新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
Stock No:WA-070325Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokuebtsu Hozon TokenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Yamashiro(Kyoto), Middle Edo period about 1673~Blade length(Cutting edge): 54.8cmCurve(SORI): 1.8cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.31cmThickness at the Moto-Kasane: 0.77cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, Gold foill HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune,Chu-kissakiJigane(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): Gunome-midareTemper patterns in the point(Bohshi): Asaku notare then komaru round tipRegistration Card: Tokyo【Additional Information】初代近江守久道は名を堀太郎兵衛、寛永三年江州野州郡に生まれ、上京して二代伊賀守金道の門人となり、三品姓を許されて久道と銘し、寛文二年(1662)三十七歳にて近江守を受領しました。この頃菊紋を拝領許されて、以降は茎に菊紋あるいは枝菊紋を切り添えるようになります。寛文五年より元禄末年頃まで作品を残しました。他説を有しますが、初代近江守久道は、伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、越中守正俊と共に、「京五鍛冶」と称される刀工の一人と云われます。本作刃長は一尺八寸強。身幅広く、重ね尋常、反りが適度に利き、中切っ先となる刀姿の一振です。鍛は板目肌、総体肌が現れて、地沸付き、肌目に沿って細かに地景が入り、よく練られた強靭な地鉄を呈します。刃文は互の目乱れで、刃縁に沸良く付いて明るく冴えます。刃中には足よく入り、一部、砂流しや金線がかかり、盛んに働きます。帽子は乱れの勢いを抑えて、浅く湾れ込み先小丸に返ります。茎は生ぶ、筋違鑢で仕立て、枝菊紋を冠し、刀工銘を切ります。本刀、近江守源久道の一作。上品で且つ堂々たる刀姿で、勢いのある派手やかな焼刃が特徴である同工の入念作としてご紹介いたします。白鞘。金二重はばき。特別保存刀剣鑑定書。














新刀 · 山城 · 1648-1652頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在6点販売中
久道の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
現在76点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock No:WA-070325Paper(Certificate): [N.B.T.H.K] Tokuebtsu Hozon TokenCountry(Kuni)/Period(Jidai): Yamashiro(Kyoto), Middle Edo period about 1673~Blade length(Cutting edge): 54.8cmCurve(SORI): 1.8cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.31cmThickness at the Moto-Kasane: 0.77cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 2.45cmThickness at the Saki-Kasane: 0.50cmHabaki: Two parts, Gold foill HabakiSword tang(Nakago): Unaltered, Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Shape(Taihai): Shinogizukuri, Iorimune,Chu-kissakiJigane(Hada): ItameTemper patterns(Hamon): Gunome-midareTemper patterns in the point(Bohshi): Asaku notare then komaru round tipRegistration Card: Tokyo【Additional Information】初代近江守久道は名を堀太郎兵衛、寛永三年江州野州郡に生まれ、上京して二代伊賀守金道の門人となり、三品姓を許されて久道と銘し、寛文二年(1662)三十七歳にて近江守を受領しました。この頃菊紋を拝領許されて、以降は茎に菊紋あるいは枝菊紋を切り添えるようになります。寛文五年より元禄末年頃まで作品を残しました。他説を有しますが、初代近江守久道は、伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、越中守正俊と共に、「京五鍛冶」と称される刀工の一人と云われます。本作刃長は一尺八寸強。身幅広く、重ね尋常、反りが適度に利き、中切っ先となる刀姿の一振です。鍛は板目肌、総体肌が現れて、地沸付き、肌目に沿って細かに地景が入り、よく練られた強靭な地鉄を呈します。刃文は互の目乱れで、刃縁に沸良く付いて明るく冴えます。刃中には足よく入り、一部、砂流しや金線がかかり、盛んに働きます。帽子は乱れの勢いを抑えて、浅く湾れ込み先小丸に返ります。茎は生ぶ、筋違鑢で仕立て、枝菊紋を冠し、刀工銘を切ります。本刀、近江守源久道の一作。上品で且つ堂々たる刀姿で、勢いのある派手やかな焼刃が特徴である同工の入念作としてご紹介いたします。白鞘。金二重はばき。特別保存刀剣鑑定書。














新刀 · 山城 · 1648-1652頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位31%
現在6点販売中
久道の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
新刀 · 山城
現在76点販売中
三品派は、美濃国関の兼道を源流とし、その子らが京へ上って興した新刀の一門である。説明書は、兼道の四子すなわち長兄伊賀守金道、来金道、丹波守吉道、末弟越中守正俊が父と共に美濃より上京し、西洞院夷川に住して三品派の名を大いに高めたと記す。長兄金道は京五鍛冶の頭領にして、その家は刀工の受領を朝廷に推薦する権を世襲し、銘に「日本鍛冶宗匠」と添えて幕末に及んだ。やがて一門は京にとどまらず大坂へも枝を張り、京初代丹波守吉道の子が大坂に移って大坂丹波の祖となり、その周囲に大和守吉道が連なり、丹後守兼道のごとく大坂に住して元禄頃に活躍した工も出た。末関の量産地に発しながら、堀川派と並ぶ京新刀の一大勢力に育ち、さらに大坂へと展開した点に、この一門の歩みがある。 作風を貫くのは、工と世代の差を越えて繰り返される三品の共通語法である。地鉄は板目に杢や流れ肌を交えて棟寄りに強く流れ、刃寄りで柾がかって肌立ち、地沸微塵に厚くつき地景のよく入るもので、美濃関の継承を京の作にまで伝える。京の古い手が肌立つ板目を見せるのに対し、大坂の系では小板目をよくつめ清く澄んだ地に転ずる差がある。刃文は美濃由来の互の目と尖り刃を基調に、これを京風に洗練して小のたれの大乱れに展開し、沸が強く時に荒くむら立ち、砂流しさかんに金筋長く入る。最も明快な見どころは帽子で、のたれ込みに先尖って掃きかける三品帽子は一門の標識をなし、末弟正俊にことに顕著である。いま一つの標識が丹波守吉道の創案した簾刃で、湯走り・飛焼・砂流しが幾重にも縞がかって簾の如く焼かれる。金道と正俊が志津風を共に得意として作域広く、吉道はこの簾刃の一手に己を結び、大坂の系はその簾刃を最もよく継いだ。同じ語法のうちに、各工の手が読み分けられる。 収集の観点では、三品派は新刀草創の格と明快な鑑定の勘所をあわせ持つ一門である。先尖って掃きかける三品帽子と、縞がかって平行に焼かれる簾刃の二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、大坂の直ぐで均一の焼出しは京の手と分かつ目印となる。主要工の格は説明書の評にそのまま現れ、初代伊賀守金道は一派中最も優れた手とされ、初代丹波守吉道は初期新刀屈指の名工に数えられ、末弟正俊は器用さ兄弟中第一と評される。一門の作はおおむね在銘で、銘そのものが時の標識となり、由緒の確かさをもって賞翫される。来歴の知られる作は谷干城の愛刀、佐竹家、織田有楽斎、北野天満宮、皇室、大坂城代青山家の蔵を経て伝わり、一口は京都国立博物館に納まる。最上手の在銘作が市に現れるのは折々のことで容易ではないが、一たび相見えれば、三品派が美濃関より京・大坂へいかに展開したかを語る確かな証となる。 詳しく見る →
京 新刀の源流
新刀の時代は、その大部分が京都で発明された。埋忠明寿の工房が運動を育て、堀川国広が一世代を鍛え、鎚を持たぬ本阿弥家が名刀の意味を司った。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトNo cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).