新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
四代京丹波 丹波守吉道=簾刃・・・初代の京丹波、二代の大坂丹波も、またその一門も簾刃のイメージが強く、愛好家もまたその作域を望む傾向があります。しかし、ここに紹介する四代吉道の刀は家伝の簾刃ではなく弯刃。かなりゆったりと弯れた直調の弯です。別に珍しくもないと?・・・そうかもしれません。丁子や五の目、果ては皆焼が得意な刀工だって、直刃は必ずと言って良いほど焼いていると思います。であれば、その直刃の派生?とも捉えられる弯刃も普通に焼いている刃文の一つとも言えます。でも実際の現存刀を眺めると、弯刃は意外なほど少ない現実があります。何故なんでしょう。特徴を出しにくい?、華やかさがない?、中途半端?、直刃ほど堅実さがない?、侍に好まれない?・・・理由をあげればキリがないほど難癖をつけられます。そうではないとしても、刀工が好んで焼く刃文ではなさそうです。当店の勝手な憶測ですが、弯のライン(形状)取りが難しいのではないかと思うのです。ちょっとした線の形状如何で、厳つくもなり優雅にもなり、あっさりとした見え方の割りにはとても面倒な刃文なのかもしれません。簡単に言えば、センスの良し悪しががそのまま出てしまうのが弯刃なのではないかと。(機会があれば、現代刀匠に尋ねて見たいと思います。) そういう視点で本刀を見ると、皆さんはどう受け取るのでしょう。弯の大きな山の頭は、威嚇つく感じもキブい感じはしません。谷も同じく見えますが少し違って、頭に対して少し窄んだようにも見えます。それでも総体にはバランスを取っているように思えます・・・個々の形状を深く考えなければ、ゆったりと流れる大河のようでこれはこれで、悠々とした落ち着きのある刃文だと思います。 匂口は柔らかくふっくらとして、刃縁に叢もなく微塵な小足も出て上出来です。ただ、金筋や砂流の所作はありません。逆にいうと、この刃文の谷と谷の間に金筋・砂流といった縦の所作が絡むと、そのまま吉道の代名詞でもある簾刃に変身することが可能です。つまりこの刃文は敢えて簾刃になるのを避けた鍛をして作ったとも言えます。弯のやや窄んだ谷の形状は、家伝である得意な簾刃を焼く時の特徴が、無意識に出てしまったが故の景色だと思うのです・・・このように考えると、本刀はそれなりに珍品かもしれません。それに刃長も考慮すれば、注文打の可能性は高く、精美な地肌の鍛も頷ける一振です。
取扱店 あさひ刀剣
この品の現在有効な鑑定書は確認できませんでした。審査に出されたことがあるか、出せるかを刀剣商にお尋ねください。 — Hoshi
販売中 3点


新刀 · 山城 · 1673-1681頃
藤代 中上作 · 刀剣大鑑 上位76%
現在3点販売中
新刀 · 山城
現在55点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
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