赤松政則は室町時代中期、播磨・備前・美作の守護を兼ね、室町幕府の要職にあった武将である。刀工としての師は明らかではないが、備前長船の勝光・宗光を配下に置き、鍛刀の技を習ったと推測されている。作刀時期は文正十四年(1479)から文明元年(1469)にかけて播磨国坂元、同年十二月に京都北小路屋形、長享三年(1489)から延徳元年(1489)にかけて美作国大原陣中、応仁三年(1469)十二月に京都六角大宮本能寺で行われたとされる。現存する作刀のほとんどが被官への恩賞として与えられたものであり、所持銘が刻まれているのが特徴である。
政則の作風は、地鉄は小板目肌つみ、地沸が厚くつくものが多い。刃文は焼幅広くのたれ調に互の目、丁子ごころ、小互の目交じり、足・葉盛んに入り、沸よくつき処々荒目となり、砂流しかかるなど、総じて地刃に沸づいた覇気のある作風を示す。作刀の多くに年紀と所持銘が刻まれ、刀身彫刻として神号を彫るものがあるが、長船一門の抱える彫物工とは趣を異にする。姿は寸詰まりで先反りがつくものが見られ、末備前鍛冶とは異なる趣がある。相州伝の上工を目指した作意が見られるものも存在する。
政則の作刀は、当時の長船物の中では地刃の沸の強いものがあることが特徴であり、「政則中出色」と評される出来の良いものも存在する。資料的な価値も高く、研究上貴重な一口として評価されている。