応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
【解説】 周防国(山口県)の二王派は、寺院の山門に立つ仏教の守護神「二王(仁王)」にその名を由来します。 流派の起源には諸説あり、平安時代の清真を祖とする説や、鎌倉中期の清弘を興りとする説など様々ですが、現存する最古の遺例は厳島神社に伝わる文永二年(1265年)銘の清綱の太刀であることから、実質的な開祖は清綱と目されています。同派の代表的な名工としては、清長や清景の諸代が挙げられます。 その作風は、同地に大和派の荘園があった背景から大和伝の影響が色濃く反映されています。細身の直刃を主調とし、地鉄は詰みながらも刃寄りに流れごころの肌(流れ肌)が交じるなど、大和気質が顕著です。しかし、本場の大和物には見られない、鮮明な「映り」が立つ点は二王派特有の見どころと言えるでしょう。 14世紀後半(南北朝期)に入ると、二王派の作品には精巧な彫物が施されるようになります。流派の名にちなんだ「二王像」の彫物が施された刀剣は二振り現存しており、一振りは重要美術品に指定されている清長の作。そしてもう一振りが、昭和52年の第25回重要刀剣指定品である本作、清景の短刀です。 左:短刀 銘 清長(二王像彫物入) 重要美術品 右:短刀 銘 清景(本作) 【二王清景の系譜】 清景の名は、弘安年間(1278-1288年)から永享年間(1429-1441年)にかけて五代にわたり受け継がれたとされています。本作の作者である応永年間(1394-1428年)の四代目清景は、清長の子と伝えられています。 重要刀剣の記録において清景の作品はわずか二点しか確認されておらず、いずれも在銘の短刀です。一点は本作(昭和52年・第25回指定)、もう一点は平成18年(第52回指定)の作品となります。
周防国二王派はその作風から大和鍛冶の影響を強く受けているとみられ、厳島神社には文永二年紀の清綱があ 清景は銘鑑には数工いるが、この作は時代を応永とするものに該当するであろう。 表裏に二王像があり、一見して 同派の作であることが判るものであるが、雲形は後から加えている。








































周防国二王派はその作風から大和鍛冶の影響を強く受けているとみられ、厳島神社には文永二年紀の清綱があ清景は銘鑑には数工いるが、この作は時代を応永とするものに該当するであろう。 表裏に二王像があり、一見して同派の作であることが判るものであるが、雲形は後から加えている。
脇物 · 周防 · 1394-1428頃
刀剣大鑑 上位37%
現在1点販売中
清景の位置づけを、日本刀全体および伝法・時代・時期ごとに示します。各区分(随一・屈指・有数・著名)は、NBTHK および文化庁による指定に加え、三作や名物帳などの歴史的栄誉を加味したものです。
各項目を選ぶと評価方法が表示されます。
脇物 · 周防
現在8点販売中
周防国二王派は、山陽道の西端、大和より海路と陸路で結ばれたこの国に興った古刀の一派である。保延頃の清真または清平を祖と伝えるが、いずれにも確かな遺作を見ず、今日では鎌倉時代の清綱を事実上の祖と仰ぐ。同派の在銘作として最も古いのは「文永二年三月 清綱」[[c:1]]と書き下しの銘をもつ太刀で、厳島神社に伝わり、初代を鑑する基準作とされる。次いで建武二年紀の「防州玖珂庄清綱」銘の短刀が知られ、清綱の名が鎌倉末より南北朝、室町を経て新刀期に至るまで代を重ねて続いたことを示す。二王の呼称は同国仁保庄に居住したことに由来するとの説が有力である。周防には東大寺をはじめとする寺領が多く存し、二王派の作風に大和色が濃いのは、この大和本国との交流に負うものと考えられている。 構成員がそろって記すのは、柾がかって肌立つ地と、湿りをふくんだ直刃調の刃である。鍛えは板目に杢や流れ肌を交え、処々強く流れて柾がかり、細かに肌立ち、地沸がつき、地景の入るものもある。刃文は細直刃を基調とし、小互の目、小乱れ、小のたれを交え、小足・葉が入り、刃縁にほつれ・打のけ・喰違刃を見せ、小沸つき、金筋・砂流しがかかる。そして地鉄には冴えた映りではなく白け映りが立ち、これと対をなして匂口がうるむ。この白け映りとうるみの取り合わせこそ、構成員が立ち返って同派の個性と名指すところである。帽子は直ぐに小丸へ返るものが多い。鎌倉末期の古二王、すなわち清綱の手は、太刀が細身で鎬高く腰反り高い姿を示し、短刀は平造でわずかに内反りつく。これに対し応永頃の清永ら後代の末二王は、小板目のよく約んだ地に流れ柾を交え、身幅広く反りの浅い平造短刀を多く遺し、櫃内に鶴亀や二王の彫を施す作も見せて、古二王の静けさからやや作域を広げる。 鑑定の勘所は、拠り所を同じくする大和や青江、山城来の直刃とどう分かつかにある。流れて柾がかる鍛えは大和の血脈を望ませ、細直刃の素地は来を望ませるが、来や手掻に見る冴えた匂口は、ここではより湿った沈みごころの態に替わる。白け映りとうるみの一方ではなく、その二つが地と刃に並び立つことが、同派を他と分かつ見どころである。在銘の太刀・短刀は棟寄りに細鏨の二字銘を切り、原鑢の鷹の羽を残すものがあり、これを古い手の清綱の典型として初代に充てる。無銘大磨上の刀は、流れて柾がかり肌立った鍛え、白け映り、うるみ刃文という同じ拠り所を裏から読んで極められる。主要工としては事実上の祖たる清綱が同派を測る代であり、末二王の清永がこれに次いで一派の継続を支える。遺例は確実なものこそ多くないが、最古手の在銘太刀をはじめ在銘・無銘の数口が基準作に列なり、地刃に緩みなく同派の特色をよくあらわす。来歴の遺るところには格があり、ある太刀は徳川宗家の手を経て後に美術館へ納まり、在銘の一口は大阪の旧蔵を経て伝来し、年紀の基準作は厳島神社に伝存する。鷹の羽の鑢目と古い二字銘を残した在銘の清綱は、西国の鎌倉作を集める者が出会い得る最も稀なもののひとつで、現れたときには一里塚となる。 詳しく見る →
室町時代
応仁の乱が足利の体制を砕いた後、戦国の一世紀はほとんどすべての国を武装させた。この時代は選ぶ目に報いる。並の作は多いが、その傍らには第一級の注文打ちが立っている。
特別保存刀剣の中から、特に出来が優れ、国認定の重要美術品に準ずると判断された名品です。年に一度の重要刀剣審査で選ばれます。
極めて選別的で、日本に登録された約250万口の刀剣のうち、重要刀剣に達したものは12,354口(約202口に1口)にすぎません。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
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