三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
出ました出ました天下の同田貫として歴史的に超有名ななぎなたの作品が出ました。あまりにも天下に有名ですが現存作が無くこれぞ正しく加藤清正公に天正16年(1588年)(438年前)に抱えられ、清正公の清の1字を直々に賜った肥州住同田貫清国の素晴らしく良く出来た傑作のなぎなたの奇跡的な出現です。肥後54万石加藤清正公が慶長6年(1601年)熊本城築城開始の時に城備えとして同田貫清国を頭領とし148本のなぎなたの制作を命じ、熊本城の城備えとして作られた148本の内の40番目の歴史的にも超貴重ななぎなたです。当時の城備えとして作られたなぎなたは加藤清正公が慶長16年(1611年)に亡くなり、子の加藤忠広公の代で加藤家も終焉を迎え、寛永9年(1632年)には熊本城も細川家に移った為に400年も経った現在となっては当時の城備えのなぎなたの現存作は無く、残っているのは本なぎなた1本だけの為に本なぎなたは加藤清正公、同田貫清国刀匠、熊本城と言い歴史的にも素晴らしく貴重です。本なぎなたの姿は元身幅広く先身幅は一層広い良いなぎなたの姿を現し、地金は板目肌に鍛え明るい良い地金を現し、刃紋は匂い出来に小沸の付いた互の目乱れ刃を焼き地や棟に飛び焼きも焼いて覇気有る見事ななぎなたを作り上げています。同田貫清国刀匠は物切れする鍛冶として古来有名ですが、現存作を拝見することなく無く本なぎなたは素晴らしく貴重です。中心に錆びないように当時から高価な金泥の漆が塗られ如何にも大切にされていたことが良く分かります。多少痛みはありますが当時の桃山時代の香りのするなぎなた拵えも本同田貫清国刀匠のなぎなたに一層華を添えています。熊本県の博物館でも展示物として是非欲しい貴重な逸品です。加藤清正公、同田貫清国刀匠、熊本城と共に素晴らしく縁ある歴史的にも貴重ななぎなたを是非お楽しみ下さいませ。
在銘 · 同田貫 · 新刀 · 長さ 49.7cm · 反り 2.7cm
































備前伝 · 肥後 · 1573-1592頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
備前伝 · 肥後
現在19点販売中
同田貫は肥後国の菊池に室町末期から興り、新刀期に及んで活躍した一派である。説示は本派を九州肥後を代表する流派として位置づけ、その一門に正国・上野介・又八(又八左衛門)・正広・兵部・左馬介・国勝らの工があったことを伝える。年紀を備えた遺例には天正から慶長に跨がる作が見られ、上野介には慶長九年・慶長十六年八月吉日の銘があって、新古を跨ぐ形でこの工が活躍したことが知られる。正国の薙刀は桃山時代の製作と鑑せられ、刀身とほぼ同時期に誂えられた拵を伴う例もある。説示の伝える工と年紀からは、戦国末から江戸初頭にかけての肥後にあって、実用の需に応えた工房の姿がうかがえる。 作風は、身幅広く重ね厚く平肉の豊かな豪壮な造込みを基調とする。説示はこれを武骨な姿とも記し、鎬造の刀のほかに大身槍や大振りの薙刀の作例も数多く経眼されると述べる。鍛えは板目肌で、処々に流れ肌や杢目を交え、やや肌立ちごころとなり、地沸がつく。刃文はのたれを基調に小互の目・小丁子・小尖り刃などが交じり、足・葉がよく入り、匂口は締りがちで叢沸となり、飛焼や棟焼を見せ、金筋・砂流しの細かにかかる作がある。互の目乱れを主とする例や、正広の薙刀のように直刃を焼いて匂口の沈む作も伝えられ、一派のうちに振幅のあることが説示から読み取れる。見分けに当たっては、頑健な姿態と、匂口の締まった乱刃に叢沸・飛焼・棟焼の交じる地刃の様相が手がかりとなる。 伝承の面では、説示はこの派の刀の鋭利さが古くから賞讃され、実用刀として知られてきたことを繰り返し記す。代表工とされる上野介には、常に見る同派の作域よりも変化に富み野趣の感じられる作があり、沈みごころの地刃に渋い味わいの醸される一口が同工および同派を代表する出来として挙げられている。正国の薙刀は、地沸の微塵に厚くついた鍛えと、同派の常以上に明るく沸づいて刃中の頻りに働く刃文をもって秀作と評され、黒漆金蒔絵柄鞘薙刀拵を附帯する。又八の薙刀には匂口の締まった作に沸のつく一派の特色がよく示され、黒塗薙刀拵を伴う。資料は僅少ながら、これらの遺例は、肥後にあって頑健と切れ味を旨とした同田貫の性格を、刀・薙刀の双方に即して伝えるものといえる。 詳しく見る →
桃山時代
三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
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出ました出ました天下の同田貫として歴史的に超有名ななぎなたの作品が出ました。あまりにも天下に有名ですが現存作が無くこれぞ正しく加藤清正公に天正16年(1588年)(438年前)に抱えられ、清正公の清の1字を直々に賜った肥州住同田貫清国の素晴らしく良く出来た傑作のなぎなたの奇跡的な出現です。肥後54万石加藤清正公が慶長6年(1601年)熊本城築城開始の時に城備えとして同田貫清国を頭領とし148本のなぎなたの制作を命じ、熊本城の城備えとして作られた148本の内の40番目の歴史的にも超貴重ななぎなたです。当時の城備えとして作られたなぎなたは加藤清正公が慶長16年(1611年)に亡くなり、子の加藤忠広公の代で加藤家も終焉を迎え、寛永9年(1632年)には熊本城も細川家に移った為に400年も経った現在となっては当時の城備えのなぎなたの現存作は無く、残っているのは本なぎなた1本だけの為に本なぎなたは加藤清正公、同田貫清国刀匠、熊本城と言い歴史的にも素晴らしく貴重です。本なぎなたの姿は元身幅広く先身幅は一層広い良いなぎなたの姿を現し、地金は板目肌に鍛え明るい良い地金を現し、刃紋は匂い出来に小沸の付いた互の目乱れ刃を焼き地や棟に飛び焼きも焼いて覇気有る見事ななぎなたを作り上げています。同田貫清国刀匠は物切れする鍛冶として古来有名ですが、現存作を拝見することなく無く本なぎなたは素晴らしく貴重です。中心に錆びないように当時から高価な金泥の漆が塗られ如何にも大切にされていたことが良く分かります。多少痛みはありますが当時の桃山時代の香りのするなぎなた拵えも本同田貫清国刀匠のなぎなたに一層華を添えています。熊本県の博物館でも展示物として是非欲しい貴重な逸品です。加藤清正公、同田貫清国刀匠、熊本城と共に素晴らしく縁ある歴史的にも貴重ななぎなたを是非お楽しみ下さいませ。
在銘 · 同田貫 · 新刀 · 長さ 49.7cm · 反り 2.7cm
































備前伝 · 肥後 · 1573-1592頃
刀剣大鑑 上位76%
現在1点販売中
備前伝 · 肥後
現在19点販売中
同田貫は肥後国の菊池に室町末期から興り、新刀期に及んで活躍した一派である。説示は本派を九州肥後を代表する流派として位置づけ、その一門に正国・上野介・又八(又八左衛門)・正広・兵部・左馬介・国勝らの工があったことを伝える。年紀を備えた遺例には天正から慶長に跨がる作が見られ、上野介には慶長九年・慶長十六年八月吉日の銘があって、新古を跨ぐ形でこの工が活躍したことが知られる。正国の薙刀は桃山時代の製作と鑑せられ、刀身とほぼ同時期に誂えられた拵を伴う例もある。説示の伝える工と年紀からは、戦国末から江戸初頭にかけての肥後にあって、実用の需に応えた工房の姿がうかがえる。 作風は、身幅広く重ね厚く平肉の豊かな豪壮な造込みを基調とする。説示はこれを武骨な姿とも記し、鎬造の刀のほかに大身槍や大振りの薙刀の作例も数多く経眼されると述べる。鍛えは板目肌で、処々に流れ肌や杢目を交え、やや肌立ちごころとなり、地沸がつく。刃文はのたれを基調に小互の目・小丁子・小尖り刃などが交じり、足・葉がよく入り、匂口は締りがちで叢沸となり、飛焼や棟焼を見せ、金筋・砂流しの細かにかかる作がある。互の目乱れを主とする例や、正広の薙刀のように直刃を焼いて匂口の沈む作も伝えられ、一派のうちに振幅のあることが説示から読み取れる。見分けに当たっては、頑健な姿態と、匂口の締まった乱刃に叢沸・飛焼・棟焼の交じる地刃の様相が手がかりとなる。 伝承の面では、説示はこの派の刀の鋭利さが古くから賞讃され、実用刀として知られてきたことを繰り返し記す。代表工とされる上野介には、常に見る同派の作域よりも変化に富み野趣の感じられる作があり、沈みごころの地刃に渋い味わいの醸される一口が同工および同派を代表する出来として挙げられている。正国の薙刀は、地沸の微塵に厚くついた鍛えと、同派の常以上に明るく沸づいて刃中の頻りに働く刃文をもって秀作と評され、黒漆金蒔絵柄鞘薙刀拵を附帯する。又八の薙刀には匂口の締まった作に沸のつく一派の特色がよく示され、黒塗薙刀拵を伴う。資料は僅少ながら、これらの遺例は、肥後にあって頑健と切れ味を旨とした同田貫の性格を、刀・薙刀の双方に即して伝えるものといえる。 詳しく見る →
桃山時代
三人の天下人が戦国の世紀を終わらせ、刀は新しい秩序の道具となった。1588年の刀狩は刀を武士の標章とし、名刀は条約のごとく家々の間を行き交い、鑑定は以後この境で古刀と新刀を分かつ。
保存刀剣のうち、出来が一層優れ、保存状態も良好と認められたものです。再刃や、室町・江戸期の多くの無銘作は対象外となり、保存刀剣より高い基準が課されます。
日本美術刀剣保存協会(NBTHK)は、1948年に設立され、文化庁の監督を受ける公益財団法人で、東京・刀剣博物館に本部を置きます。専門の審査員が出品作を直接審査し、美術的・歴史的価値に応じた鑑定書を発行します。NBTHKの鑑定書は、日本刀および刀装具の真正性を示す最も広く認知された基準です。
NBTHK公式サイトお客様ご都合による返品の場合はお客様ご負担となります。ご了承くださいませ。弊社の誤送、商品不良等による返品の場合は弊社にて負担いたします。
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