瀾刃を焼き上げた作品。中心千両との言葉に相応しい保存状態優れたうぶ中心には、助廣に倣った独特の草書体風の銘字が鑚強く鮮やかに刻され、裏年紀も助廣と同じく表銘より一字上から切り始められており、如何に助隆が助廣に私淑していたかを物語っています。 一部にヒケが見られます。上研磨を施し末長く愛でて頂きたいとの思いから、研磨代を考慮したお求め易い価格で御案内致します。是非この機会に助隆の名脇指を御入手下さい。 各種クレジットカード、ショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。
Certificate reading — 銘 尾崎源五右衛門助隆 寛政二年八月日
在銘 · 寛政 · 長さ 48.9cm · 反り 0.93cm









新刀 · 摂津 · 1789-1803頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在3点販売中
助隆の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在73点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお求めになられた商品とは異なる商品をお届けしてしまった場合や、表記内容と現物とに大きな隔たりなどがあった場合を除き、基本的に返品はお受けいたしません。返品をご要望の場合は、商品到着後3日以内に御連絡の上ご返送下さい。
刃長48.9センチ 反り0.93センチ 元幅27.8ミリ 元重ね6.2ミリ 物打幅24.3ミリ 物打重ね5.1ミリ 横手位置幅22.5ミリ 松葉先重ね4.9ミリ 裸身重量415グラム。 江戸後期寛政二年(1790) The latter period of Edo era 平成27年2月10日 大阪府登録 附属 特別保存刀剣鑑定書、素銅地金着はばき、白鞘 本国播磨。宝暦三年に生まれ、後に大阪に出て貝三原の末裔である同郷の先輩である黒田鷹諶(たかのぶ)の門人となり、寛政十年に長門守を受領後は尾崎長門守助隆と楷書で銘を切るようになります。 水戸の直江助政、大坂の天龍子正隆、作州津山の多田貴勝等、多数の門人を育てた大坂の新々刀を代表する名工で、特に濤乱刃の名人として評され、西の助隆、東の正秀(水心子正秀)と並び賞賛されました。 新々刀期の初期に於いては、全国的に助廣に範をとった濤瀾刃が流行しましたが、これは当時の刀剣鑑定家であった鎌田魚妙が、著書『新刀辨疑』で助廣を新刀第一等の名工と賞賛したことから、多くの刀工達がその作風に倣ったものと思われ、水心子正秀一門等は、やがて備前伝・相州伝等の古刀名作の復古に移行する中、助隆だけは終始一貫して助廣写しとも言える濤瀾刃に徹し、文化二年五十三才にて没しました。 この脇指は元先の差が開かず、反り浅目で帽子が延び、鋭さを感じさせる体配で、小板目鍛え細かな地景が蠢いて緻密に肌起ち、地沸微塵に付いて精良な地鉄に、助隆得意の匂口冴えた濤瀾刃を焼き上げた作品。中心千両との言葉に相応しい保存状態優れたうぶ中心には、助廣に倣った独特の草書体風の銘字が鑚強く鮮やかに刻され、裏年紀も助廣と同じく表銘より一字上から切り始められており、如何に助隆が助廣に私淑していたかを物語っています。 一部にヒケが見られます。上研磨を施し末長く愛でて頂きたいとの思いから、研磨代を考慮したお求め易い価格で御案内致します。是非この機会に助隆の名脇指を御入手下さい。 各種クレジットカード、ショッピングローンによる分割購入も承っております。お気軽にお申し付け下さい。
Certificate reading — 銘 尾崎源五右衛門助隆 寛政二年八月日
在銘 · 寛政 · 長さ 48.9cm · 反り 0.93cm









新刀 · 摂津 · 1789-1803頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在3点販売中
助隆の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在73点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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