二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
特別保存刀剣 大宮(無銘) 脇差 【解説】 本作は、南北朝時代中期から後期(14世紀中頃〜後半)にかけて隆盛を極めた「大宮」派の極めが付いた一振りです。大宮派は備前長船派の有力な分派の一つであり、現在の岡山県大宮の地に居住したことからその名で呼ばれます。 大宮派の祖は鎌倉時代末期の国盛と伝えられています。一説には、国盛は山城国(現在の京都府)から備前国大宮へ移住したとされており、長船派の中でも屈指の名工として知られる兼光らと同時代に活躍しました。 兼光は、備前伝に相州伝の作風を融合させた「相伝備前(そうでんびぜん)」という独自の鍛法を確立しましたが、大宮派の工たちもまたこの技法を巧みに取り入れました。相伝備前の刀剣は当時の武士の間で絶大な人気を博しました。大宮派の代表的な工には盛景、盛継、盛重などがおり、その多くが名に「盛」の字を冠するのが特徴です。 【備前長船派の歴史】 備前長船派は、鎌倉時代中期の光忠を始祖とする一派です。備前国において最大の規模を誇り、時の有力な大名や名だたる武将から数多くの注文を受けました。彼らの作は「長船物」として武士たちに深く愛用されました。 歴代の工の中でも、長光、真長、景光の三名は「長船三作」として特に名高く、また長光、兼光、長義、元重の四名は「長船四天王」と称され、その卓越した技量は後世まで語り継がれています。 備前国は中国山地に近く、刀剣の主原料である良質な砂鉄が豊富に採れました。さらに吉井川の流域に位置していたことから、鍛錬に不可欠な水や炭の確保にも恵まれていました。こうした地理的条件が、高品質な刀剣の量産を可能にしたと考えられています。備前における作刀の歴史は古く、平安時代後期には「古備前」と呼ばれる工集団によって備前伝の基礎が築かれました。長船派はその伝統を継承し、鎌倉時代中期以降、空前の繁栄を遂げたのです。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術品としての価値が特に高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身には経年による鍛え傷や微細な零れ(こぼれ)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):54.2 cm 反り(Sori):1.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 茎に付着した黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ役割を果たします。この錆色や朽ち込み具合は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される刀装具一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の上下に取り付けられる一対の金具。




























備前伝 · 備前
現在7点販売中
大宮派は、備前国長船の地に働きながら、その出自を京都山城に持つ点において他の備前鍛冶と趣を異にする一派である。説明書はこの一門を、もと山城国猪熊大宮の住人であった遠祖国盛に遡らせ、これが鎌倉時代の文応の頃に備前へ移り住んだと伝える。すなわち京の大宮の血が備前の地に根を下ろし、山城の精美な地鉄と備前の華やかな丁子乱れとを併せ呑んだところに、この一派の本質がある。初期の国盛・助盛の作は稀有で、一門が最も栄えるのは南北朝時代に入ってからであり、応安・貞治・永和・嘉慶の各年にわたり「備州長船盛景」などと長銘を切った盛景がその中心に立つ。説明書は「南北朝時代の同派中では盛景が最も作品が多く上手でもある」[[c:1]]と端的に記し、盛重がこれに続いて南北朝から室町へと一派を伝えた。 この一派を貫く手は、長船本流の丁子そのものではなく、山城の地を帯びた相伝備前の刃である。地鉄は肌立ちごころの板目に杢を交え、処々肌の開いた地に地沸細かにつき、地景入り地斑を交えて、その上に備前の乱れ映りが在銘無銘いずれにも立つ。地刃ともに沸の強い点が、本派における相伝備前の証と判ぜられる。刃文は小のたれを基とし、これに互の目、角ばる刃、尖りごころの刃を交え、足・葉よく入り、匂を主調に小沸つき、刃中に細かく砂流し・金筋がかかる。匂口は同時代長船一流の明るく華やかな刃に対して、やや沈みごころに傾くところに一派の気質があらわれる。なかでも尖りごころの刃は作域を越えて繰り返し現れ、長船本流の丁子主調と大宮の手とを分かつ静かな看どころとなる。作域は広く、のたれを主調とするもの、丁子や互の目の交じる華やかな乱れ刃、角互の目を主調とするもの、さらに青江風の直刃にまで及び、説明書は永和二年紀の盛景の太刀を「正に青江や雲類を想わせる直刃の作柄」[[c:2]]と評してその多彩を示す。帽子は乱れ込んで尖りごころまたは小丸に返り掃きかけ、彫物は棒樋から二筋樋、最上手の梵字・三鈷剣に及ぶ。盛重に至っては大宮派の特色が薄れ、末備前の長船と異ならぬ作も見え、これは一派が次第に長船派へ併呑されていったことを示すと読まれている。 鑑定の勘所は、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に長船嫡流との別を分かつことにある。明るい乱れ映りと沈みごころに丁子を交えた刃は、より広くおおどかな兼光の刃から本派を分かち、その近さの一方で長義一派の箱がかった大乱れとも異にする。とはいえ長義との近接は確かで、ある特別重要刀剣の刀の説明書は大宮派が兼光や長義に隠れがちであることを述べたうえで「作風は長義に似て並ぶ程である」[[c:3]]と記し、薙刀直しののたれが兼光ほどおおどかにならず裾野短く頭やや角ばる点をもって盛景の手を明示するとする。主要工の格は盛景を筆頭とし、藤代はこれを上々作に位置づけ、現存に最も時代の溯る鎌倉末期の在銘太刀は同名作と地刃を異にして資料的に頗る貴重とされる。なお近年、作風および逆鏨に切る銘字の共通性より、長銘の盛景はむしろ近景・義景に連なる長船傍系の工で、二字に太鏨大振りに銘を切る鍛冶こそが真の大宮鍛冶ではないかとする説が説明書に記され、一派の名そのものがなお研究に委ねられている。伝来は大名家のそれで、肥前鍋島家、上杉家、伊達家、松山藩久松松平家などに伝わり、一口は皇室の御物として記録される。在銘年紀の大宮盛景が世に出ることは時折に限られるが、現れればそれは、京の大宮の精美を備前の地に移し、相伝備前の第一線に身を置いたこの一派の手を、確かに伝える証である。 詳しく見る →
南北朝時代の備前
二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.
特別保存刀剣 大宮(無銘) 脇差 【解説】 本作は、南北朝時代中期から後期(14世紀中頃〜後半)にかけて隆盛を極めた「大宮」派の極めが付いた一振りです。大宮派は備前長船派の有力な分派の一つであり、現在の岡山県大宮の地に居住したことからその名で呼ばれます。 大宮派の祖は鎌倉時代末期の国盛と伝えられています。一説には、国盛は山城国(現在の京都府)から備前国大宮へ移住したとされており、長船派の中でも屈指の名工として知られる兼光らと同時代に活躍しました。 兼光は、備前伝に相州伝の作風を融合させた「相伝備前(そうでんびぜん)」という独自の鍛法を確立しましたが、大宮派の工たちもまたこの技法を巧みに取り入れました。相伝備前の刀剣は当時の武士の間で絶大な人気を博しました。大宮派の代表的な工には盛景、盛継、盛重などがおり、その多くが名に「盛」の字を冠するのが特徴です。 【備前長船派の歴史】 備前長船派は、鎌倉時代中期の光忠を始祖とする一派です。備前国において最大の規模を誇り、時の有力な大名や名だたる武将から数多くの注文を受けました。彼らの作は「長船物」として武士たちに深く愛用されました。 歴代の工の中でも、長光、真長、景光の三名は「長船三作」として特に名高く、また長光、兼光、長義、元重の四名は「長船四天王」と称され、その卓越した技量は後世まで語り継がれています。 備前国は中国山地に近く、刀剣の主原料である良質な砂鉄が豊富に採れました。さらに吉井川の流域に位置していたことから、鍛錬に不可欠な水や炭の確保にも恵まれていました。こうした地理的条件が、高品質な刀剣の量産を可能にしたと考えられています。備前における作刀の歴史は古く、平安時代後期には「古備前」と呼ばれる工集団によって備前伝の基礎が築かれました。長船派はその伝統を継承し、鎌倉時代中期以降、空前の繁栄を遂げたのです。 本作は、日本美術刀剣保存協会(NBTHK)により「特別保存刀剣」に鑑定されています。これは、保存状態が極めて良好であり、かつ美術品としての価値が特に高い真作の日本刀にのみ与えられる格付けです。 ※刀身には経年による鍛え傷や微細な零れ(こぼれ)が見受けられます。詳細なコンディションについては、お気軽にお問い合わせください。 【刀身】 長さ(Nagasa):54.2 cm 反り(Sori):1.6 cm 刃文(Hamon):焼入れによって刃先に現れる結晶構造。 地鉄(Jihada):鍛錬の過程で現れる鋼の表面模様。 切先(Kissaki):刀身の先端部分。 茎(Nakago):柄に収まる持ち手部分。 茎に付着した黒錆は、柄内部での赤錆の発生を防ぐ役割を果たします。この錆色や朽ち込み具合は、専門家が制作年代を特定する際の重要な指標となります。 【外装】 拵(Koshirae):鞘、柄、鍔などから構成される刀装具一式。 縁頭(Fuchi-Kashira):柄の上下に取り付けられる一対の金具。




























備前伝 · 備前
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大宮派は、備前国長船の地に働きながら、その出自を京都山城に持つ点において他の備前鍛冶と趣を異にする一派である。説明書はこの一門を、もと山城国猪熊大宮の住人であった遠祖国盛に遡らせ、これが鎌倉時代の文応の頃に備前へ移り住んだと伝える。すなわち京の大宮の血が備前の地に根を下ろし、山城の精美な地鉄と備前の華やかな丁子乱れとを併せ呑んだところに、この一派の本質がある。初期の国盛・助盛の作は稀有で、一門が最も栄えるのは南北朝時代に入ってからであり、応安・貞治・永和・嘉慶の各年にわたり「備州長船盛景」などと長銘を切った盛景がその中心に立つ。説明書は「南北朝時代の同派中では盛景が最も作品が多く上手でもある」[[c:1]]と端的に記し、盛重がこれに続いて南北朝から室町へと一派を伝えた。 この一派を貫く手は、長船本流の丁子そのものではなく、山城の地を帯びた相伝備前の刃である。地鉄は肌立ちごころの板目に杢を交え、処々肌の開いた地に地沸細かにつき、地景入り地斑を交えて、その上に備前の乱れ映りが在銘無銘いずれにも立つ。地刃ともに沸の強い点が、本派における相伝備前の証と判ぜられる。刃文は小のたれを基とし、これに互の目、角ばる刃、尖りごころの刃を交え、足・葉よく入り、匂を主調に小沸つき、刃中に細かく砂流し・金筋がかかる。匂口は同時代長船一流の明るく華やかな刃に対して、やや沈みごころに傾くところに一派の気質があらわれる。なかでも尖りごころの刃は作域を越えて繰り返し現れ、長船本流の丁子主調と大宮の手とを分かつ静かな看どころとなる。作域は広く、のたれを主調とするもの、丁子や互の目の交じる華やかな乱れ刃、角互の目を主調とするもの、さらに青江風の直刃にまで及び、説明書は永和二年紀の盛景の太刀を「正に青江や雲類を想わせる直刃の作柄」[[c:2]]と評してその多彩を示す。帽子は乱れ込んで尖りごころまたは小丸に返り掃きかけ、彫物は棒樋から二筋樋、最上手の梵字・三鈷剣に及ぶ。盛重に至っては大宮派の特色が薄れ、末備前の長船と異ならぬ作も見え、これは一派が次第に長船派へ併呑されていったことを示すと読まれている。 鑑定の勘所は、まず鮮明な乱れ映りで一門を備前と読み、次に長船嫡流との別を分かつことにある。明るい乱れ映りと沈みごころに丁子を交えた刃は、より広くおおどかな兼光の刃から本派を分かち、その近さの一方で長義一派の箱がかった大乱れとも異にする。とはいえ長義との近接は確かで、ある特別重要刀剣の刀の説明書は大宮派が兼光や長義に隠れがちであることを述べたうえで「作風は長義に似て並ぶ程である」[[c:3]]と記し、薙刀直しののたれが兼光ほどおおどかにならず裾野短く頭やや角ばる点をもって盛景の手を明示するとする。主要工の格は盛景を筆頭とし、藤代はこれを上々作に位置づけ、現存に最も時代の溯る鎌倉末期の在銘太刀は同名作と地刃を異にして資料的に頗る貴重とされる。なお近年、作風および逆鏨に切る銘字の共通性より、長銘の盛景はむしろ近景・義景に連なる長船傍系の工で、二字に太鏨大振りに銘を切る鍛冶こそが真の大宮鍛冶ではないかとする説が説明書に記され、一派の名そのものがなお研究に委ねられている。伝来は大名家のそれで、肥前鍋島家、上杉家、伊達家、松山藩久松松平家などに伝わり、一口は皇室の御物として記録される。在銘年紀の大宮盛景が世に出ることは時折に限られるが、現れればそれは、京の大宮の精美を備前の地に移し、相伝備前の第一線に身を置いたこの一派の手を、確かに伝える証である。 詳しく見る →
南北朝時代の備前
二つの朝廷が争った六十年、刀身は長大化し、長船がその需要に応えた。兼光と長義の工房は実際に戦う国人層の武士に仕え、軍勢とともに相州風が届いて相伝備前が生まれた。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトReturns/exchanges limited to defects caused by shipping (except willful misconduct or gross negligence by the company); customers must contact within 72 hours of receiving the product.