NihontoWatch MonNihontoWatchBETA
MarketEncyclopedia
NihontoWatch Mon

NihontoWatchBETA

マーケット
事典
概要·鑑定·指定·刀姿·銘·系譜·流派
概要鑑定指定刀姿銘系譜流派
  1. 流派
  2. 堀川
  3. 吉武

Horikawa Yoshitake

吉武

重要
巻 24, 番 422 · 刀

Horikawa Yoshitake

吉武

評価作品4点

国山城時代Manji-Enpo (1658–1681)時代区分江戸流派Horikawa伝法Shinto代1st師匠Kunimichi藤代Jo saku刀工大鑑400(上位37%)種別刀工コードYOS840
4重要刀剣

概要

延宝三年(一六七五)六月晦日紀の刀の裏には、棟寄りに切られた吉武の銘に応えて、富田重綱が三ッ胴を両度に切断したことを記す金象嵌の截断銘がある。吉武は山城、のちに江戸の堀川一門の刀工で、堀川国広の門人である平安城国武の子である。俗称を川手市太夫と云い、出雲大掾を受領して後に出雲守に転じ、晩年は入道して法哲と号した。国広は京都新刀の堀川一派の祖である。説明書は、父国武が堀川一門でも最も平凡な刀工であった一方、吉武は「父に優る名工」であり、よき地鉄の上に「堀川物の豪放さを伝え」るとする。その紀年作は延宝三年から天和を経て正徳元年(一七一一)に及び、京都から新府の江戸へと移った歩みをたどる。

本工の認める本領は、広く落ち着いた直刃である。説明書は「直刃調の出来を得意としている」と明記し、その作風を法城寺一派に並べて、多くの作に同派に見るような直刃があるとする。紀年のある延宝三年の刀では、焼刃は広直刃調に互の目を交え、足入り小沸つき、匂口深く、地鉄は杢を交えてよくつんだ小板目に地沸つく。姿は身幅広く反り浅く中鋒の堂々たる鎬造、茎は生ぶで先入山形、鑢目は筋違ないし勝手下り、截断銘の作では棟寄りの長銘の裏に重綱の金象嵌截断銘が応える。帽子は直ぐに小丸へと返る。

この落ち着いた一面の傍らに、いま一段の活気ある出来が走る。杢を交えた小板目・板目の地鉄は時に肌立ちごころとなり、腰元に大肌を交え、総体に地沸つく。これが説明書の認める良き堀川の地鉄である。説明書が彼の最高作の一本に挙げる天和の刀では、刃文は小のたれに互の目・耳形の刃を交え、足・葉入り、匂口深く冴え、小沸よくつき砂流しかかる。帽子は直ぐに小丸、掃かけかかる。いま一口の最高作では、のたれ調に互の目・大互の目を交え、匂い深く沸よくつき、僅かに砂流しが下半を渡る。この一面はやがて説明書が「濤欄風の乱れ刃」と評するところに及び、静かな直刃よりもむしろこの互の目出来にこそ、本工の手の広がりが最もよく見える。

二様の出来は、彼の生涯の前後と交わりとに応じている。説明書は、吉武が元来は堀川一門の流れを汲みながら、江戸ではその作が法城寺一派に近づいたことを記し、その証として法城寺正照との合作を挙げる。そこから同派と相当に深い関係にあったことを察し、乱れ刃の互の目出来にもその結びつきが裏づけられると読む。本領の直刃は、彼らの説くところ、まさに法城寺一派の作風である。銘もまた同じ弧を描く。最初期の紀年作は出雲大掾藤原吉武と大振りの長銘を棟寄りに切り、後の作には正徳元年紀があって「法哲入道」と銘し、この頃には出雲守に転じている。

四口の指定刀のすべてを通じて説明書が押すのは、吉武がその出自たる父を凌いだ点である。国武は堀川一門の平凡な工に数えられ、説明書は子を父に直に比して、吉武を父に優る名工とし、堀川の豪放さを健全な地鉄の上に伝えた工とする。ゆえに本工の見どころは二重である。説明書がその得意とする広い直刃と、その傍らに据える江戸期の濤欄調の互の目乱れ、一は静かに一は活気あり、いずれもよくつんだ小板目・杢の地鉄に地沸つく地に焼かれる。説明書は個々の刀を「傑出の一口」とし、また最高作と評する。それは一派の亜流ではなく、その出自を抜け出た一個の手として貴ぶ言葉である。

吉武の記録上の作は少なく、悉く在銘である。すなわち四口の刀、いずれも重要刀剣の位で、国宝も重要文化財もなく、大名家伝来の記録もない。四口のうち二口には富田重綱の金象嵌截断銘があり、一は二ッ胴、一は三ッ胴を記して、作を延宝三年に結びつけ、焼刃を超えた資料的な重みを添える。藤代は本工を上作とし、第一流というよりは確かな技倆を量る。指定刀は私蔵にあり、審査の頃には埼玉・茨城・東京の所蔵を経ていた。この位の在銘吉武は、国宝のように手の届かぬものではないが、僅かな数しか残らず、截断銘の作はことに稀で、市場に現れることは稀である。截断銘の一口が出れば、それは目に留まる出来事である。

鑑定

身幅広く反り浅い刀における、堀川を汲む一つの手の二様:得意とする法城寺風の広直刃調に互の目を交えてよくつんだ小板目に焼く一面と、のたれ・互の目を主に濤欄風の乱れや大互の目に及ぶいま一段の出来。後者は法城寺一派と合作を残した江戸期の顔である

吉武は堀川一門の新刀工で、堀川国広の門人である平安城国武の子である。俗称を川手市太夫と云い、出雲大掾を受領して後に出雲守に転じ、晩年は入道して法哲と号し、京都から江戸に移住した。その紀年作は延宝三年(一六七五)から天和、さらに正徳元年(一七一一)に及ぶ。説明書は、父国武が堀川一門でも最も平凡な刀工であった一方、吉武は父に優る名工で、よき地鉄の上に堀川物の豪放さを伝えるとする。本工の手は、身幅広く反り浅く中鋒の堂々たる鎬造の刀に二様に認められる。すなわち、得意とする法城寺一派に見るような広直刃調に互の目を交え足入り匂深く沸よくつく一面と、小のたれ・のたれに互の目・大互の目を交え、濤欄風の乱れや耳形の刃をも交えて、杢交じりの小板目・板目の地に地沸つき、帽子を小丸に結ぶいま一段の出来である。経眼の作のうち二口には富田重綱の金象嵌截断銘があり、江戸での法城寺一派との深い関係は法城寺正照との合作に裏づけられる。

鑑定の決め手

法城寺一派の直刃(説明書の挙げる比較対象)にはない特徴

作風の変遷

広直刃調の出来(得意・法城寺風)

説明書は吉武が直刃調の出来を得意としたと記し、これを法城寺一派に並べる。すなわち多くの作に同派に見るような広い直刃が見られる。紀年のある延宝三年の刀では、刃文は広直刃調に互の目を交え、足入り小沸つき、地鉄は杢を交えてよくつんだ小板目に地沸つく。姿は身幅広く反り浅く中鋒の堂々たる鎬造、茎は生ぶで先入山形、鑢目筋違ないし勝手下り、棟寄りに大振りの長銘を切る。截断銘の作では裏に富田重綱の金象嵌截断銘が入る。帽子は直ぐに小丸。これが説明書の認める本領、広直刃の落ち着いた一面である。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi

のたれ・互の目の乱れの一面(濤欄風)

直刃と並んで、説明書はいま一段の活気ある出来を記し、その作を彼の最高作の一本に挙げる。天和の刀では、刃文は小のたれに互の目・耳形の刃を交え、足・葉入り、匂口深く冴え、小沸よくつき砂流しかかり、地鉄は杢を交えて肌立ちごころの板目に地沸つく。帽子は直ぐに小丸、掃かけかかる。いま一口の最高作では、のたれ調に互の目・大互の目を交え、匂い深く沸よくつき僅かに砂流しかかり、腰元によくつんだ小板目に大肌を交える。説明書はこの乱れを濤欄風と評し、これが江戸での法城寺一派との結びつきを示す互の目出来の証である。

姿 Sugata
地鉄 Jigane
刃文 Hamon
帽子 Bōshi
研究

説明書は、吉武が堀川国広の門人国武の子で、俗称を川手市太夫と云い、京都から江戸に移住したこと、出雲大掾を受領して後に出雲守に転じたこと、晩年に入道して「法哲入道」と銘し、正徳元年(一七一一)紀の作があることを記す。

説明書は、吉武が元来は堀川一門の流れを汲みながら、その作風には法城寺一派に見るような直刃が多いとし、法城寺正照との合作を、江戸で同派と相当に深い関係にあった証として挙げ、乱れ刃の互の目出来にもその結びつきが裏づけられると読む。

指定

国宝—
重要文化財—
重要美術品—
御物—
特別重要刀剣—
重要刀剣4

名工ランク

0.02 (指定作品4点)

刀工の上位28%

刀姿

評価作品4点の分布

銘

評価作品4点の銘の種類

販売中

系譜

師匠Kunimichi
Yoshitake

Horikawa派

Horikawa派の他の刀工

  1. 1.國廣Kunihiro6 販売中148指定
  2. 2.國路Kunimichi8 販売中74指定
  3. 3.國貞Kunisada4 販売中88指定
  4. 4.國儔Kunitomo1 販売中27指定
  5. 5.正弘Masahiro3 販売中14指定
  6. 6.國安Kuniyasu17指定
  7. 7.國助Kunisuke2 販売中50指定
  8. 8.弘幸Hiroyuki17指定
  9. 9.國清Kunikiyo2 販売中14指定
  10. 10.國正Kunimasa6指定
  11. 11.國清Kunikiyo7指定
  12. 12.國幸Kuniyuki1 販売中6指定