A large powerful fuchi-kashira signed sanjimei, Toshimasa tsukuru. Deep black shakudo masterfully decorated in multiple metals. Ref. Haynes H 10412.0 & H 10413.0. Wakayama Toso Kodogu Meiji Taisei, Vol. I, pages 93 & 94. NBTHK green papers from 1974. There were two generation of Egawa Toshimasa. Their work is almost impossible to distinguish from one and other, especially when signed Sorin or other names common to the both of them. There are many fakes and forgeries of both generations, and many students produced work that signed their names. The shodai was the adopted son of Katsuhira Eiju, and a student of the Ichiryu Tomoyoshi school, and Hirano Tomomichi. He was a retainer to the Arima Daimyo at Edo. He lived to be either 82 or 87, dying in1825. The second genereation was the son of the first Egawa Toshimasa, and student of his father and of the Ichiryu school of Mito. The style and quality of his work is very close to his father's, Died in 1887. Boxed Toso Kodogu Meiji Taisei









江戸
在銘
金工 · 甲斐 · 1670頃
現在2点販売中
江川斎桂宗隣は、通称を精吉といい、安永二年(一七七三)に水戸で生まれた金工である。本姓は江川氏で初代江川利政と同人であり、後に江戸に出て横谷英精の門に学んだ。同門の先輩である桂永寿に見込まれて養子に迎えられ、桂家を継ぎ、永寿同様に久留米有馬家の抱工となった。嘉永年紀で七十五歳、安政二年紀で八十二歳、「桂宗隣(花押) 寿八十八歳」銘が知られる長寿の金工で、江川姓と桂姓を共用している。
宗隣の作風は、高彫、据紋象嵌、色絵など多岐にわたる。地金は鉄、赤銅、朧銀、金などを用い、魚子地を施すことも多い。意匠は人物、動物、草花、風景など幅広い題材を手がけ、特に虎図の作例が多く見られる。その作風は、肉置き豊かな高彫と綿密な象嵌色絵で力強い動静を表現する点に特徴があり、写実的な描写に加えて、物語性を強める工夫も見られる。また、金を含む四分一の地金を用いることで気品溢れる作品に仕上げるなど、素材の選択にも意を用いている。
宗隣の作品は、「豪奢であるが霞を巧みに配することによって雑然とした感を避けた構図」[[c:1]]や「金を含む四分一の地金を用いて気品溢れる作品に仕上げている」[[c:2]]と評されるように、卓越した技術と豊かな意匠によって雅びな趣をたたえている。その作は「宗隣の高い技術と芸術性がよく顕現されている」[[c:3]]、「宗隣の高い技術がよく表示された作である」[[c:4]]、「桂宗隣の真価が存分に示されており、同作中の白眉といえよう」[[c:5]]、「江川宗隣の真価が発揮された作品であり、雅びな趣が横溢している」、「桂宗隣の実力が存分に示された力作である」[[c:6]]と高く評価されており、横谷派の流れを汲みながらも、独自の作風を確立した金工として、その名を知られている。
宗隣の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
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金工 · 甲斐
現在8点販売中
江川派は甲斐国に淵源を持つ金工の一流であるが、その最も著名な工人である江川利政(桂宗隣)は安永二年(一七七三)に水戸に生まれた。利政は江戸に出て横谷英精の門に学び、横谷派家彫の正統な彫技を修得した。同門の先輩である桂永寿に見込まれて養子に迎えられ、永寿の通称左一郎を襲い、桂宗隣と改名して桂家を継承した。養父に引き続き久留米藩主有馬家の抱え工となり、以後は江川姓と桂姓を共用しながら活動した。嘉永元年紀で七十五歳、安政元年紀で八十一歳、安政二年紀で八十二歳、さらに「寿八十八歳」銘の作も知られる長寿の金工であり、その制作活動は江戸時代後期の全般にわたっている。「利」の字を冠する命名慣行は一門の系譜意識を示唆するものである。 江川派の作風は横谷派家彫の彫技を基盤としつつ、独自の個性を発揮している。地金は赤銅魚子地を基本とするが、銀魚子地や朧銀魚子地も同等の格調をもって用いられる。その上に肉置き豊かな高彫を施し、金・銀・赤銅の色金を多用した色絵と据文象嵌を加えて重厚にして華麗な画面を構成する。画題は広範にして文学的教養に裏打ちされており、水呑虎図、横谷派が得意とした牡丹に獅子図、六歌仙の意匠、伊勢物語に取材した業平東下り図、萩の名所である野路の玉川図、野田の玉川図などが見られる。また虫尽し金具の一作では二十二匹の虫を「正確な写生を基本にした動と静の姿態」で「細微に表して」おり、自然観察に根ざした写実的な一面も顕著である。百花図鐔においては四季の草花を表裏一面に高彫で表しながらも「霞を巧みに配することによって雑然とした感を避けた構図」[[c:3]]としており、豪奢な装飾を秩序ある画面に統御する構成力が認められる。鉄地の作品では鋤出彫に肉彫地透を併用し、「透しを上手く活かして物語性を強めて」[[c:4]]おり、水紋や霞における「鉄地への繊細な彫り」[[c:5]]にも優れた技量を示している。家彫の彫技を基本としつつ「画題や鳥の姿態・肉置きには町彫の斬新さが窺える」[[c:6]]と評されるように、家彫と町彫の両領域を融合した独自の境地を開いている。目貫には金無垢地の容彫を用い、立体的な造形力を遺憾なく発揮している。 江川派は江戸時代後期の刀装具史において横谷派の正統を継承しつつ町彫の革新性をも取り込んだ独自の位置を占めている。重要刀装・重要刀装具の審査においてその作品群は「品格の高い大名道具」[[c:7]]として、また「雅びな趣きが横溢した」[[c:8]]作として高い評価を受けてきた。百花図鐔は「同作中の白眉」と称され、六歌仙揃金具は「真価が発揮された作品」[[c:9]]と讃えられている。安政元年に八十一歳で制作した虎図鐔・縁頭においてさえ「八十一歳とは思えぬ出来映え」[[c:10]]と評され、「宗隣の高い技術と芸術性がよく顕現されている」[[c:11]]と述べられている。正式大小拵から揃金具・三所物・単品の鐔に至るまで、一貫して高度な彫金技術と格調ある画面構成を示していることは、横谷派金工の伝統の中における江川派の総合的な力量を物語るものである。 詳しく見る →
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