説明

奈良東大寺を中心に栄えた、千手院(せんじゅいん)・手掻(てがい)・尻懸(しっかけ)・当麻(たいま)・保昌(ほうしょう)を大和五派と言い、当初は僧兵のために造られた質実剛健な刀工群。平安後期頃から大和の諸寺院の勢力が増したため、大寺院の門下に付随して栄えた。尻懸派は鎌倉後期頃の則長を祖として活躍し、南北朝期に全盛を迎えている。 本作は反り深く身幅尋常で鎬の高い掟通りの大和尻懸。直刃に小互の目などの乱れ刃を交えた刃文が尻懸らしく、小沸が繊細に付いて所々小足が入る。小板目肌は練れて地景が表れ、小切先の帽子は古さを感じさせる。帽子の焼きは深めで掃掛けて返り、刃中には稲妻など複雑に絡み働き盛ん。時代を考えると研ぎ減りは少なく、室町期の磨上ながら寸も十分残っている。 付属の拵は豪華な造りで、鞘は貝をみっしりと散らした発色のよい青貝散らし。細身の柄前は新調され鉄紺色の柄巻で鞘色に合う。鉄地貝尽くしの鍔に赤銅七々子地の縁頭も貝の図。目貫は藤に七曜でまとめている。特別保存刀剣鑑定附。

刀/無銘 尻懸
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Tokuho売切れ

刀/無銘 尻懸

売却済

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仕様

長さ

69.2 cm

反り

2 cm

元幅

2.9 cm

先幅

2.1 cm

流派について

Shikkake School尻懸派

1 重要美術品3 特別重要刀剣100 重要刀剣

尻懸派は大和五派の一つであり、則長を事実上の祖として鎌倉時代末期から室町時代にかけて栄えた。則長には文保三年四十八歳、暦応三年六十九歳と行年を切った短刀が現存し、それによって逆算すると文永九年の生まれであることが分かる。同銘の継承は鎌倉末期より室町時代にわたって見られ、『鍛冶銘早見出』は三代を応永、四代を永亨頃としている。同派の祖は則弘と伝えるが、確実な作を見ず、則長が実質的な流派の祖と見做されている。僧兵を抱えた有力寺院が位置する大和鍛冶に薙刀の作が多いのは当然であるが、その中でも尻懸派と鑑せられる薙刀が最も多く、南北朝期の長大な薙刀が生ぶ茎で伝来している例は極めて稀である。 作風は大和物一般に共通する様式を示すが、鎬幅広く鎬筋の高い造込みに、板目が目立って流れる鍛えを見せ、地沸厚くつき、地景頻りに入り、沸映り立つものもある。刃文は直刃基調であるが、直刃調に小互の目が頻りに連れて交じる点に大きな見処と個性がある。刃縁には頻りにほつれ、二重刃・喰違刃・湯走り・打のけ・砂流し・金筋などの働きが見られ、匂口明るく冴える。帽子は乱れ込み、さかんに掃きかけて火炎状となるものや焼詰め風となるものがある。『紛寄論』には「是も多分すぐ焼刃にて当麻とたがひの出来ふできにて紛るる作也、併当麻ほどは地つまらずしてしほ相うすく、位のおとるを以て尻懸と知べし」とあり、その見方をよく言い尽している。 尻懸派の作は在銘作が少なく、無銘極めとなるものが大半を占めるが、本阿弥家の鑑定によって伝世してきたものが多い。地鉄は板目に杢目・流れ肌を交え、肌立ちごころとなり、総じてよく錬れてつみ、地沸微塵に厚くつき、地景太く頻りに入る。刃文は中直刃調に小互の目が元から先まで連れ、足・葉繁く入り、小沸よくつき、刃縁にほつれ・二重刃・喰違刃・湯走り現われ、金筋・砂流し細かにかかり、光の強い沸が厚くついて明るく冴える。特に小互の目の連れた刃縁に光の強い沸をあしらった喰違刃のかかる状には、徳川本家に伝来し重要美術品の則長在銘作を思わせるものがあり、尻懸派の特色と美点を十二分に現わした作が多く残されている。

刀剣商

十拳

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