Stock No:WA-090222Paper(Certificate): [N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Settsu (Osaka)/Late Edo period 1794Blade length(Cutting edge): 43.4cmCurve(SORI): 0.75cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.50cmThickness at the Moto-Kasane: 0.80cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.90cmThickness at the Saki-Kasane: 0.65cmSword tang(Nakago):Unaltered,Sujikaiyasuri with Keshoyasuri file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Length of Koshirae :about 63cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiEngraving: Omote:Koshihi,Ura:GomabashiJigane(Hada): Ko-itameTemper patterns(Hamon): O-Gunome and Midare (Toran-midare)Temper patterns in the point(Bohshi): Notare then Komaru round tipRegistration Card: Fukuoka【Additional Information】尾崎助隆の本国は播磨で宝暦三年に生まれ。後に大阪に出て貝三原の末裔である同郷の先輩、黒田鷹諶の門人となります。刻銘は、尾崎源五右衛門助隆、尾崎源五右衛門藤原助隆、尾崎長門守藤原朝臣助隆、などと銘切します。水戸の直江助政、大坂の天龍子正隆、作州津山の多田貴勝等、多数の門人を育てた大阪新々刀を代表する名工で、特に濤乱刃の名人と評され西の助隆、江戸の水心子正秀を東の正秀と称し賞賛されました。文化二年没、五十三才。本刀は刃長が一尺四寸三分強。身幅最も広く、重ね厚い。反りは浅めで、中切っ先やや延びる豪壮で力感のある刀姿です。地鉄は、小板目肌に地沸良く付き、細かな地景が入る強靭な鍛えです。焼刃は小沸出来で匂口深く、沸付き柔らかで、明るく冴えた濤瀾風大互の目乱れです。刃中には足良く入り働き盛んです。帽子は湾れ込んで先小丸へ返ります。茎は生ぶで化粧筋違鑢目に銘と年紀を刻します。本作は重量感のある体配に、同工の得意とする濤乱風の刃文を焼いた豪刀で、特に華やかで変化に富んだ妙味のある焼刃は誠に見事であります。白鞘、桐箱、金着せ一重はばき、変塗鞘脇差拵、特別保存刀剣鑑定書。コンプトン博士旧蔵品箱書き。※委託品につき小錆がございます。







新刀 · 摂津 · 1789-1803頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在3点販売中
助隆の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在73点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
No cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock No:WA-090222Paper(Certificate): [N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon TokenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Settsu (Osaka)/Late Edo period 1794Blade length(Cutting edge): 43.4cmCurve(SORI): 0.75cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.50cmThickness at the Moto-Kasane: 0.80cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.90cmThickness at the Saki-Kasane: 0.65cmSword tang(Nakago):Unaltered,Sujikaiyasuri with Keshoyasuri file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Length of Koshirae :about 63cmShape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune, Chu-kissakiEngraving: Omote:Koshihi,Ura:GomabashiJigane(Hada): Ko-itameTemper patterns(Hamon): O-Gunome and Midare (Toran-midare)Temper patterns in the point(Bohshi): Notare then Komaru round tipRegistration Card: Fukuoka【Additional Information】尾崎助隆の本国は播磨で宝暦三年に生まれ。後に大阪に出て貝三原の末裔である同郷の先輩、黒田鷹諶の門人となります。刻銘は、尾崎源五右衛門助隆、尾崎源五右衛門藤原助隆、尾崎長門守藤原朝臣助隆、などと銘切します。水戸の直江助政、大坂の天龍子正隆、作州津山の多田貴勝等、多数の門人を育てた大阪新々刀を代表する名工で、特に濤乱刃の名人と評され西の助隆、江戸の水心子正秀を東の正秀と称し賞賛されました。文化二年没、五十三才。本刀は刃長が一尺四寸三分強。身幅最も広く、重ね厚い。反りは浅めで、中切っ先やや延びる豪壮で力感のある刀姿です。地鉄は、小板目肌に地沸良く付き、細かな地景が入る強靭な鍛えです。焼刃は小沸出来で匂口深く、沸付き柔らかで、明るく冴えた濤瀾風大互の目乱れです。刃中には足良く入り働き盛んです。帽子は湾れ込んで先小丸へ返ります。茎は生ぶで化粧筋違鑢目に銘と年紀を刻します。本作は重量感のある体配に、同工の得意とする濤乱風の刃文を焼いた豪刀で、特に華やかで変化に富んだ妙味のある焼刃は誠に見事であります。白鞘、桐箱、金着せ一重はばき、変塗鞘脇差拵、特別保存刀剣鑑定書。コンプトン博士旧蔵品箱書き。※委託品につき小錆がございます。







新刀 · 摂津 · 1789-1803頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在3点販売中
助隆の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 摂津
現在73点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
No cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).