後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
This blade is attributed to Jitsua(実阿), who was active during the late Kamakura (Late 13th- Early 14th century). He was the son of Sairen Kuniyoshi (西蓮国吉) and the father of Sano Yasuyohi (左安吉), also known as Osa (大左). He belonged to Samonji school, one of the most prestigious schools in Chikuzen province (Today’s Fukuoka prefecture). Jitsua resided in Chikuzen province (Today’s Fukuoka prefecture). There aren’t many remaining works signed by Jitsua. While his son Yasuyoshi mastered Soshu Den, one of the five Japanese sword forging techniques, Jitsua forged blades with Yamato Den. It is said that Jitsua and other members who belonged to Samonji schools were devoured Buddhist priests while forging blades for Samurai who lived there. Generally speaking, Kyushu island was prosperous in sword-making because of its long trading history with Asian countries. Many feudal lords on this island fought against each other to gain an advantage in trading. Samonji school received many orders as the demand increased among those lords and Samurai. It is appraised as a Tokubetsu Hozon Token(特別保存刀剣) issued by NBTHK(Nihon Bijutsu Touken Hozon Kyokai:日本美術刀剣保存協会). *Please keep in mind that there are a few visible Kitae Kizu on this blade. Authentication Paper They authenticated the blade on Apr. 7th in the 18th year of Heisei (2006). They appraised it as Tokubetsu Hozon Touken, the blade especially worth preserving for Japanese society.





















販売店の記載のまま
筑前 · 筑前 · 1303-1335頃
藤代 上作 · 刀剣大鑑 上位10%
筑前の実阿は、その活躍期が自らの手で年記される。元弘三年(一三三三)・建武二年(一三三五)紀の太刀が現存し、古剣書には嘉暦二年(一三二七)の刀絵図が見えるため、その年代は一派の中でも最も確実な工の一人である。説明書は本工を西蓮国吉の子・大左、すなわち天才児左文字の父と伝え、九州古典派の系がその明るい相州風へ転ずる直前の蝶番に置く。良西・入西・西蓮と続く伝統のうちに働き、NBTHKはその作を、彼ら自身の言葉でいえば「九州古典派の作域を墨守した」[[c:1]]ものと読む。
その特色ある手は、九州古典派の作風を最も荒く推し進めたものである。鍛えは板目に大板目・杢を交えて肌立ち、流れごころとなって刃寄り柾がかり、最も典型的な作では綾杉風の肌を呈する。説明書は本工を一系の中でも最も荒ぶる鍛えの工と名指し、「一派の中で最も荒ぶる傾向にある」[[c:2]]とし、さらにその肌立ち流れる地鉄が時に同国の波平に通うとする。これに焼幅低めの、あるいは細直刃を焼き、刃縁ほつれて、説明書がその刃を「匂口がうるみごころの直刃を焼く」[[c:3]]と評するとおり、小沸つき砂流し・金筋かかる。帽子は直ぐに掃きかけて小丸となり、時に焼詰めとなる。
地鉄は終始変わらぬところで、しかも黒い。肌立つ地に地沸厚くつき、地景入り、かねは黒味をおびて鎬寄りに淡く白け映りが立つ。これは備前地鉄の明るい乱れ映りとは異なる九州の地で、黒いかねとうるみの匂口とともに、実阿を見分ける三点をなす。鍛えがつまれば映りはいよいよ冴え、大模様の流れる大板目にゆるめば、judgesの名指す黒く荒い相が前に出る。地刃ともに説明書はこの時代の、ある一文に「九州物気質」と呼ぶところを見出し、大和物とも異なる地方色をその見どころに数える。
その記録は自ずから二つの register に分かれる。一方には、一系の基準となる僅少な在銘作が立つ。太刀で、入西・西蓮の細身の造込みに比べて幅広のものが数口あり、重ね厚く、磨上ながらも踏張りしっかりと残り腰反り高くつく。これに細身で尋常の内反りの在銘短刀二口が加わる。在銘作を分かつのは銘そのもので、茎尻近くに常より遥かに大振りの太い二字銘・三字銘を切り、字画は常の通りながら字体は大振りで、ある特別重要刀剣はこれを「他に類がない程に大振り」[[c:5]]と評する。他方には記録の大半をなす大磨上無銘の刀・薙刀直しが立ち、時代と一派から極められて、同じ鍛えと同じ静かな直刃を見せる。
実阿をその両隣から分かつのは、まさに極めの言うところである。より静かな先人西蓮・入西とは、幅広の造込みとより荒く流れる地鉄によって分かたれ、名高い子とは刃と鉄の双方によって分かたれる。説明書が「大左が地刃共に明るく冴えた相州伝の作風を大成した」[[c:6]]とするのに対し、実阿自身の直刃は焼幅低く沈みごころで、黒く肌立つ地の上に匂口うるむ。その作はその輝きが育った古典的な九州の根であり、説明書はこれを次代の天才児を生み出した礎地と読む。
収集の観点では、稀な初期九州の名である。藤代の極めは上作。国宝はなく、その記録は重要文化財一口、特別重要刀剣・重要刀剣、そして戦前の重要美術品を通じ、特別重要刀剣・重要刀剣の級に二十四口を数える。所在の知られる限り、その作は来歴の確かな旧家・機関に伝わる。堂々たる在銘太刀は上杉家に伝来し、他は島津家・柳川立花家に降り、二宮家旧蔵の重要美術品が佐野美術館に、いま一口が黒川古文化研究所に蔵され、さらに京都国立博物館・熱田神宮にも作が記録される。在銘作は遥かに稀で、在銘短刀に至っては殆ど他に類を見ず、在銘の実阿が世に出ることは稀である。大磨上無銘の極めにしても、その多くは伝えられて商われることは少なく、私蔵の一口は収集家にとって注目すべきもの、左文字を生んだ九州の手を語る証である。
實阿の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
脇物 · 筑前
筑前は九州博多を本拠とした刀工の括りであり、説示が扱うのは良西を祖として西蓮・実阿へと連なる一系の古典派である。良西の弟あるいは弟子と伝える入西に永仁五年紀の太刀が遺ることから、その活躍はおおむね鎌倉時代後期に始まると考えられ、続く西蓮、さらに実阿の代は鎌倉時代末期から南北朝時代の初頭に及ぶ。西蓮は『光山押形』所載の「筑前国博多談議所国吉法師西蓮 文保元年二月」[[c:1]]銘の太刀によって国吉と同一人物であることが知られ、入道銘を西蓮と称した。現存する銘文には「国吉」の二字銘のほか「談議所国吉」「西蓮」「談議所西蓮」などがあり、対蒙古防衛のために博多に置かれた鎮西談議所に仕えた工と目される。実阿は西蓮国吉の子で、相州伝を大成した名工大左(左文字)の父と伝え、この一門が筑前における後代の隆盛の母胎となった。説示が一貫して示すのはこの良西・入西・西蓮・実阿の系譜であり、九州古典派と称される単一の流れである。 地鉄は、板目が大模様に肌立って流れ、刃寄りが柾がかるのを共通の語法とし、しばしば大板目や杢を交え、地沸がつき、地景が入り、かな色が黒味をおびて淡く白け映りや白けごころが現れる。刃文は直刃を基調とし、細直刃から中直刃まで焼幅に幅があるものの、刃縁にほつれや打のけがかかり、二重刃・三重刃風や湯走り・飛焼を交え、金筋・砂流しを伴って、匂口がうるみごころとなる点が繰り返し記される。帽子は直ぐ調に小丸となって掃きかけ、浅く返るものが多い。系中の差異としては、良西の在銘短刀が冠落造に細直刃を焼いて区際を焼き落とす古様を見せるのに対し、実阿は鍛えが一派の中でも最も荒ぶる傾向にあり、時に綾杉風の肌合を呈して直刃に互の目・小互の目を交える点が特徴とされる。西蓮はその中間にあって、焼幅低めの直刃にほつれと細かな働きを見せ、地刃に黒味と白けを伴う作域を本領とする。 鑑定にあたっては、大模様に肌立って流れる板目と柾がかりの地鉄、黒味をおびたかな色、直刃にほつれてうるむ匂口という九州物伝統の様相を要点とし、綾杉風の肌や荒びた風格が看取されれば実阿に、焼幅低めの直刃に細かなほつれが目立てば西蓮に擬される。在銘作の乏しい良西では本短刀のごとき確実な遺品が作域を知る資料として重んじられ、西蓮には本阿弥光徳・光常による金象嵌銘や折紙の極めが伝わって資料性を高めている。代表作には談議所国吉銘の太刀、建武二年紀を有する実阿の作などがあり、伝来には徳川将軍家、重富島津家、上杉家のものが知られる。説示は総じて、無銘磨上の刀に対しても各工の系譜と作域を照らして極めを下しており、九州古典派の様式を墨守したこの一系を、後の左文字一門に先立つ筑前刀の源流として位置づけている。 詳しく見る →
鎌倉時代
後世のほとんどの権威が、鎌倉を日本刀の黄金時代と呼ぶ。最初の武家政権が注文主となり、諸伝統が同時に最盛期を迎え、伝えでは諸国の名工が後鳥羽上皇の御所に月番で伺候した。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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