K79. 短刀 白鞘入り 金洗ハバキ 長さ:27.6 cm(10 7/8インチ) 反り:0.4 cm 元幅:2.4 cm 元重:0.3 cm 先幅:2.2 cm 先重:0.3 cm 切先長:13.7 cm 茎長:9.8 cm(3 7/8インチ) 白鞘全長:44.3 cm(19 1/2インチ) 解説の前に一言添えさせていただきますが、本品はこれまで扱った刀剣の中でも、撮影が最も困難な一振りでした。私の技術不足もあり、写真ではこの短刀の真価が十分に伝わらず、本来の肌目が荒く見えてしまっている部分がございます。そのため、説明文にて詳細に補足させていただきます。 本短刀は、元は長刀(長巻)であったものと推察されます。切先側の棟を削り込み、茎を切り詰めて現在の短刀の姿に仕立て直されています。茎には本阿弥光遜による「大和尻懸則長」との朱銘があり、1975年にカリフォルニアでの審査にて発行された、則長(応永元年・1394年頃)と極める鑑定書が付属しています。 肌は柾目に木目が交じり、一部に肌立つ箇所が見受けられます。刃文は細身の直刃に始まり、細かな働きが見て取れます。横手付近からは尻懸派の見どころである古典的な小互の目へと変化し、そのまま切先へと続き、返らずに抜けています。匂口は一貫して明るく、微細な小沸が厚くついた見事な出来映えです。研ぎの状態も良く、大肌を除けば欠点と呼ぶべき疵はございません。 尻懸派は大和五派の一つであり、則長はその実質的な開祖と目される名工です。初期大和伝の長刀は現存数が少なく、このように短刀として現代に伝わっていることは、ある種の驚きと言えるでしょう。 重量:約397g(14オンス) 価格:2,500ドル









大和伝 · 大和
現在15点販売中
尻懸派は大和五派の一つであり、則長を事実上の祖として鎌倉時代末期から室町時代にかけて栄えた。則長には文保三年四十八歳、暦応三年六十九歳と行年を切った短刀が現存し、それによって逆算すると文永九年の生まれであることが分かる。同銘の継承は鎌倉末期より室町時代にわたって見られ、『鍛冶銘早見出』は三代を応永、四代を永亨頃としている。同派の祖は則弘と伝えるが、確実な作を見ず、則長が実質的な流派の祖と見做されている。僧兵を抱えた有力寺院が位置する大和鍛冶に薙刀の作が多いのは当然であるが、その中でも尻懸派と鑑せられる薙刀が最も多く、南北朝期の長大な薙刀が生ぶ茎で伝来している例は極めて稀である。 作風は大和物一般に共通する様式を示すが、鎬幅広く鎬筋の高い造込みに、板目が目立って流れる鍛えを見せ、地沸厚くつき、地景頻りに入り、沸映り立つものもある。刃文は直刃基調であるが、直刃調に小互の目が頻りに連れて交じる点に大きな見処と個性がある。刃縁には頻りにほつれ、二重刃・喰違刃・湯走り・打のけ・砂流し・金筋などの働きが見られ、匂口明るく冴える。帽子は乱れ込み、さかんに掃きかけて火炎状となるものや焼詰め風となるものがある。『紛寄論』には「是も多分すぐ焼刃にて当麻とたがひの出来ふできにて紛るる作也、併当麻ほどは地つまらずしてしほ相うすく、位のおとるを以て尻懸と知べし」[[c:1]]とあり、その見方をよく言い尽している。 尻懸派の作は在銘作が少なく、無銘極めとなるものが大半を占めるが、本阿弥家の鑑定によって伝世してきたものが多い。地鉄は板目に杢目・流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、総じてよく錬れてつみ、地沸微塵に厚くつき、地景太く頻りに入る。刃文は中直刃調に小互の目が元から先まで連れ、足・葉繁く入り、小沸よくつき、刃縁にほつれ・二重刃・喰違刃・湯走り現われ、金筋・砂流し細かにかかり、光の強い沸が厚くついて明るく冴える。特に小互の目の連れた刃縁に光の強い沸をあしらった喰違刃のかかる状には、徳川本家に伝来し重要美術品の則長在銘作を思わせるものがあり、尻懸派の特色と美点を十二分に現わした作が多く残されている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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K79. 短刀 白鞘入り 金洗ハバキ 長さ:27.6 cm(10 7/8インチ) 反り:0.4 cm 元幅:2.4 cm 元重:0.3 cm 先幅:2.2 cm 先重:0.3 cm 切先長:13.7 cm 茎長:9.8 cm(3 7/8インチ) 白鞘全長:44.3 cm(19 1/2インチ) 解説の前に一言添えさせていただきますが、本品はこれまで扱った刀剣の中でも、撮影が最も困難な一振りでした。私の技術不足もあり、写真ではこの短刀の真価が十分に伝わらず、本来の肌目が荒く見えてしまっている部分がございます。そのため、説明文にて詳細に補足させていただきます。 本短刀は、元は長刀(長巻)であったものと推察されます。切先側の棟を削り込み、茎を切り詰めて現在の短刀の姿に仕立て直されています。茎には本阿弥光遜による「大和尻懸則長」との朱銘があり、1975年にカリフォルニアでの審査にて発行された、則長(応永元年・1394年頃)と極める鑑定書が付属しています。 肌は柾目に木目が交じり、一部に肌立つ箇所が見受けられます。刃文は細身の直刃に始まり、細かな働きが見て取れます。横手付近からは尻懸派の見どころである古典的な小互の目へと変化し、そのまま切先へと続き、返らずに抜けています。匂口は一貫して明るく、微細な小沸が厚くついた見事な出来映えです。研ぎの状態も良く、大肌を除けば欠点と呼ぶべき疵はございません。 尻懸派は大和五派の一つであり、則長はその実質的な開祖と目される名工です。初期大和伝の長刀は現存数が少なく、このように短刀として現代に伝わっていることは、ある種の驚きと言えるでしょう。 重量:約397g(14オンス) 価格:2,500ドル









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尻懸派は大和五派の一つであり、則長を事実上の祖として鎌倉時代末期から室町時代にかけて栄えた。則長には文保三年四十八歳、暦応三年六十九歳と行年を切った短刀が現存し、それによって逆算すると文永九年の生まれであることが分かる。同銘の継承は鎌倉末期より室町時代にわたって見られ、『鍛冶銘早見出』は三代を応永、四代を永亨頃としている。同派の祖は則弘と伝えるが、確実な作を見ず、則長が実質的な流派の祖と見做されている。僧兵を抱えた有力寺院が位置する大和鍛冶に薙刀の作が多いのは当然であるが、その中でも尻懸派と鑑せられる薙刀が最も多く、南北朝期の長大な薙刀が生ぶ茎で伝来している例は極めて稀である。 作風は大和物一般に共通する様式を示すが、鎬幅広く鎬筋の高い造込みに、板目が目立って流れる鍛えを見せ、地沸厚くつき、地景頻りに入り、沸映り立つものもある。刃文は直刃基調であるが、直刃調に小互の目が頻りに連れて交じる点に大きな見処と個性がある。刃縁には頻りにほつれ、二重刃・喰違刃・湯走り・打のけ・砂流し・金筋などの働きが見られ、匂口明るく冴える。帽子は乱れ込み、さかんに掃きかけて火炎状となるものや焼詰め風となるものがある。『紛寄論』には「是も多分すぐ焼刃にて当麻とたがひの出来ふできにて紛るる作也、併当麻ほどは地つまらずしてしほ相うすく、位のおとるを以て尻懸と知べし」[[c:1]]とあり、その見方をよく言い尽している。 尻懸派の作は在銘作が少なく、無銘極めとなるものが大半を占めるが、本阿弥家の鑑定によって伝世してきたものが多い。地鉄は板目に杢目・流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、総じてよく錬れてつみ、地沸微塵に厚くつき、地景太く頻りに入る。刃文は中直刃調に小互の目が元から先まで連れ、足・葉繁く入り、小沸よくつき、刃縁にほつれ・二重刃・喰違刃・湯走り現われ、金筋・砂流し細かにかかり、光の強い沸が厚くついて明るく冴える。特に小互の目の連れた刃縁に光の強い沸をあしらった喰違刃のかかる状には、徳川本家に伝来し重要美術品の則長在銘作を思わせるものがあり、尻懸派の特色と美点を十二分に現わした作が多く残されている。
販売店の出品ページで鑑定書を確認できませんでした。日本刀および刀装具は通常、NBTHK(または NTHK)の鑑定を受けます。鑑定書がない場合、極めは販売店の見解にとどまり、第三者による確認は行われていません。ご購入前に販売店へ鑑定書の有無をお問い合わせのうえ、慎重にご判断ください。
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