鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Tousougu 江戸時代隆盛を誇った肥後国林派の二代目、林重光の特別保存刀装具指定作品。春日派(林)派は最も代表的な肥後金工として知られ、加藤清正に従って肥後に移住した初代又七により創始され、後に細川家の抱え工となり、正保四年(1647)以降春日村久末に住したことより春日派と称される。林家二代目重光は藤平と称し、林又七が五十四歳のときの子で、父の跡をついで細川家に仕え、元禄、享保頃に活躍した金工である。肥後金工録によれば寛政七年(1667)年に生まれ、初代又七が没した元禄一二年(1699)に林家二代目を相続し、細川家藩工として十五石五人扶持を支給され、延享元年(1744)七十八歳で亡くなっている。その作風は「肥後金工録」に「概ね初代の掟に依るといえども、却って雅趣あり」と述べられているとおり、又七に憧れた謹直な作品と、雅趣に富んだ即興的な作風の物も残されており、又七の作風を墨守するに留まらず、新たな作風に挑戦した様子が見てとれる。本作は現存稀な林家二代重光在銘の作品である。同国では通常鐔に銘を入れる事はせず、特別な注文作にのみ銘を入れていたと云われており、又七、重光、藤八、歴代において在銘作は極めて少ない。焼き手がかかった鉄槌目地は豊潤な紫錆色を呈し、薄造りで僅かに中低に造り込まれ、陽透で現された杜若と八橋に施された毛彫もしっかりと残った健全で状態の良い優品である。焼き手の槌目地と特有な紫錆色、大振りかつ各耳小肉な造込と、同作の特徴を顕示しており基準となる作風を示した資料的価値の高い希少作である。






重光
江戸
肥後
在銘
特別保存 (NBTHK)
肥後 · 肥後
現在1点販売中
林重光は肥後林(春日)派の二代で、初代又七の嫡男にして家を継いだ頭領である。説明は一貫しており、通称は藤平(一説に藤八)、父の跡を受けて細川家に仕えて五人扶持を受け、春日村久末に住んで作鐔した。その芸は地透にした鍛えた鉄鐔にあり、父から受け継いだ図(遠見松・三階松・八ツ橋・投桐・武鑑透など)を、肥後鉄特有の美しい紫錆や羊羹色を呈するよく鍛えた地に表し、毛彫や時に繊細な布目象嵌で仕上げる。説明は繰り返し初代と比較し、相違点を二つ一貫して挙げる。すなわち平地はほぼ完全な磨地となること、透かしが繊細になることで、全体が又七より些か優しく、そこがまた重光の持味であるとする。生没年は『肥後金工録』に寛文七年(一六六七)生・延享元年(一七四四)七十八歳没とするが、矛盾が多いと説明は繰り返し記すため、単一の没年を断ずべきでない。
重光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
肥後 · 肥後
現在27点販売中
林派は、肥後金工を代表する流派であり、その祖である林又七(慶長十八年~元禄十二年、一六一三~一六九九)によって確立された。又七は清三郎重治と称し、工名を又七とした。その先祖は尾張国の出身で、元来は鉄砲鍛冶を家業としていたが、間々鐔も作っていたと伝えられる。父清兵衛の時、鉄砲鍛冶として加藤清正に仕え、肥後熊本に移住した。加藤家が改易になってからは細川家に仕えることとなり、特に細川三斎の薫陶を受けて大成を遂げた。八十七歳で歿するまで、武士道精神を体現した作品を多く遺している。後世、林派の相伝は神吉家に受け継がれ、寿平忠光(正忠)が藩命により林派の作風の復活に努め、その子である寿平国平深信(天明六年~嘉永四年、一七八六~一八五一)もまた誠実で品格の優れた作風を継承し、技術において楽寿の作に比肩すべき作品を残している。 林又七の作風は、いわゆる羊羹色にたとえられる独特の鉄地が最大の特色である。よく鍛えられた精美な地鉄は、ねっとりとした艶を持ち、微妙に肌目が露出しながら深い紫錆を呈する。この卓越した鉄味を基調として、又七は多彩な技法を駆使している。地透、陰透といった透かし技法は、力強くも流麗な鏨遣いによって一気呵成に打ち抜かれ、槌目仕立ての平地との対比が絶妙な緊張感を生み出す。さらに独自の彫込み象嵌技法を用いて、枯木や桜花、九曜紋などを配し、鉄鐔でありながら雅趣を失わない格調を実現している。金縄目象嵌や真鍮象嵌も巧みに施され、単調に陥ることなく存在感に満ちた仕上がりとなる。平地には微妙に肉をつけ、彫り口に柔らかみを感じさせる技法も特徴的であり、耳際の処理や櫃孔の配置にも細心の注意が払われている。 林又七の作品は、君子の風格と評されるように、精神性の高さが際立っている。枝折竹、松樹、梅樹、揚羽鶴、雲出八橋といった高尚な画題を選び、狭い鐔の空間の中に深い遠近感と清風の趣を表現する。竹の弾力、寒梅の精神性、鶴の姿態など、単なる装飾を超えた文人的教養が随所に看取される。これらは江戸時代初期の武士道精神、特に文武両道を体現したものであり、細川三斎の指導奨励のもとで磨かれた造形感覚の賜物である。作品の多くは無銘であるが、羊羹色の鉄味、独特の透かし技法、彫込み象嵌の配置などから一見して又七と鑑せられる。在銘作は極めて少なく、金象嵌銘や鏨銘が施された作品は貴重である。林派の伝統は後世に受け継がれ、神吉深信らによって幕末期まで肥後金工の中核を成し、その格調高い作風は肥後鐔の魅力を世に知らしめることとなった。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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鑑定書内容:財)日本美術刀剣保存協会 特別保存刀装具[N.B.T.H.K]Tokubetsu Hozon Tousougu 江戸時代隆盛を誇った肥後国林派の二代目、林重光の特別保存刀装具指定作品。春日派(林)派は最も代表的な肥後金工として知られ、加藤清正に従って肥後に移住した初代又七により創始され、後に細川家の抱え工となり、正保四年(1647)以降春日村久末に住したことより春日派と称される。林家二代目重光は藤平と称し、林又七が五十四歳のときの子で、父の跡をついで細川家に仕え、元禄、享保頃に活躍した金工である。肥後金工録によれば寛政七年(1667)年に生まれ、初代又七が没した元禄一二年(1699)に林家二代目を相続し、細川家藩工として十五石五人扶持を支給され、延享元年(1744)七十八歳で亡くなっている。その作風は「肥後金工録」に「概ね初代の掟に依るといえども、却って雅趣あり」と述べられているとおり、又七に憧れた謹直な作品と、雅趣に富んだ即興的な作風の物も残されており、又七の作風を墨守するに留まらず、新たな作風に挑戦した様子が見てとれる。本作は現存稀な林家二代重光在銘の作品である。同国では通常鐔に銘を入れる事はせず、特別な注文作にのみ銘を入れていたと云われており、又七、重光、藤八、歴代において在銘作は極めて少ない。焼き手がかかった鉄槌目地は豊潤な紫錆色を呈し、薄造りで僅かに中低に造り込まれ、陽透で現された杜若と八橋に施された毛彫もしっかりと残った健全で状態の良い優品である。焼き手の槌目地と特有な紫錆色、大振りかつ各耳小肉な造込と、同作の特徴を顕示しており基準となる作風を示した資料的価値の高い希少作である。






重光
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林重光は肥後林(春日)派の二代で、初代又七の嫡男にして家を継いだ頭領である。説明は一貫しており、通称は藤平(一説に藤八)、父の跡を受けて細川家に仕えて五人扶持を受け、春日村久末に住んで作鐔した。その芸は地透にした鍛えた鉄鐔にあり、父から受け継いだ図(遠見松・三階松・八ツ橋・投桐・武鑑透など)を、肥後鉄特有の美しい紫錆や羊羹色を呈するよく鍛えた地に表し、毛彫や時に繊細な布目象嵌で仕上げる。説明は繰り返し初代と比較し、相違点を二つ一貫して挙げる。すなわち平地はほぼ完全な磨地となること、透かしが繊細になることで、全体が又七より些か優しく、そこがまた重光の持味であるとする。生没年は『肥後金工録』に寛文七年(一六六七)生・延享元年(一七四四)七十八歳没とするが、矛盾が多いと説明は繰り返し記すため、単一の没年を断ずべきでない。
重光の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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林派は、肥後金工を代表する流派であり、その祖である林又七(慶長十八年~元禄十二年、一六一三~一六九九)によって確立された。又七は清三郎重治と称し、工名を又七とした。その先祖は尾張国の出身で、元来は鉄砲鍛冶を家業としていたが、間々鐔も作っていたと伝えられる。父清兵衛の時、鉄砲鍛冶として加藤清正に仕え、肥後熊本に移住した。加藤家が改易になってからは細川家に仕えることとなり、特に細川三斎の薫陶を受けて大成を遂げた。八十七歳で歿するまで、武士道精神を体現した作品を多く遺している。後世、林派の相伝は神吉家に受け継がれ、寿平忠光(正忠)が藩命により林派の作風の復活に努め、その子である寿平国平深信(天明六年~嘉永四年、一七八六~一八五一)もまた誠実で品格の優れた作風を継承し、技術において楽寿の作に比肩すべき作品を残している。 林又七の作風は、いわゆる羊羹色にたとえられる独特の鉄地が最大の特色である。よく鍛えられた精美な地鉄は、ねっとりとした艶を持ち、微妙に肌目が露出しながら深い紫錆を呈する。この卓越した鉄味を基調として、又七は多彩な技法を駆使している。地透、陰透といった透かし技法は、力強くも流麗な鏨遣いによって一気呵成に打ち抜かれ、槌目仕立ての平地との対比が絶妙な緊張感を生み出す。さらに独自の彫込み象嵌技法を用いて、枯木や桜花、九曜紋などを配し、鉄鐔でありながら雅趣を失わない格調を実現している。金縄目象嵌や真鍮象嵌も巧みに施され、単調に陥ることなく存在感に満ちた仕上がりとなる。平地には微妙に肉をつけ、彫り口に柔らかみを感じさせる技法も特徴的であり、耳際の処理や櫃孔の配置にも細心の注意が払われている。 林又七の作品は、君子の風格と評されるように、精神性の高さが際立っている。枝折竹、松樹、梅樹、揚羽鶴、雲出八橋といった高尚な画題を選び、狭い鐔の空間の中に深い遠近感と清風の趣を表現する。竹の弾力、寒梅の精神性、鶴の姿態など、単なる装飾を超えた文人的教養が随所に看取される。これらは江戸時代初期の武士道精神、特に文武両道を体現したものであり、細川三斎の指導奨励のもとで磨かれた造形感覚の賜物である。作品の多くは無銘であるが、羊羹色の鉄味、独特の透かし技法、彫込み象嵌の配置などから一見して又七と鑑せられる。在銘作は極めて少なく、金象嵌銘や鏨銘が施された作品は貴重である。林派の伝統は後世に受け継がれ、神吉深信らによって幕末期まで肥後金工の中核を成し、その格調高い作風は肥後鐔の魅力を世に知らしめることとなった。
保存刀装具のうち、出来・保存状態が一層優れ、銘文や作風に資料的価値の高いものと認められたものです。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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