備前国左近将監恒次は、鎌倉時代末期に備前国で活躍した刀工である。元亨二年(1322年)の年紀を持つ作例が現存しており、その作刀時期がほぼ明らかになっている。恒次には同名が備中にも存在するが、本解説の左近将監恒次は備前の刀工である。正恒の子とする伝承もあるが、確証はない。作風には直刃調のものと、互の目や丁子の目立つものの二様が知られている。現存する在銘作は僅少で、「恒次」二字銘と「備前国(住)左近将監恒次」の長銘の二種がある。二字銘の場合は、青江派の刀工と混同されることがある。
恒次の作風は、直刃を基調としたものと、互の目や丁子が目立つものの二様がある。直刃調の作例は、匂口が締まりごころで小沸がつき、金筋や砂流しが僅かにかかる。地鉄は小板目肌がよく錬れて、地沸がつき、乱れ映りが立つものが多い。刃寄りには筋映り状の二重刃・三重刃が断続的にかかる作例も見られる。太刀姿は、腰反り高く、先へも反りが加わるものが多く、雄勁な印象を与える。作風に共通するのは、刃中がよく沸える点であり、細かに金筋が入るものも見られる。
恒次の刀は、地鉄の鍛えが優れ、刃文の出来も高く評価されている。「地刃共に健全」で、「地鉄の冴える様は見事」と評される。現存する作例が少ないため、資料的価値も高い。特別重要刀剣に指定されている太刀には、「鍛錬も優れ、刃文も匂口が明るく冴えている。秀抜な出来を示した恒次の一口」と評されているものがある。また、「刃中には足・葉が存分に働き、沸が凝って随処でうるむ状が看取されるなど、変化のある出来口を見せている」と、その作風の多様性が評価されている。