Stock number:KA-070625Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Juyo TokenCountry・Era:Yamashiro (Kyoto)・Middle Edo period 1681Blade length(Cutting edge): 70.0cmCurve(SORI): 1.2cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.0cmThickness at the Moto-Kasane: — cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 1.95cmThickness at the Saki-Kasane: –cmHabaki: One parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Kesyo-Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Length of Koshirae : — cmShape(Taihai): Shinogizukuri,Iorimune,Chu-kissakiJigane(Hada):Temper patterns(Hamon):Temper patterns in the point(Bohshi):Registration Card: Kochi【Additional Information】【重要刀剣図譜より】形状鎬造、庵棟、棟のおろし急、身幅広め、元先の幅差ややつき、平肉あまりつかず、踏張りごころがあり、反り浅くつき、中鋒やや延びる。鍛板小板目肌よくつみ、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入り、かね明るい。刃文直ぐに焼き出し、その上は大互の目乱れに互の目・片山風の刃交じり濤瀾風となり、足太く長くよく入り、匂深く、小沸厚くつき、総体に砂流しかかり、随処に金筋入り、僅かに玉を焼き、匂口明るい。帽子表直ぐ調に僅かにのたれごころをおび、裏直ぐ、共に先尖り気味に丸く返り、さかんに掃きかける。茎生ぶ、先入山形、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一、指表目釘孔の下棟寄りに太鏨大振りの長銘があり、裏に同じく表銘に比してはややの細い年紀がある。説明二代包貞は、初代越後守包貞に学び、その跡目を継ぎ、初め越後守包貞を名乗っていたが、初代の実子岩松が成人すると、越後守包貞の名を譲り、自らは坂倉言之進照包と銘した。包貞から照包に改銘した時期については、「坂倉言之進照包 越後守包貞隠居(裏に)延宝八年二月吉日」と銘した作が現存することから、この延宝八年二月と思われる。作風は助広に倣った濤瀾乱れや文珠風の互の目乱れなどが多いが、稀に大のたれや、直刃の作域も見られ、そのいずれの場合でも、匂深で、沸がよくついた、匂口の明るい作柄となるのが通例である。この刀は、小板目肌がよくつんだ鍛えに、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、刃文は直ぐに焼き出して、その上は大互の目乱れに互の目・片山風の刃が交じり濤瀾風となり、足太く長くよく入り、匂深で、小沸が厚くつき、総体に砂流しかかり、随処に金筋入り、僅かに玉を焼き、地刃共に明るいなどの出来口をあらわしている。照包の得意とする濤瀾風の大互の目乱れを焼いているが、互の目が目立ち、且つ連れている点には、彼の出自である文珠系の特色を見せている。また総体に砂流しのかかっている様にもそのことが窺える。匂深で、小沸の厚くついた焼刃には片山風の刃形が看て取れ、さらに庵棟が急峻で平肉があまりつかない造込みにも彼の見どころを示している。大互の目乱れの刃文が大胆で、迫力があり、地刃共に明るい一口である。
在銘 · 寛文 · 長さ 70cm · 反り 1.2cm







二代包貞は、初代越後守包貞に学び、その跡目を継ぎ、初め越後守包貞を名乗っていたが、初代の実子岩松が成人すると、越後守包貞の名を譲り、自らは坂倉言 之進照包と銘した。 包貞から照包に改銘した時期については、「坂倉言之進照包 越後守包貞隠居(裏に)延宝八年二月吉日」と銘した作が現存することから、この延 宝八年二月と思われる。作風は助広に倣った濤瀾乱れや文珠風の互の目乱れなどが多いが、稀に大のたれや、直刃の作域も見られ、そのいずれの場合でも、匂深で、 沸がよくついた、匂口の明るい作柄となるのが通例である。 この刀は、小板目肌がよくつんだ鍛えに、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、刃文は直ぐに焼き出して、その上は大互の目乱れに互の目・片山風の刃 が交じり濤瀾風となり、足太く長くよく入り、匂深で、小沸が厚くつき、総体に砂流しかかり、随処に金筋入り、僅かに玉を焼き、地刃共に明るいなどの出来口をあ らわしている。照包の得意とする濤瀾風の大互の目乱れを焼いているが、互の目が目立ち、且つ連れている点には、彼の出自である文珠系の特色を見せている。また 総体に砂流しのかかっている様にもそのことが窺える。匂深で、小沸の厚くついた焼刃には片山風の刃形が看て取れ、さらに庵棟が急峻で平肉があまりつかない造込 みにも彼の見どころを示している。 大互の目乱れの刃文が大胆で、迫力があり、地刃共に明るい一口である。
新刀 · 摂津 · 1673-1681頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位10%
現在3点販売中
新刀 · 摂津
現在73点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
No cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).
Stock number:KA-070625Paper(Certificate):[N.B.T.H.K] Juyo TokenCountry・Era:Yamashiro (Kyoto)・Middle Edo period 1681Blade length(Cutting edge): 70.0cmCurve(SORI): 1.2cmWidth at the hamachi(Moto-Haba): 3.0cmThickness at the Moto-Kasane: — cmWide at the Kissaki(Saki-Haba): 1.95cmThickness at the Saki-Kasane: –cmHabaki: One parts, gold foil HabakiSword tang(Nakago): Unaltered,Kesyo-Sujikai file patternRivet Holes(Mekugiana): 1Length of Koshirae : — cmShape(Taihai): Shinogizukuri,Iorimune,Chu-kissakiJigane(Hada):Temper patterns(Hamon):Temper patterns in the point(Bohshi):Registration Card: Kochi【Additional Information】【重要刀剣図譜より】形状鎬造、庵棟、棟のおろし急、身幅広め、元先の幅差ややつき、平肉あまりつかず、踏張りごころがあり、反り浅くつき、中鋒やや延びる。鍛板小板目肌よくつみ、地沸微塵に厚くつき、地景細かによく入り、かね明るい。刃文直ぐに焼き出し、その上は大互の目乱れに互の目・片山風の刃交じり濤瀾風となり、足太く長くよく入り、匂深く、小沸厚くつき、総体に砂流しかかり、随処に金筋入り、僅かに玉を焼き、匂口明るい。帽子表直ぐ調に僅かにのたれごころをおび、裏直ぐ、共に先尖り気味に丸く返り、さかんに掃きかける。茎生ぶ、先入山形、鑢目筋違に化粧つく、目釘孔一、指表目釘孔の下棟寄りに太鏨大振りの長銘があり、裏に同じく表銘に比してはややの細い年紀がある。説明二代包貞は、初代越後守包貞に学び、その跡目を継ぎ、初め越後守包貞を名乗っていたが、初代の実子岩松が成人すると、越後守包貞の名を譲り、自らは坂倉言之進照包と銘した。包貞から照包に改銘した時期については、「坂倉言之進照包 越後守包貞隠居(裏に)延宝八年二月吉日」と銘した作が現存することから、この延宝八年二月と思われる。作風は助広に倣った濤瀾乱れや文珠風の互の目乱れなどが多いが、稀に大のたれや、直刃の作域も見られ、そのいずれの場合でも、匂深で、沸がよくついた、匂口の明るい作柄となるのが通例である。この刀は、小板目肌がよくつんだ鍛えに、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、刃文は直ぐに焼き出して、その上は大互の目乱れに互の目・片山風の刃が交じり濤瀾風となり、足太く長くよく入り、匂深で、小沸が厚くつき、総体に砂流しかかり、随処に金筋入り、僅かに玉を焼き、地刃共に明るいなどの出来口をあらわしている。照包の得意とする濤瀾風の大互の目乱れを焼いているが、互の目が目立ち、且つ連れている点には、彼の出自である文珠系の特色を見せている。また総体に砂流しのかかっている様にもそのことが窺える。匂深で、小沸の厚くついた焼刃には片山風の刃形が看て取れ、さらに庵棟が急峻で平肉があまりつかない造込みにも彼の見どころを示している。大互の目乱れの刃文が大胆で、迫力があり、地刃共に明るい一口である。
在銘 · 寛文 · 長さ 70cm · 反り 1.2cm







二代包貞は、初代越後守包貞に学び、その跡目を継ぎ、初め越後守包貞を名乗っていたが、初代の実子岩松が成人すると、越後守包貞の名を譲り、自らは坂倉言 之進照包と銘した。 包貞から照包に改銘した時期については、「坂倉言之進照包 越後守包貞隠居(裏に)延宝八年二月吉日」と銘した作が現存することから、この延 宝八年二月と思われる。作風は助広に倣った濤瀾乱れや文珠風の互の目乱れなどが多いが、稀に大のたれや、直刃の作域も見られ、そのいずれの場合でも、匂深で、 沸がよくついた、匂口の明るい作柄となるのが通例である。 この刀は、小板目肌がよくつんだ鍛えに、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かによく入り、刃文は直ぐに焼き出して、その上は大互の目乱れに互の目・片山風の刃 が交じり濤瀾風となり、足太く長くよく入り、匂深で、小沸が厚くつき、総体に砂流しかかり、随処に金筋入り、僅かに玉を焼き、地刃共に明るいなどの出来口をあ らわしている。照包の得意とする濤瀾風の大互の目乱れを焼いているが、互の目が目立ち、且つ連れている点には、彼の出自である文珠系の特色を見せている。また 総体に砂流しのかかっている様にもそのことが窺える。匂深で、小沸の厚くついた焼刃には片山風の刃形が看て取れ、さらに庵棟が急峻で平肉があまりつかない造込 みにも彼の見どころを示している。 大互の目乱れの刃文が大胆で、迫力があり、地刃共に明るい一口である。
新刀 · 摂津 · 1673-1681頃
藤代 Jo-jo saku · 刀剣大鑑 上位10%
現在3点販売中
新刀 · 摂津
現在73点販売中
大坂新刀は、商都大坂を本拠として江戸前期から中期にかけて興隆した摂津の一門である。その草創は京の堀川一門にあり、堀川国広の門に学んだ和泉守国貞、親国貞こと国貞と河内守国助とが、慶長十九年に師の没した後そろって大坂へ下り、この地に鍛刀の家を興した。国助は伝に伊勢国の出にして石堂の流れを汲み、堀川より受け継いだ枯れた肌合とともに、古備前を慕う石堂の丁子をこの地にもたらした。そこへ大和文殊系の包保・包道に承けた越後守包貞が摂州に居を構え、肥後菊池より出て井上真改の門を叩いた貞則のごとき遊歴の工も加わって、堀川と石堂と文殊の脈が大坂の地で一つの作域に結ばれていった。やがて親国貞の子真改、津田越前守助広、一竿子忠綱らがあらわれ、寛文・延宝・元禄の頃にこの一門は最も華やぐ。 一門の作風は、まず明るく冴える大坂鍛えに標識を持つ。鍛えはよくつんだ無地風の小板目で、地沸が微塵に厚くつき、地景が細かにさかんに入り、鉄色は明るく潤う。その地の上に、刃区を直ぐに焼き出し、その上から己の刃文を起こすのが一門に通じる約束で、収集家のいう大坂焼出しである。匂口は終始深く明るく冴え、刃縁は締まる。この共通の文法の上に、各工はおのおのの差を置く。井上真改は華やかな乱れを焼かず、よくつんだ精美な地に浅いのたれを帯びた沸深き直刃を本領とし、相州の郷義弘への意図的な写しにその沸の妙味を尽くして、大坂正宗と称された。津田助広は波濤のごとくうねる濤瀾刃を創始し、真改の小沸の直刃と並んで両大関と仰がれる。一竿子忠綱は揃った長足の丁子に簾刃の濤瀾を交え、何にもまして真の倶利迦羅や鯉の滝上りを刻んだ一竿子彫をもって分かたれる。河内守国助の家は丁子の旗頭で、二代中河内は握り拳の頭を戴く拳形丁子を創始して新刀一文字と賞され、その弟肥後守国康や四男国輝もこの石堂の丁子と津田風の濤瀾を担った。越後守包貞は助広に倣う濤瀾に片山乱れと文珠の砂流しを通わせ、貞則は師真改の沸深き直刃をよく継いだ。共通するのは明るい匂口と直ぐの焼出し、異なるのは真改の沈める沸、助広の濤瀾、国助一門の丁子という、地の上に置かれた手の差である。 収集家が大坂新刀を求める理由は、鑑定の勘所が明快で、主要工の格が高いことにある。明るく冴える大坂鍛えと、刃を起こす直ぐの焼出しという二つの見どころは、地と刃のいずれにも紛れなく現れて工と作域を定める手懸りとなり、真改の沸深き郷写し、忠綱の一竿子彫、中河内の拳形丁子といった各工独自の標識が、そこに重なって名を分かつ。一門の作はおおむね在銘年紀で、銘そのものが時の標識となるため、由緒の確かさをもって賞翫される。真改や助広や忠綱の最上手は市に現れることが稀で、現れれば一頭地を抜く出来事となるが、包貞・国助・国康・国輝のごとき名手の在銘作は、辛抱をもって相応に相見え、大坂新刀へ分け入る手近な入口を提供する。来歴の知られる作は谷干城や山内家、皇室の蔵を経て近代に伝わり、美術刀剣としての魅力は、真改の沸と助広の濤瀾が後世の刀鍛冶に及ぼした影響とともに、商都大坂が新刀期に成し遂げた一個の到達を今に伝える。
No cooling-off period or returns; refund only if the purchased sword is proven fake, capped at purchase price (excludes commission sales, accessories, auction items).