説明

Ginza Choshuya 東京都中央区銀座3-10-4 月–土 9:30–17:30 大森彦七は伊予国の生まれ。南北朝の戦いで北朝方につき、湊川の戦いで楠木正成を敗死に追いやった。『太平記』には彼が正成の怨霊に悩まされたという逸話があり、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎などに取り上げられている。本作もその一つ。湊川の戦いに勝利し恩賞を得た彦七がその祝いに猿楽を催す。会場へ向かう山道で若く美しい女に出会った彦七は、難路に悩んでいるのを見かねて背負って瀬を渡ろうとするが、美女は恐ろしい鬼に変じ、彦七に襲い掛かってくる。逞しい足を踏ん張って川面を見つめる彦七は背負っているのが実は鬼女だと気づいたのだろう。鬼の手は彦七の肩をがっちり掴み、長い爪が生えた足は太刀の内側に入っている。不穏な空気と緊張感が漲る空間である。浜野派が得意とする、図の輪郭線を片切彫とし、その内側を薄肉に鋤出す技法を駆使して抑揚のある変化に富んだ表現を完成させている。

大森彦七図鍔(鐔)無銘 浜野
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Hozon売切れ

大森彦七図鍔(鐔)無銘 浜野

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流派

Hamano

時代

Edo

流派について

Hamano School浜野派

浜野派は江戸時代中期に奈良利寿の門人であった浜野政隨を祖とする装剣金工の一派である。政隨は通称を太郎兵衛といい、奈良四天王の一人として高名を馳せ、江戸金工名譜に「世に雷鳴す」と評される逸材であった。乙柳軒・味墨・閑径・驪風堂・遊壺亭・穐峰斎・半圭子・一瞬庵など多くの別号を有し、多数の門人を育成して町彫の主要な門流を形成し一家をなした。四代正信は乙柳軒味墨の号を継承し、政隨の伝統を継承している。また越後村上出身の桂野赤文は、青年時代に出府して浜野家に学び、のちに遊洛斎の号を用いたことから京都での修業も推測され、庄内藩酒井家の抱え工として活躍した。 浜野派の技術は大胆な高肉彫・鋤出彫・肉合彫・片切彫等あらゆる技法に長じており、その技量は極めて高く評価される。政隨の作には金銀の芋継地に容彫で韋駄天疾駆鬼を表したものや、金無垢地に銀と赤銅の置金を施した容彫で仁王像を表したものがあり、肉取りが巧みで量感に富み、題材の力強さを見事に表現している。その彫口には後藤上代の作を範としたとみられる落ち着きある品格が備わっている。四代正信の作には虫尽総金具の大小拵があり、銀四分一の石目地に高彫と据文色絵を施した各種の虫の図が揃っており、華麗かつ入念な仕上がりを示している。 桂野赤文の作風は土屋安親を手本として研鑽を積んだことが知られ、鐔を多く制作し、鉄と赤銅の地金に高肉彫形式で色絵を施すことを得意とした。片切彫・肉合彫・象嵌等の技法も用い、銘文には郷里越後の書家亀田鵬斎流の草書体を用いている。波千鳥図鐔では安親を手本とした題材を鉄地に鋤出による高肉彫で堂々と表し、千鳥の眼と足にのみ金銀の象嵌を施して画面全体に締まりと動きを与えている。柔軟な鏨使いながらも力強さを感じさせるその彫口は赤文独特のものであり、桂野家史に「生気躍動」「巧緻」と評されるその作風を顕示している。

刀剣商

銀座長州屋

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