昭和四十六年、第二十回重要刀剣に指定された一口の太刀が、この作群の何たるかを示す。生ぶ茎で、やや細身ながら腰反り高く踏張りがあり、茎には「一」の一字のみを切る。説明書はその名をこの標から説く。「備前には茎に一の字をきるものがあって、これを汎く一文字派と称している」。一派には鎌倉初期から末期にかけて栄えた福岡一文字派、鎌倉中期以後の片山一文字派・吉岡一文字派があり、更に同時代末から南北朝期にかけての岩戸一文字派などがあるという。この太刀について説明書は、僅かに疲れごころはあるが「鎌倉中期を下らぬ作である」と結ぶ。この一字銘を切る指定作は七口を数える。説明書は一文字の銘に、一の字だけのもの、一の字の下に個名を添えるもの、個名だけのものがあるとする。本群は一の字のみを切るゆえ個々の工を定めることはできず、極めは時代・一派と銘振りに拠り、鎌倉中期の作は福岡一文字に置かれる。
刃文は丁子乱れである。昭和四十六年の太刀について説明書は、丁子乱れに互の目・小丁子・尖りごころの刃などを交え、僅かに逆ごころがあり、足・葉盛んに入り、華やかに乱れ、小沸つくと記す。平成元年指定の生ぶ茎の小太刀は「華やかで変化のある丁子乱れを焼き」、匂出来とされる。磨上の作では同じ刃がより深く読まれ、丁子乱れに互の目を少し交え、小足・葉入り、匂い深く処々しみる。帽子は直ぐに小丸となり、一口の太刀では少し乱れて先小丸ごころに浅く返る。
鍛えは板目で、二口の太刀では総じて流れごころがあり、最初の太刀ではやや肌立ち、平成元年の小太刀には地沸がつく。詳しい説明書のある四口にはいずれも地に乱れ映りが立ち、その小太刀では淡く、他では鮮やかである。昭和五十七年指定の少し磨上げた太刀を説明書は鎌倉中期の福岡一文字と鑑し、匂い深の丁子に小沸ごころがあり、刃中に足・葉がよく入り、「地には乱れ映りを鮮明にあらわす」と記す。重要文化財の三口の図版は造込み・鍛え・刃文・長さのみを記し、映りには触れない。
作は製作当初の姿を留めるものと、磨上げながら一字を留めるものとに分かれる。生ぶ茎の作はより豊かで変化のある焼刃を示し、平成元年の小太刀を説明書は「一文字派の特色を存分に示して出来がよい」と評する。昭和四十九年の磨上の小太刀は丁子乱れに互の目を少し交え総体に整った出来で、銘振りからしても備前福岡一文字の作と鑑せられる。二口は小太刀であり、説明書はここで問いを残す。小太刀の作例は鎌倉期に多く備前及び山城に見られるが、「如何なる人が、如何なる目的で佩したか」については更に研究したいとする。本群にはまた薙刀が一口あり、その形の唯一の例である。
極めは同じ組み合わせに立ち返る。腰反りに踏張りのある太刀姿に、匂い深の丁子乱れに足・葉の入る刃を焼き、板目の地に乱れ映りを鮮やかに立てる。これらが、説明書が「一」のみの作を福岡一文字に置くときに挙げる特色であり、昭和五十七年の少し磨上げた太刀はこれによって鎌倉中期に置かれる。
七口のうち三口は重要文化財で、社に蔵される。広島の厳島神社の太刀は長さ八七・六cm、鍛え板目に丁子乱れを焼く。山梨の武田神社の太刀は長さ六四・二cmで、同じ鍛えと刃文である。奈良の談山神社の薙刀は薙刀造三ツ棟で、刃文は互の目と記される。いずれも社が守り伝える遺産である。残る四口は重要刀剣で、所在の知れるもののうち一口は私蔵にある。この銘の作に国宝はなく、特別重要刀剣の級にも及ばない。「一」のみを切る重要刀剣が市場に現れることは稀であり、私蔵の一口は、初期備前を蒐める者にとって稀なる出会いである。