爲遠は鎌倉時代後期の備前唐河、備中との境の地の刀工で、福岡一文字の流れに属する。在銘作二口が同年の年紀を有する。備前国唐河住左兵衛尉藤原為遠と切る太刀は裏に文保元年(一三一七)三月の年紀があり、「備前国住為遠」と切る平造の短刀は同年六月の年紀がある。説明書は「古刀銘尽には福岡一文字為国の流れを汲むものとしているが、実際には」明白でないと記す。その名には銘字の問題も伴う。年紀の太刀は藤原と切り、重要刀剣の説明は菅原とし、短刀の説明に引く銘鑑は文保元年紀の「備前国口河住菅原為遠」を載せ、口河がどこかは判然としないとする。
一派は華やかな丁子で知られるが、本工の手は静かである。記録に残る作は悉く直刃に作られる。在銘の太刀二口について説明書は地鉄を同じ素直な言葉で記し、「鍛え小板目約み、映り立つ」とする。生ぶ茎の太刀の刃文は「刃文匂出来の直刃に小互の目交じり、足入る」で、年紀の太刀は同じ直刃に湾れを交える。年紀の太刀は「磨上げながら、やや身幅広く健全な姿である」。同作とみられる生ぶ茎の太刀は細身で、やや切先延び、腰反りのよい姿となる。
短刀は同じ抑制を小さな寸法に示す。平造内反で、表裏にやや幅広い刀樋を掻流す。小板目は総体に疲れてやや荒れごころとなり、直映りが立ち、刃文は細直刃調に浅く湾れて小足入り小沸つき、帽子は小丸尋常に返る。その説明は「その系統その他を明らかにしないが珍品である」と明言し、「蓋し疲れていることは惜まれる」と付記する。
記録のもう一つの面は、本工と極められた大磨上無銘の刀である。ここでは板目に柾ごころの肌を交え総体に肌立ち、映りは淡い。細直刃調が浅く湾れて小丁子・小乱・小互の目を交え、小足よく入り砂流しかかり、帽子は直ぐに小丸となる。説明書は在銘作の示す作域を拠りどころに所伝を認める。「現存する有銘の作刀は極めて少く」、それらは「殆んど直刃仕立てに丁子小乱を交じえた出来である」から、その意味において「所伝は首肯し得る」とする。
収集の観点では、稀でありながら丁寧に記録の残る鎌倉末の備前の名である。藤代の格付けは上作、刀工大鑑は古刀界の上位中ほどに本工を置く。国宝も重要文化財もその名にはない。公式の記録は四口で、戦前に重要美術品に認定された在銘太刀二口、年紀の短刀、重要刀剣の刀一口である。認定時の所有者は、年紀の太刀が香川の乃村久綱、生ぶ茎の太刀が新潟の二宮孝順であった。短刀は談山神社の旧蔵で、本間による御物台帳に所載される。いずれも長く伝えられた遺産であって、市場を経るものではない。所在の知れる在銘の爲遠に出会うことは、備前物を学ぶ者にとって稀なることであり、現れるとしても忍耐をもってのみである。