
Katana:Hizen Koku Kawachi Kami Fujiuji Masahiro (2nd Generation)(21st NBTHK Juyo Token)
売却済
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仕様
73.3 cm
2.3 cm
3.29 cm
2.25 cm
作者について
Tadayoshi Masahiro正廣
肥前二代正広は寛永四年(一六二七)に生まれ、初代河内大掾正広の子にしてその直系の後継者であり、元禄十二年(一六九九)に七十三歳で歿した。佐伝次と称し初め正永と銘し、万治三年(一六六〇)に武蔵大掾、ついで武蔵守を受領し、寛文五年(一六六五)父の死に際し三十九歳のとき河内守に転じて正広を襲名した。佐賀の肥前忠吉本流に働き、説明書はその技量を父に迫る後継者と読み、多くの作で両者の手を分かち難く、直刃・乱れ刃ともにその出来は「殆んど甲乙つけがたい」とする。精良な肥前の地鉄と明るい刃を直に継ぎ、その記録は二つの作域に明らかに分かれる。 本工の典型は、説明書が何より得意としたとする華やかな乱れ刃で、すなわち「特に乱れ刃を得意としている」。地鉄の上へ丁子を主調とした乱れを焼き、互の目・頭の丸い互の目・大互の目に浅い小のたれを交え、時に矢筈風・角張る刃を帯び、時に腰元を僅かに焼出し風として乱れの群落を静かな小のたれ状で繋ぐ。焼に高低を表し、足しきりに長く入り葉を交え、匂口深く小沸厚くついて乱れの谷に凝り、その上に飛焼が現れ、砂流しよくかかり長い金筋が入り、匂口明るく冴える。説明書はこの華やかな丁子乱れを焼幅広く展開するところを「正に彼の独壇場」とし、刃中に交えた矢筈風の刃や頭の丸い互の目を、その刃取りの特徴と読む。 地鉄は両作域の下に終始変わらぬところである。小板目のよくつんだもので時に肌目立ち、極めて微塵の地沸が厚く敷かれて肥前特有の米糠肌となり、地景の細かに入って地は明るい。これは肥前本家が持つのと同じ精良な地鉄で、二代正広はこれを忠実に鍛え、華やかな刃を静かで澄んだ地の上に置く。帽子はいずれの作にも直ぐに小丸となって掃きかけ深く返り、時に小さく乱れ込み或いは大丸に開く。姿は頑健で堂々とし、しばしば身幅広く重ね厚目で中鋒延び、時に大鋒に至る。 記録のもう一つの面は中直刃で、説明書が初代より多く能くしたとする作域であり、「初代正広よりも直刃の作品が多く見られる」と記す。処々浅くのたれごころをおび、小足・互の目足を交え、時に喰違刃風と物打辺の小互の目を帯び、匂口深く小沸厚くつき、処々に荒めの沸を交え、砂流しかかり長い金筋が入って、同じ米糠肌の地の上に総じて明るく冴える。説明書はその直刃を出来むらなく揃ったものとし、常々見る同工の直刃より一際匂深く沸厚くついた一口を挙げ、その手を本家が得意とした直刃を見るようと読む。在銘は肥前国河内守藤原正広、時に河内守藤氏正広と切り、寛文七年・寛文十二年の年紀を有する作は作刀年代の定点を与える。 一門の中で本工を分かつのは、まず地鉄ではなく銘である。その手が父にあまりに近いゆえで、説明書は両代の見分けどころを、藤の字の中の字形が初代と二代で異なること、廣の字の該当する字画が二代では一画多いこと、そして刀を常に指裏に銘する習いとし、その相違を偽作への注意とする。作風の違いは種類ではなく比率にあり、父が乱れ刃を好み子が同じ華やかな丁子乱れを継ぐ一方、子にとってより多い直刃が、本家本領の静かな直刃へと立ち返る。 収集の観点では、本工は寛文期の肥前の名工で、その記録はすべて重要刀剣の位にあり二十四口が指定されている。藤代の極めは上々作。国宝・重要文化財はなく、その指定の記録はこの重要刀剣の群に拠り、新刀の工としては相応に密度の高いものである。説明書はその一刀を「肥前刀を代表する一刀」と称え、別の一刀を「同作中最も華やかな出来」とし、また截断銘が肥前刀には稀であること、「肥前力に試し銘のあるものは極めて稀」であることを記す。数口は山野勘十郎久英の截断金象嵌銘とそれに伴う号を帯び、継小袖・荒波・剪風と、いずれも刃味を称えた号である。指定の作には所持来歴の記録がなく、ゆえに正直には、それらは所在の知れた私蔵・公蔵の間を静かに伝わると言うべきで、乱れ刃なり中直刃なりの重要刀剣が世に出るのは折にふれてのことであり、出れば相応の収穫であって、肥前本家二代の最盛の作を収集家が手にする最も直截な道である。







