刀剣番号:23763 刀:白鞘入り(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘文:和泉守兼重 弊社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作と分類しております。 本作、和泉守兼重の格付けは「上々作」でございます。 ハバキ:金着二重ハバキ 長さ:74.3 cm (2尺4寸5分) 反り:0.9 cm (3分) 目釘穴:1個 元幅:2.8 cm 先幅:1.6 cm 重ね:0.7 cm 刀身重量:670 グラム 時代:江戸時代初期 寛永頃(1624-1644年) 体配:反り浅く先幅の狭まる、寛文新刀の先駆けを思わせる体配。 地鉄:小板目肌よく詰み、地沸厚くつく。地景が入る。 刃文:小沸出来、直刃調に浅い湾れと互の目が混じり、砂流し、金筋、足が入る。 特徴:和泉守兼重は越前出身の刀工で、元は矢立師(矢の根作り)でしたが、後に江戸へ移り作刀しました。年紀作から、寛永2年(1625年)頃に和泉守を受領したと推測されます。その作品は抜群の切れ味を誇り、剣豪・宮本武蔵の愛刀としても広く知られています。 また、作風が虎徹に酷似することから、虎徹の師ではないかという説もあります。大和守安定などにも同様の作風が見られることから、兼重の技術は多くの刀工に受け継がれたと考えられます。 葵美術より:一見すると地味な作風に見えますが、角度を変えて鑑賞すると、砂流しや足が複雑に働き、見事な刃文が浮かび上がります。非常に魅力的な一振りであり、自信を持ってお勧めいたします。 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 日本美術刀剣保存協会 特別貴重刀剣 葵美術鑑定書 全身押し形 価格:1,750,000円(消費税、送料込み) 商談中 HOLD 関連商品: 刀:和泉守藤原国貞(特別保存刀剣) 刀:和泉守藤原国貞(特別保存刀剣) 刀:伊賀守藤原金道(第26回 特別重要刀剣) 刀:津田近江守助直(特別保存刀剣) 刀:(菊紋)伊賀守藤原金道(特別保存刀剣)





Edo Kaneshige (Izumi no Kami, Musashi, Shinto) · 武蔵 · 1624-1661頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在6点販売中
本工の手で現存する最も早い年紀の作は寛永二年紀の薙刀であり、ここに集めた七口はいずれも和泉守、または和泉守藤原兼重と銘し、すべて初代の作である。説明書はこの和泉守を、初代康継・繁慶についで現われた、次代の有力な江戸鍛冶とする。伝に越前の出で、もと矢ノ根鍛冶であったが、のち江戸に出て刀鍛冶に転じたといい、「古今鍛冶備考」もそう伝える。藤代の上作に位し、古来より長曽祢虎徹の師と伝えられる。名はさらにその後に二人目、すなわち門人の上総守とも銘した上総介藤原兼重を擁し、両者は永く同人とされ、その受領銘の変更は主君藤堂和泉守への遠慮によって説かれてきた。説明書は今これを退ける。在銘・年齢入りの作、なかでも寛文六年紀の刀から、若い方は寛永三年生まれと知れ、初代には既に寛永の年紀があって、両者は別人なのであり、本稿はあくまで初代を扱う。
説明書はその作域を二様に描き、その分けは作の読み方を律する。一は、のたれを基調に連れた互の目を交えるもので、足よく入り、匂深く沸厚くつき、出来のよいものでは刃中に金筋・砂流しが走り処々荒沸を交え、匂口は明るく冴える。この作風の一刀について説明書は、その出来が虎徹に極めて近く一見してこれを思わせるとして、「一見徹を髣髴させる作域」[[c:1]]と評し、焼刃に力強さと覇気を見る。二は、直刃を基とし、広く極めて浅くのたれをおびるものと、ほとんど動きのない中直刃のものとがあり、匂深く小沸よくつき、区際に僅かに焼込みを見せ、匂口は明るく冴える。二様に共通するのはこの匂口の冴えであり、説明書はこれを虎徹に通う特色とし、兼重の本領とする。
二様を支える地鉄は、よくつんだ小板目で、地沸を細かに厚くつけ地景を交え、処々流れて流れ肌となりやや肌立ち、杢を交える。開いた肌ではなく、抑制された都の鉄であって、大ぶりの刀ではわずかな肌立ちが地を破らぬまま生かす。帽子は直ぐに小丸、返り時に長く、先は掃きかけ、働きの豊かな作では先に金筋を交える。姿は身幅尋常で元先の幅差一際つき、踏張りごころのある反りやや深く中鋒の詰まる、寛永・正保の過渡的な体配で、説明書はこれを慶長新刀から寛文新刀へ移る姿とし、その姿恰好の見どころとする。茎は生ぶ、大筋違の鑢目には既に化粧風の気味があって、説明書はこれを後世の化粧鑢の原形とみ、長銘は独特の隷書体で細鏨に七字を切る。
この二様は時期ではなく作域であり、説明書は一口がそのいずれの典型かを名指す。第六十一回の広直刃の刀を前者、すなわちのたれ互の目の手の典型作とし、広い直刃にのたれ・小互の目を交えて覇気の漲るものとする。第四十三回の匂深い直刃を後者の典型作とし、匂が一段と深く沸が厚く、匂口の鮮やかに冴えるものとする。三つ目の作域は刃文ではなく造込みである。その作はほとんどが鎬造の刀・脇指で短刀は未見、ゆえに身幅広く寸の延びた第三十一回の平造脇指は珍しい造込みで、小のたれに互の目を交え足よく入り匂深く匂口の明るいところは、まさに本領を発揮した一口だと説明書はいう。のたれ互の目の作風の中にも純然たる直刃のものがあると説明書は山野家の截断銘刀について述べ、二つの手は画然と分かれるのではなく互いに移り合う。
この工を分かつものは、他派の特色を述べるよりも、その自らの確かな見どころから語るのがよい。その見どころは、匂深く匂口の明るく冴えることであり、これを静かな広直刃にものたれ互の目にもひとしく運び、その下に地沸の厚くついた小板目に細かな地景とわずかな肌立ちを伏せる。説明書は虎徹を通してその位置を枠づける。伝にいう虎徹の師であり、地刃ともに匂深く冴える虎徹風で、その一刀は一見虎徹を思わせると評される。彼の興した一系は彼の後も続いた。門人の上総介がこれを寛文期に承け、数珠刃を完成させた。これが二代の最もよく知られる作域で、説明書は虎徹に見紛うほどとするが、初代の抑制された二様は、自らは焼かなかった刃文によって後世名を成す一系の頭に立つのである。近年の研究は二つの手を分けることに向かい、代替りと二代の銘とを主たる手掛りとして、初代の七口は今その第一代の作として読まれている。
兼重は江戸新刀の有力な名の一つで、初代の名声は多くの作に伴う試し切りと切り離せない。ここに挙げる七口のうち二口が山野勘十郎の金象嵌截断銘を負う。勘十郎は名手加右衛門が正保以前に用いた名で、三重胴を二度に打ち落とした截断を記し、「前代未聞剣 山野勘十郎切之」[[c:2]]と銘する。これは栄誉であると同時に来歴であり、江戸開府期の鑑識の最も見分けやすい印の一つである。その名で記録に立つのは重要刀剣の七口で、それ以上の指定はなく、ほとんどが鎬造の刀・脇指、国宝も重要文化財もなく、記録に残る大名伝来もない。すなわち彼の遺すところは、美術館の名品ではなく指定の重要刀剣である。これらは多く旧家に久しく蔵され、時に市に現れるのみで、山野の名高い截断銘をもつ在銘の兼重こそ最も求められる一例であり、確かな記録をもつ一刀を江戸開府期の最も読みやすい刃文の一つに結ぶものである。手の届かぬ工ではないが、その一刀、まして山野の象嵌を負う一口は、現れれば一個の見ものである。
兼重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 武蔵
現在12点販売中
兼重は、初代康継・繁慶についで江戸にあらわれた鍛冶で、説示は初代和泉守兼重をもと越前の矢ノ根鍛冶とし、のちに江戸へ出て刀鍛冶に転じたと伝える。古今鍛冶備考の説に拠るとあり、その現存作で最も早い年紀は寛永二年八月日紀の薙刀で、作刀は明暦の頃にまで及ぶ。和泉守と上総介の両者は従来同人とされ、藤堂和泉守に抱えられたために主君と受領銘が同じであることを憚って上総介に改めたと伝えられてきたが、辻上総介藤原兼重四十三歳於江戸作之康継下坂市之丞云々と銘じた脇指、ならびに寛文六年紀の康継合作刀の存在によって、上総介兼重は寛永三年の生まれと算せられ、和泉守とは明らかに別人であることが説示に示される。二代上総介兼重は和泉守兼重の子または弟子とみられる兼重二代目であり、上総守と冠することもあって、作刀はおよそ明暦・万治から始まり、寛文・延宝の頃が活躍期で、虎徹と同時代に位置する。近年は両者の銘字を比較検討して代替りの時期を慶安期とし、二代も初期には和泉守を冠したのち上総守・上総介を交互に用い、さらに二代の子と伝える助九郎兼常による代銘を指摘するなど、新説が打ち出されているという。 作風は説示が初二代に分けて記す。初代和泉守の作は大別して二様で、一はのたれを基調に互の目が連れて交じり足の入ったもの、一は沸匂深く直刃仕立に浅くのたれをおびた刃取りで匂口が明るく冴えるものである。鍛えは小板目肌がよくつみ、あるいは板目に杢・流れ肌を交えて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき地景が細かによく入る。直刃の作では広直刃に浅いのたれをおびて沸筋がかかり、匂が一段と深く沸が厚くつくところが、この作域を手懸けた折の特色とされる。二代上総介の作は、直刃調に互の目が連れて数珠刃風となるのが本領で、足太く頻りに入り、金筋・砂流しがかかって匂口が明るい。互の目を一つ焼くと次は二つ焼くというふうに、一つ二つと繰り返して焼く一定のリズムが見られ、これが大きな見どころと説示は繰り返す。姿は身幅尋常、元先の幅差つき、反り浅く中鋒の詰まった寛文新刀の体配を示し、寛永・正保頃の作には慶長新刀から寛文新刀へ移行する過渡的な姿もあらわれる。茎には化粧風の鑢がかかり、後世の装飾的な化粧鑢の原形とみられると説示はほぼ一様に記す。 伝承の要点として説示が重んじるのは虎徹との関係である。二代は虎徹同様に数珠刃を得意とし、万治四年の山野加右衛門尉永久の金象嵌截断銘の脇指に虎徹に先立って完全な数珠刃を焼いた作があることから、その作風が後の虎徹の数珠刃に大きな影響を及ぼしたと想像に難くないとし、初代もまた虎徹の師と云われるとの伝を引く。一見虎徹を髣髴させ、ほとんど虎徹に見紛う程の出来とする評が諸作に見え、長曽祢虎徹や法城寺一派と類似した数珠刃風の互の目を江戸鍛冶相互の影響のうちに焼いたとも説く。截断銘を伴う作が多いのも特色で、山野加右衛門尉永久、勘十郎時代の同人、柴崎伝左衛門正次、前島八郎友次らの金象嵌截断銘が裏に添えられ、三ツ胴・二ツ胴截断の業物として遇されたことを示す。茎の隷書風の独特の書体による五字・七字・長銘も同工識別の手懸りであり、銘字の太細や大小の推移が前後期の判別に資する。明暦三年紀や寛文・延宝紀の作を含め、説示は数珠刃の完成度と直刃の冴えの両面に同派の到達を見ている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。
刀剣番号:23763 刀:白鞘入り(日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣) 銘文:和泉守兼重 弊社では刀剣の出来映えにより、最上作、上々作、上作、普通作と分類しております。 本作、和泉守兼重の格付けは「上々作」でございます。 ハバキ:金着二重ハバキ 長さ:74.3 cm (2尺4寸5分) 反り:0.9 cm (3分) 目釘穴:1個 元幅:2.8 cm 先幅:1.6 cm 重ね:0.7 cm 刀身重量:670 グラム 時代:江戸時代初期 寛永頃(1624-1644年) 体配:反り浅く先幅の狭まる、寛文新刀の先駆けを思わせる体配。 地鉄:小板目肌よく詰み、地沸厚くつく。地景が入る。 刃文:小沸出来、直刃調に浅い湾れと互の目が混じり、砂流し、金筋、足が入る。 特徴:和泉守兼重は越前出身の刀工で、元は矢立師(矢の根作り)でしたが、後に江戸へ移り作刀しました。年紀作から、寛永2年(1625年)頃に和泉守を受領したと推測されます。その作品は抜群の切れ味を誇り、剣豪・宮本武蔵の愛刀としても広く知られています。 また、作風が虎徹に酷似することから、虎徹の師ではないかという説もあります。大和守安定などにも同様の作風が見られることから、兼重の技術は多くの刀工に受け継がれたと考えられます。 葵美術より:一見すると地味な作風に見えますが、角度を変えて鑑賞すると、砂流しや足が複雑に働き、見事な刃文が浮かび上がります。非常に魅力的な一振りであり、自信を持ってお勧めいたします。 日本美術刀剣保存協会 特別保存刀剣 日本美術刀剣保存協会 特別貴重刀剣 葵美術鑑定書 全身押し形 価格:1,750,000円(消費税、送料込み) 商談中 HOLD 関連商品: 刀:和泉守藤原国貞(特別保存刀剣) 刀:和泉守藤原国貞(特別保存刀剣) 刀:伊賀守藤原金道(第26回 特別重要刀剣) 刀:津田近江守助直(特別保存刀剣) 刀:(菊紋)伊賀守藤原金道(特別保存刀剣)





Edo Kaneshige (Izumi no Kami, Musashi, Shinto) · 武蔵 · 1624-1661頃
藤代 Jo saku · 刀剣大鑑 上位23%
現在6点販売中
本工の手で現存する最も早い年紀の作は寛永二年紀の薙刀であり、ここに集めた七口はいずれも和泉守、または和泉守藤原兼重と銘し、すべて初代の作である。説明書はこの和泉守を、初代康継・繁慶についで現われた、次代の有力な江戸鍛冶とする。伝に越前の出で、もと矢ノ根鍛冶であったが、のち江戸に出て刀鍛冶に転じたといい、「古今鍛冶備考」もそう伝える。藤代の上作に位し、古来より長曽祢虎徹の師と伝えられる。名はさらにその後に二人目、すなわち門人の上総守とも銘した上総介藤原兼重を擁し、両者は永く同人とされ、その受領銘の変更は主君藤堂和泉守への遠慮によって説かれてきた。説明書は今これを退ける。在銘・年齢入りの作、なかでも寛文六年紀の刀から、若い方は寛永三年生まれと知れ、初代には既に寛永の年紀があって、両者は別人なのであり、本稿はあくまで初代を扱う。
説明書はその作域を二様に描き、その分けは作の読み方を律する。一は、のたれを基調に連れた互の目を交えるもので、足よく入り、匂深く沸厚くつき、出来のよいものでは刃中に金筋・砂流しが走り処々荒沸を交え、匂口は明るく冴える。この作風の一刀について説明書は、その出来が虎徹に極めて近く一見してこれを思わせるとして、「一見徹を髣髴させる作域」[[c:1]]と評し、焼刃に力強さと覇気を見る。二は、直刃を基とし、広く極めて浅くのたれをおびるものと、ほとんど動きのない中直刃のものとがあり、匂深く小沸よくつき、区際に僅かに焼込みを見せ、匂口は明るく冴える。二様に共通するのはこの匂口の冴えであり、説明書はこれを虎徹に通う特色とし、兼重の本領とする。
二様を支える地鉄は、よくつんだ小板目で、地沸を細かに厚くつけ地景を交え、処々流れて流れ肌となりやや肌立ち、杢を交える。開いた肌ではなく、抑制された都の鉄であって、大ぶりの刀ではわずかな肌立ちが地を破らぬまま生かす。帽子は直ぐに小丸、返り時に長く、先は掃きかけ、働きの豊かな作では先に金筋を交える。姿は身幅尋常で元先の幅差一際つき、踏張りごころのある反りやや深く中鋒の詰まる、寛永・正保の過渡的な体配で、説明書はこれを慶長新刀から寛文新刀へ移る姿とし、その姿恰好の見どころとする。茎は生ぶ、大筋違の鑢目には既に化粧風の気味があって、説明書はこれを後世の化粧鑢の原形とみ、長銘は独特の隷書体で細鏨に七字を切る。
この二様は時期ではなく作域であり、説明書は一口がそのいずれの典型かを名指す。第六十一回の広直刃の刀を前者、すなわちのたれ互の目の手の典型作とし、広い直刃にのたれ・小互の目を交えて覇気の漲るものとする。第四十三回の匂深い直刃を後者の典型作とし、匂が一段と深く沸が厚く、匂口の鮮やかに冴えるものとする。三つ目の作域は刃文ではなく造込みである。その作はほとんどが鎬造の刀・脇指で短刀は未見、ゆえに身幅広く寸の延びた第三十一回の平造脇指は珍しい造込みで、小のたれに互の目を交え足よく入り匂深く匂口の明るいところは、まさに本領を発揮した一口だと説明書はいう。のたれ互の目の作風の中にも純然たる直刃のものがあると説明書は山野家の截断銘刀について述べ、二つの手は画然と分かれるのではなく互いに移り合う。
この工を分かつものは、他派の特色を述べるよりも、その自らの確かな見どころから語るのがよい。その見どころは、匂深く匂口の明るく冴えることであり、これを静かな広直刃にものたれ互の目にもひとしく運び、その下に地沸の厚くついた小板目に細かな地景とわずかな肌立ちを伏せる。説明書は虎徹を通してその位置を枠づける。伝にいう虎徹の師であり、地刃ともに匂深く冴える虎徹風で、その一刀は一見虎徹を思わせると評される。彼の興した一系は彼の後も続いた。門人の上総介がこれを寛文期に承け、数珠刃を完成させた。これが二代の最もよく知られる作域で、説明書は虎徹に見紛うほどとするが、初代の抑制された二様は、自らは焼かなかった刃文によって後世名を成す一系の頭に立つのである。近年の研究は二つの手を分けることに向かい、代替りと二代の銘とを主たる手掛りとして、初代の七口は今その第一代の作として読まれている。
兼重は江戸新刀の有力な名の一つで、初代の名声は多くの作に伴う試し切りと切り離せない。ここに挙げる七口のうち二口が山野勘十郎の金象嵌截断銘を負う。勘十郎は名手加右衛門が正保以前に用いた名で、三重胴を二度に打ち落とした截断を記し、「前代未聞剣 山野勘十郎切之」[[c:2]]と銘する。これは栄誉であると同時に来歴であり、江戸開府期の鑑識の最も見分けやすい印の一つである。その名で記録に立つのは重要刀剣の七口で、それ以上の指定はなく、ほとんどが鎬造の刀・脇指、国宝も重要文化財もなく、記録に残る大名伝来もない。すなわち彼の遺すところは、美術館の名品ではなく指定の重要刀剣である。これらは多く旧家に久しく蔵され、時に市に現れるのみで、山野の名高い截断銘をもつ在銘の兼重こそ最も求められる一例であり、確かな記録をもつ一刀を江戸開府期の最も読みやすい刃文の一つに結ぶものである。手の届かぬ工ではないが、その一刀、まして山野の象嵌を負う一口は、現れれば一個の見ものである。
兼重の位置づけを、日本刀全体および伝統・時代・時期ごとに示します。各位(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
在銘年紀作が示す、確実に活動していた年代
新刀 · 武蔵
現在12点販売中
兼重は、初代康継・繁慶についで江戸にあらわれた鍛冶で、説示は初代和泉守兼重をもと越前の矢ノ根鍛冶とし、のちに江戸へ出て刀鍛冶に転じたと伝える。古今鍛冶備考の説に拠るとあり、その現存作で最も早い年紀は寛永二年八月日紀の薙刀で、作刀は明暦の頃にまで及ぶ。和泉守と上総介の両者は従来同人とされ、藤堂和泉守に抱えられたために主君と受領銘が同じであることを憚って上総介に改めたと伝えられてきたが、辻上総介藤原兼重四十三歳於江戸作之康継下坂市之丞云々と銘じた脇指、ならびに寛文六年紀の康継合作刀の存在によって、上総介兼重は寛永三年の生まれと算せられ、和泉守とは明らかに別人であることが説示に示される。二代上総介兼重は和泉守兼重の子または弟子とみられる兼重二代目であり、上総守と冠することもあって、作刀はおよそ明暦・万治から始まり、寛文・延宝の頃が活躍期で、虎徹と同時代に位置する。近年は両者の銘字を比較検討して代替りの時期を慶安期とし、二代も初期には和泉守を冠したのち上総守・上総介を交互に用い、さらに二代の子と伝える助九郎兼常による代銘を指摘するなど、新説が打ち出されているという。 作風は説示が初二代に分けて記す。初代和泉守の作は大別して二様で、一はのたれを基調に互の目が連れて交じり足の入ったもの、一は沸匂深く直刃仕立に浅くのたれをおびた刃取りで匂口が明るく冴えるものである。鍛えは小板目肌がよくつみ、あるいは板目に杢・流れ肌を交えて肌立ちごころとなり、地沸が微塵に厚くつき地景が細かによく入る。直刃の作では広直刃に浅いのたれをおびて沸筋がかかり、匂が一段と深く沸が厚くつくところが、この作域を手懸けた折の特色とされる。二代上総介の作は、直刃調に互の目が連れて数珠刃風となるのが本領で、足太く頻りに入り、金筋・砂流しがかかって匂口が明るい。互の目を一つ焼くと次は二つ焼くというふうに、一つ二つと繰り返して焼く一定のリズムが見られ、これが大きな見どころと説示は繰り返す。姿は身幅尋常、元先の幅差つき、反り浅く中鋒の詰まった寛文新刀の体配を示し、寛永・正保頃の作には慶長新刀から寛文新刀へ移行する過渡的な姿もあらわれる。茎には化粧風の鑢がかかり、後世の装飾的な化粧鑢の原形とみられると説示はほぼ一様に記す。 伝承の要点として説示が重んじるのは虎徹との関係である。二代は虎徹同様に数珠刃を得意とし、万治四年の山野加右衛門尉永久の金象嵌截断銘の脇指に虎徹に先立って完全な数珠刃を焼いた作があることから、その作風が後の虎徹の数珠刃に大きな影響を及ぼしたと想像に難くないとし、初代もまた虎徹の師と云われるとの伝を引く。一見虎徹を髣髴させ、ほとんど虎徹に見紛う程の出来とする評が諸作に見え、長曽祢虎徹や法城寺一派と類似した数珠刃風の互の目を江戸鍛冶相互の影響のうちに焼いたとも説く。截断銘を伴う作が多いのも特色で、山野加右衛門尉永久、勘十郎時代の同人、柴崎伝左衛門正次、前島八郎友次らの金象嵌截断銘が裏に添えられ、三ツ胴・二ツ胴截断の業物として遇されたことを示す。茎の隷書風の独特の書体による五字・七字・長銘も同工識別の手懸りであり、銘字の太細や大小の推移が前後期の判別に資する。明暦三年紀や寛文・延宝紀の作を含め、説示は数珠刃の完成度と直刃の冴えの両面に同派の到達を見ている。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイト返品をご希望の場合、お客様が受領されてから3日以内にお知らせください。この期間を過ぎますとキャンセルはお受けできかねますので何卒ご了承ください。なお当社へのご返送は、5営業日以内の発送をお願いしております。なおキャンセルは販売した当時の状態がそのまま保持されている事が条件となりますのでお取り扱いには十分ご注意下さい。