大永三年(一五二三)の年紀をもち、五十七歳時の作として備前国住長船与三左衛門尉祐定と全銘を切る一口の刀は、蜂須賀家に伝来し、特別重要刀剣に指定されている。祐定は一人の工というよりも一つの家である。この名は学者が末備前と総称する室町後期の長船の鍛冶に属し、説明書はその規模について率直に「この中で最も繁栄したのが祐定の一門である」と記す。また早見出は「銘に俗名を冠している者を二十一人と数多くあげている」とする。その中で名と手において第一に立つのが与三左衛門尉の系である。その初代は、現存する「天文六年生年七十一作」銘の短刀から逆算して応仁元年の生まれである。説明書はその位置を明言し、「与三左衛門尉を冠するものが最も有名で、また上手である」とする。
本工の特色は、末備前の鍛冶が自らのものとした刃文である。腰の開いた互の目が複式の乱れに組み上がり、小互の目・小丁子・尖り刃を交える。足・葉頻りに入り、匂口締まりごころに小沸つき、小さな飛焼を交え、匂口明るい。説明書は「末備前特有の複式互の目を焼いた」ものを典型作の標とし、この手の晩年の一口を「末備前作中の典型的の作であり、同作中の最も優秀な代表作である」と記す。広く複雑な刃取りは、それが最も多く見られる室町後期の打刀の身幅広く先反りのついた姿に応じる。
地鉄はその働く刃を引き立てる。小板目肌よくつみ、地沸微塵につき、地景細かに入る。数口の在銘作には鎬寄りに淡く乱れ映りが立ち、一口には棒映りが立つ。帽子は多く小丸、あるいは乱れ込みやや尖りごころに掃きかけ、返りやや長い。総じて働きは足・葉に豊かで、金筋・砂流し頻りにかかり、匂深く小沸がつく。
複式互の目の外に、本工はさらに二つの作域をもつ。一つは華やかな面で、焼が高く皆焼となり、飛焼・棟焼を交える。説明書は皆焼は兎角品位に欠けるところがあるとしつつ、本工の作を出来がよいとし、その一口は源兵衛尉祐定との合作で天文の年紀をもつ。もう一つは静かな面で、直刃・広直刃に浅くのたれ、時に小互の目を交える。説明書は「直刃を焼いても上手である」とし、また「末備前刀工中の名工であり、直刃、乱刃共に上手である」とする。腰元と物打辺を複式互の目とし、その間を広直刃でつなぐ一口は、説明書がめずらしい刃取りとするところである。
これらの底には名跡そのものの年代の問題がある。説明書は「同名二代あって、天文末年中に初二代の交替があった」と記す。本間による御物台帳もまた与三左衛門尉を冠するものを二人とし、永正・天文の年紀あるものを初代、永禄・天正の年紀あるものを二代とし、大永三年の刀の「与」は「四つ与」、大永五年の短刀の「与」は「一与」と称せられる字体であることに注意を促す。俗名を冠さない祐定銘の一群も、時代と出来から一門に極められる。同派の中で本工を分かつのはその固有の特色で、よくつんだ明るい小板目、淡い映り、広く複式の互の目が、末備前の素朴な量産の作から本工を分かつ。年紀のある優れた打刀は祐定のみならず末備前全体を代表するものと読まれ、その手は一派の無銘作を測る基準となっている。
収集の上では、与三左衛門尉祐定は、鎌倉の名工とは異なり手の届く備前の大名跡であるが、上位の作が普通に見られるわけではない。藤代は初代を上々作とし、刀工総覧は千円と評価する。国宝はない。記録は重要文化財一口、特別重要刀剣一口と重要刀剣六十二口に、戦前の重要美術品が加わる。これらが市場に現れるのは稀で、現れれば注目すべき出来事である。その刀は自らの伝来をもつ旧家・大名家に伝わる。特別重要刀剣の刀は「蜂須賀家に伝来した優れた出来映えの一口である」とされ、毛利家・井伊家・庄内酒井家も他の作の伝来に名を残す。ほかに広直刃調の大永三年紀の刀と皆焼となる大永五年紀の短刀の二口が、本間による御物台帳に所載する。腰の開いた互の目を明らかに示す、身幅広く明るい在銘年紀入りの与三左衛門尉祐定は、真剣な収集家が現実に出会いを望みうる末備前の一口である。