新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
日本刀 刀 銘 丹波守吉道(京四代) 特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、銘を「丹波守吉道」と切る一振りです。日本美術刀剣保存協会(日美協)の鑑定により、京都の四代目吉道の手によるものと極められました。吉道の名は江戸時代を通じて京都と大坂の両地で繁栄しましたが、これらを区別するため、京都の系統を「京吉道」、大坂の系統を「大坂吉道」と呼び習わしています。 四代京吉道は名門「三品(みしな)派」に属し、延宝から元禄年間(1673-1703年)にかけて活躍しました。寛文12年(1672年)に「丹波守」を受領。本名を三品吉之丞と称します。 また、吉道家は朝廷より菊紋を刻むことを許された特権的な家柄であり、本作の茎(なかご)にもその栄誉の象徴である菊紋が鮮やかに残されています。 三品派について 初代丹波守吉道は、三品派の祖である初代陸奥守大道(兼道)の息子の一人です。大道はもともと美濃の出身で、名将・武田信玄の抱え鍛冶であったと伝えられています。後に関、そして京都へと移り、四人の息子とともに三品派を確立しました。その息子たち、すなわち伊賀守金道、和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊は「京都五鍛冶」として名を馳せ、江戸初期の京都画壇ならぬ作刀界を牽引しました。 三品派の卓越した技術は江戸時代を通じて継承され、本作の作者である四代吉道においても、その高い芸術性を存分に見て取ることができます。なお、京吉道の家系は幕末の七代まで続きました。 本作の見どころは、初代吉道が創始した独創的な「簾刃(すだれば)」です。その名の通り、日本の伝統的な「簾(すだれ)」を思わせるこの華やかな焼出しは、吉道家のお家芸として代々受け継がれてきました。本作にも見事な簾刃が焼かれており、同工の特色が顕著に表れています。 本作は日本美術刀剣保存協会により「特別保存刀剣」に認定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ芸術的価値の高い真作にのみ与えられる格付けです。 ※刀身にわずかな鍛え傷(きたえきず)がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長さ) : 75.7 cm(2尺5寸強) 反り(反り) : 1.3 cm 刃文(はもん) : 焼き入れによって刃縁に現れる結晶構造。本作は吉道家伝来の簾刃。 地鉄(地肌) : 折り返し鍛錬によって現れる鋼の模様。 切先(きっさき) : 刀身の先端部分。 茎(なかご) : 柄に収まる持ち手部分。 古い刀の茎には「黒錆」が残されています。これは赤錆を防ぐ役割を果たすとともに、その色調の変化は専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装(拵)】 拵(こしらえ) : 鞘、柄、鍔などから構成される刀装具一式。 縁頭(ふちかしら) : 柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭は「蕨(わらび)」をモチーフとしています。春の芽吹きを象徴する独特の渦巻き状の造形が、優美に表現されています。
























新刀 · 山城 · 1673-1681頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位76%
現在6点販売中
新刀 · 山城
現在73点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
日本刀 刀 銘 丹波守吉道(京四代) 特別保存刀剣鑑定書付 【解説】 本作は、銘を「丹波守吉道」と切る一振りです。日本美術刀剣保存協会(日美協)の鑑定により、京都の四代目吉道の手によるものと極められました。吉道の名は江戸時代を通じて京都と大坂の両地で繁栄しましたが、これらを区別するため、京都の系統を「京吉道」、大坂の系統を「大坂吉道」と呼び習わしています。 四代京吉道は名門「三品(みしな)派」に属し、延宝から元禄年間(1673-1703年)にかけて活躍しました。寛文12年(1672年)に「丹波守」を受領。本名を三品吉之丞と称します。 また、吉道家は朝廷より菊紋を刻むことを許された特権的な家柄であり、本作の茎(なかご)にもその栄誉の象徴である菊紋が鮮やかに残されています。 三品派について 初代丹波守吉道は、三品派の祖である初代陸奥守大道(兼道)の息子の一人です。大道はもともと美濃の出身で、名将・武田信玄の抱え鍛冶であったと伝えられています。後に関、そして京都へと移り、四人の息子とともに三品派を確立しました。その息子たち、すなわち伊賀守金道、和泉守来金道、丹波守吉道、越中守正俊は「京都五鍛冶」として名を馳せ、江戸初期の京都画壇ならぬ作刀界を牽引しました。 三品派の卓越した技術は江戸時代を通じて継承され、本作の作者である四代吉道においても、その高い芸術性を存分に見て取ることができます。なお、京吉道の家系は幕末の七代まで続きました。 本作の見どころは、初代吉道が創始した独創的な「簾刃(すだれば)」です。その名の通り、日本の伝統的な「簾(すだれ)」を思わせるこの華やかな焼出しは、吉道家のお家芸として代々受け継がれてきました。本作にも見事な簾刃が焼かれており、同工の特色が顕著に表れています。 本作は日本美術刀剣保存協会により「特別保存刀剣」に認定されています。これは保存状態が極めて良く、かつ芸術的価値の高い真作にのみ与えられる格付けです。 ※刀身にわずかな鍛え傷(きたえきず)がございます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身諸元】 長さ(長さ) : 75.7 cm(2尺5寸強) 反り(反り) : 1.3 cm 刃文(はもん) : 焼き入れによって刃縁に現れる結晶構造。本作は吉道家伝来の簾刃。 地鉄(地肌) : 折り返し鍛錬によって現れる鋼の模様。 切先(きっさき) : 刀身の先端部分。 茎(なかご) : 柄に収まる持ち手部分。 古い刀の茎には「黒錆」が残されています。これは赤錆を防ぐ役割を果たすとともに、その色調の変化は専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装(拵)】 拵(こしらえ) : 鞘、柄、鍔などから構成される刀装具一式。 縁頭(ふちかしら) : 柄の両端を保護し装飾する一対の金具。 本作の縁頭は「蕨(わらび)」をモチーフとしています。春の芽吹きを象徴する独特の渦巻き状の造形が、優美に表現されています。
























新刀 · 山城 · 1673-1681頃
藤代 Chu-jo saku · 刀剣大鑑 上位76%
現在6点販売中
新刀 · 山城
現在73点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.