Stock number:TA-08092Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Hozon TokenCountry・Era:Bizen(Okayama)・Muromachi era 1444~49Blade length(Cutting edge): 25.6cmCurve(SORI): 0.1cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.83cmThickness at the Moto-Kasane: 0.9cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.23cmThickness at the Saki-Kasane: 0.75cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Shape(Taihai): Moroha-zukuriJitetsu(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): Notare and Gunome with KonieTemper patterns in the point(Bohshi): Sugu ni KomaruRegistration Card: Tokyo 1988【Additional Information】備前長船「則光」初代は、鎌倉後期の嘉元3年(1,305)頃の刀匠でございます。彼は、かの長光の弟子と伝えられています。以降則光は、天正”則光”まで9代を数えました。しかしながら室町末期の頃の備前長船大洪水の為、後継が断たれました。本作は文安の頃(1444~49年)四代則光の作と推されます。四代則光は助右衛門則光の子で五郎左衛門尉と称した名匠です。文明九年七十二歳と年紀ある作品が残ることから、応永年間の末から文明年間にかけて作刀したことが知られています。本作の体配は室町中期から末期に掛けて多く作を見ることができる、両刃=双刃造りと呼ばれる形でございます。鎬を中央として左右に刃がついた、刺突時の殺傷能力を考慮して創作された実戦的な造り込みです。物情騒然たる応仁の乱以降頃から造られ始め、室町末期頃に渡り多く鍛刀されました。この則光も姿が鋭く、覇気があり凛々と力溢れ見ていて引き込まれそうな妖気さえ感じる作でございます。高位武将の注文作であり、最後の頼みと綱として懐へ指されていたものと思います。姿は刃もタップリ残り、手に持って重ねの厚さに驚くもので、健体そのものです。刃紋は匂い明るく小沸ついて冴え栄えとし、飛び焼を交え、刃中には古刀らしい複雑な働きがあって楽しめる文句なしの短刀でございます。金着せ二重はばき。出来上々、良業物でございます。





備前伝 · 備前
現在227点販売中
備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。 作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。 鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:TA-08092Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Hozon TokenCountry・Era:Bizen(Okayama)・Muromachi era 1444~49Blade length(Cutting edge): 25.6cmCurve(SORI): 0.1cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 2.83cmThickness at the Moto-Kasane: 0.9cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.23cmThickness at the Saki-Kasane: 0.75cmHabaki: Two parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Kattesagari file patternRivet Holes(Mekugiana): 2Shape(Taihai): Moroha-zukuriJitetsu(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): Notare and Gunome with KonieTemper patterns in the point(Bohshi): Sugu ni KomaruRegistration Card: Tokyo 1988【Additional Information】備前長船「則光」初代は、鎌倉後期の嘉元3年(1,305)頃の刀匠でございます。彼は、かの長光の弟子と伝えられています。以降則光は、天正”則光”まで9代を数えました。しかしながら室町末期の頃の備前長船大洪水の為、後継が断たれました。本作は文安の頃(1444~49年)四代則光の作と推されます。四代則光は助右衛門則光の子で五郎左衛門尉と称した名匠です。文明九年七十二歳と年紀ある作品が残ることから、応永年間の末から文明年間にかけて作刀したことが知られています。本作の体配は室町中期から末期に掛けて多く作を見ることができる、両刃=双刃造りと呼ばれる形でございます。鎬を中央として左右に刃がついた、刺突時の殺傷能力を考慮して創作された実戦的な造り込みです。物情騒然たる応仁の乱以降頃から造られ始め、室町末期頃に渡り多く鍛刀されました。この則光も姿が鋭く、覇気があり凛々と力溢れ見ていて引き込まれそうな妖気さえ感じる作でございます。高位武将の注文作であり、最後の頼みと綱として懐へ指されていたものと思います。姿は刃もタップリ残り、手に持って重ねの厚さに驚くもので、健体そのものです。刃紋は匂い明るく小沸ついて冴え栄えとし、飛び焼を交え、刃中には古刀らしい複雑な働きがあって楽しめる文句なしの短刀でございます。金着せ二重はばき。出来上々、良業物でございます。





備前伝 · 備前
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備前国邑久郡長船の地に興り、鎌倉時代中期から室町時代末期に至るまで連綿と鍛刀を続けた、刀剣史上最大の流派である。事実上の祖は光忠で、近忠の子と伝えるが近忠の作刀が知られないため、長船本流の起点はこの工に置かれる。古伝はその源を古備前正恒の一類が長船に移り住んだことに求め、光忠はその流れを承けて一門を興したと説く。すなわち本流派は、古備前の地盤の上に、丁子を主調とする華麗な作風をもって自立した備前鍛冶の本系である。光忠の下に長光、真長、景光らが輩出し、以後、相伝備前の兼光・長義・元重、室町初期の応永備前を経て末備前に至るまで、備前伝の中核を担い続けた。 作風は備前伝を基盤とし、よく錬れて杢を交えた板目に地沸が微塵につき、地景が細かに入り、地に乱れ映りが鮮明に立つ鍛えを共通の地とする。この乱れ映りこそ、在銘無銘を問わず一門の作を備前へ繋ぎ止める最も確かな標である。刃文には世代ごとの軸がある。草創の古長船にあって光忠は蛙子丁子を看どころとし、子の長光は頭の丸いふくらみのある丁子を加え、孫の景光は片落ち互の目を完成して逆がかりの足を看どころとした。この光忠、長光、景光の三代が長船嫡流の背骨をなし、近景がその影として景光をほぼ完璧に映し、真長は同じ地に締まる匂口の直刃を得意とした。南北朝期に入ると兼光が嫡流を承けつつのたれ主調の大模様を加え、相州伝を摂取した相伝備前の作風が現れる。長義は耳形の刃を看どころに兼光以上に相州伝を強調し、長重と兼長がこれに連なり、義景は匂口の沈むところに、元重は焼頭の揃った角ばる刃と青江気質に、それぞれ別系の個性を示した。体配もまた時代を映し、鎌倉の腰反り高い太刀から、南北朝の身幅広く大鋒の延文貞治型へ、さらに応永備前では古作への復古を志して優美な太刀姿と丁子刃が甦る。康光と盛光を双璧とする応永備前は、腰の広く開いた互の目とローソクの芯と称する尖り返る帽子を看どころとし、その腰開き互の目と棒映りは末備前へと受け継がれた。長光景光以来の梵字、三鈷剣、倶利迦羅、八幡大菩薩などの刀身彫もまた、末備前まで絶えず継承された一門の標である。 鑑定にあっては、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に世代と系統の看どころで工を分かつ。蛙子丁子は光忠、丸い頭の丁子は長光、逆がかる片落ち互の目は景光、のたれと角互の目は兼光、耳形の刃は長義、角ばり逆がかる刃と蝉の羽根の肌は元重、ローソクの芯の帽子は応永備前という具合に、看どころが系統と時代を指し示す。嫡流の光忠、長光、景光、兼光は藤代の最上作に列し、なかでも長光は重要文化財の指定数が全刀工中最多で、嫡流の作には名物大般若長光や小龍景光をはじめ、織田信長、徳川家康、上杉謙信ら天下を握った者の手を経た作が多い。相伝備前の長義や兼長、応永備前の康光や盛光もそれぞれ重きをなし、別系の元重もまた南北朝備前の大きな名を保つ。嫡流の在銘作が市に現れることは稀で、大半は大磨上無銘の極めとして伝わるが、長光のごとく銘を惜しまなかった工の作はなお蒐集家の手の届く範囲にある。後世への影響は計り知れず、本流派の作風と刀身彫の伝統は末備前を通じて室町備前の主流をなし、備前伝そのものの規範となった。
銘が正しい、または無銘でも年代・国・系統を確実に指摘できる、保存に値する真正の作と鑑定されたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).